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正月合宿槍ヶ岳
その2 槍平隊
佐藤 明
山行日 1985年12月30日~1986年1月3日
メンバー (L)佐藤(明)、安田、勝部、江村(皦)、服部、高橋(清)、関谷、高橋(千)、牧野、本山、小泉

 12月29日出発。どうしよう、こんなにもお酒の差し入れ、とても飲み切れないよ、とリーダーの困った声。それでも見送りに来る人来る人、お酒は溜まるばかり。メンバー所持分を合わせると既にアルコールは一斗近くにもなる。まあいいや、どうせベースまでだ。予備日はずっと飲みっぱなしだなどと思い上野を出発。飲み減らして皆の荷を少しでも軽くと、優しいリーダーは好きでもないお酒をあおる。一日遅れのためか電車は混んでいない。
 12月30日、入山。富山、猪谷経由で登山口の新穂高温泉着は11時間後の朝8時。とりあえず朝風呂で身を清めて、とアルペン浴場へ行くが、冬期閉鎖とのことザンネン。槍平までの道は良く踏まれ快適だが、気温が高くスノーボールがよく落ちる。次第に雨降りとなり、槍平に着く頃には芯まで濡れてしまった。張った天幕もフライなしのため、中でも同じ雨降りで床上浸水なのがもっと悪い。結局一晩中バーナーを燃やし、座ったままうたた寝となる。
 12月31日、停滞
 今日は休養日、昼前快晴となったので偵察に出かける。大喰岳西尾根取付点のダケカンバの大木を宝の木とはよく言ったものだ。立派なもので夏道より50mばかり上に立っている。ここからは飛騨沢を登下降している者や、西鎌からシリセードをして転がり落ちてくる者が良く見える。天幕に戻って間もなく、滝谷へ入った金子、湯谷が戻ってきた。雪崩に流されて昨夜は別々にビバークし互いに死んだものと思っていたそうである。無事に戻って良かった。
 1月1日、槍ヶ岳アタック
 2時起床、4時30分江村、勝部を残して総勢13名で出発。1時間30分で宝の木。そして30分の急登で西尾根上に出る。容易な尾根で全員快調に登行する。ただ湯谷のアイゼンが不調だ。9時大喰岳ピーク。視界200m、気温マイナス20度、風が強い又寒い。45分で肩の小屋に入り茶を沸かす。10時35分の定時交信では北鎌平と赤岩岳通過中の各隊とコンタクトがとれるが、どちらも入感が悪い。槍平は入感なし。
 槍の穂先はフィックスロープを3本使う。先ず二つ目のハシゴまで1本。これは45mロープだと良い。そして次のハシゴまで1本。更に頂上までの30mである。空身ならロープ不要と思えるが、安全にこしたことはない。穂先からの展望はなく寒いだけ。早々に下降し肩に戻ると、もみぢの小林さんがモートーと声を掛けてくる。横尾尾根を単独で登って来たとのこと、さすがですね。小屋に入らずそのまま下山開始。視界が5mで風雪強くマツゲが凍りつく。飛騨沢を下降し、2時間30分で槍平帰着となった。午後4時30分。
 1月2日、休養
 今日は正月気分で起床時刻はなし、それでも7時30分、シルバー天幕のシルバー頭の江村さんが起こしに来る。やはり朝は早くから目覚めてしまうらしい。とりあえず一杯となるが、どうも酒が見当たらない。号令をかけて天幕中を捜索させるが、やはりないものはない。禁酒令を出すにも影響を受ける者は決まっているので、そのままウダウダ飲み続ける。とても下界では食えないおせちが肴とはありがたい。昼前に天幕をたたんで冬期小屋へ移動開始。そのうち北鎌隊と小林さんが下山してくる。今晩は小屋の一階を貸切りで大宴会となる。総勢18名。
 1月3日、下山
 4時起きで6時50分出発。新穂高温泉着10時30分。そのまま深山荘へ直行し待望の露天風呂へ。あまりの嬉しさに川で泳ぐ者まで出る始末。ここで一応解散となり、二次会場の栃尾温泉へと向かった。お疲れさまでした。


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