トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ256号目次

思い出の山行より
斉藤 芳弘

 上高地バス停前で雑多の人々の中でキスリングのパッキングに余念がなかった。頼り甲斐のある野田さん、実力派の小島さんの両先輩とバイタリティあふれる別所さん、それにいかにも若僧の私。
 林の平凡な道を歩き出す、荷は重く背と腰にかかる、しかし若さだけが私の取柄だから無言で歩き続けた。徳沢で昼食になった、左に梓川を見て更に歩き続ける、廻りを見る余裕は無かった。ただ4人は黙々と歩き横尾山荘に着いたのは15時頃になっていた。私はここまでで疲労がかなり高まっていた。小島先輩の今日中に涸沢までということで歩き出したのが18時頃、完全に私の左足がケイレンを起し一歩も歩けなくなった。
 涸沢の手前で先輩達が本当に手際よくテントを設営してくれたので、私はすいませんと言って岩の上に腰を下ろして見ていたが、数十分ぐらいで野田さんが作ってくれた夜食にありつきました。
 翌朝はガスで何も見えない、ボケーとテントから顔を出して朝の冷気を胸一杯に吸い込んだ。朝食が終った頃、公園監視員が来てテントの立ち退きを告げ、更に目前の沢の水を使用しないよう注意を受けた。事の意味が判ったのは涸沢に入ってからで、下水に使用した水であった(腹がこわれなかったのが不思議)。この日は足の痛みもなく、やけに調子が良く程なくして涸沢小屋に着いた。所定の許可を受けテントの設営に入った。この時は何かと手間取った。水分を含んでいたことと撤収の際、いい加減にテントを丸め込んだだけだったので作り終わってしばらくは天候の回復と自分の装備を整えることにした。
 野田、小島両先輩の話が決まって東稜を登って北穂に行くことになった。朝露に濡れた灌木の間を道を捜しながら下半身ズブ濡れになりながら高度を上げていった。途中キイチゴが熟れていた。4人は何やら取付かれたように食べ始め、いい加減食べるとお互いの行動のセコサを笑い合った。
 それからトンネル状の灌木の下をクマのように身を縮めて這い登る。これは辛かった。一度たりとも身を起せない、ただ耐えるだけの登りである。別所さんがウォーと声を上げた、東稜のピークに出た開放感の一声だった。雲が厚くあまり見渡せないが、目前の屏風岩に数人のパーティが取付いているのが見えた。槍方面はガスで何も見えない。岩の上でしばらく涸沢のテント村を見下ろして熱い体を冷やした。北穂の道はガスの中慎重に行動して北穂小屋に着いたが、だれも茶代を出すのが嫌だったので、そのまま下山して涸沢に帰ってきた。
 約束通り鈴木のモンチャンが来てテントの中が急に明るくなった。その夜は野田さんのフルコースの食事と5人の会話は変遷万化笑い話の種はつきなかった。
 翌日、鈴木さんをテントに残して私達4人は北穂の岩へ出かけて行った。まず練習のため第二尾根を下降して再度登って昼となる。正午滝谷を下降、緊張して汗が出ない。見上げるとドームが目前に壁となって押し迫る。足元に気をつけて第四尾根の取付きに着いた時は初めて身震いをして小便を催したくなった。岩の裏で萎縮した小さな物を引っ張り出して放出して、やっと緊張が解けた。
 第四尾根は野田さんがトップ、別所さん、私と続いてシンガリは小島さん、スイスイ登って行く、程なく私も岩登りが楽しく感じ始めてきた。ガストンレビュファの登り方はああだったとか、こうだったとかなど考えながら、結構先輩たちについて行けた。時々解説書を引き出して読んでみると一番の難所はまだらしい。時間が迫っていた。普通は4時間のコースと書いてあったが、4人のパーティでは結構時間が掛かった。一番の難所にかかる前にトップが別所さんに変った。そして夕日が山々に沈みかけた頃、本日のメインエベントに入りさほどたたぬ内にトップの別所さんが動かなくなった。下から小島さんがルートを指示するが陽はすっかり暮れて、心細くなって私は野田さんにビバークのことを聞いた。何やらテントにある赤いシュラフがやけに気にかかって仕方がない。食料はヨウカン半分、水が少々、先程から小島さんと別所さんの張り詰めた会話が暗い闇の中で続いているが私は不安のため、やたらと野田さんに話しかけた。その内話すこともなくなり孤独感に襲われていた。小島さんがライトを別所さんに手渡すため更に登ることになった。私の役目であるザイル整理が闇夜と不注意で絡まり、小島さんのザイルがうまく流れず必死でザイルを解いた。頭上でライトが輝くと山の裏側から満月が見え始め、暗い岩壁に月の光が射し明るくなった。この頃から別所さん、小島さんのザイルが延び始めた。別所さんが難所を登り切った。続いて小島さんが迂回ルートを見つけて、私達は確保なしで迂回ルートを登って難所を避けた。この間落石やザイルを踏んだりして、切羽詰った行動をしていた。
 一番良かったことは夜で高度感がなかったことが幸いした。それから満月を背に白く輝く岩を登って初めて高度感が出てきたが、その頃は斜度が緩く気分良く登れた。23時30分登頂完了。私達はお互いに肩を叩き笑って喜んだ。残ったヨウカンを四つに切って食べた、うまかった。帰りは岩の間を4人の長い影が月に映し出されて美しい風景だった。私は滝谷を完全に登攀した満足と体の底からこみ上げる喜びが重なって本当に幸せな気分だった。帰路、小島さんが北穂小屋の方でライトが見えると言った。モートーと呼ぶと鈴木さんが心配して北穂小屋へ連絡に行く途中だった。
 午前1時頃、全員が無事テントに帰着した。すぐに野田さんのオニオンスープが出来上がりそれがすごくうまかった。後は何を食べたか思い出せない。ただ今も暖かいシュラフと、オニオンスープと4人の影と満月だけが心に焼付いている。翌朝、野田さんが岩登り装備を別所さんにプレゼントした。そして一言「俺は岩から足を洗うよ」と言った時はキツネにつままれたようにポカンと聞いていた。後で小島さんが私に「野田さんは近く結婚するよ」と話してくれた。私はこの山行で岩登りの楽しさ、苦しさを少し学んだような気がしたが、その後別所さんはアメリカへ、野田さんは岩から引退、小島さんは山岳会のリーダーとして次第にスキーとテニスに主力を移していった。鈴木さんはもっぱら尾根歩き、私は以後パァーと花が咲かないで今日まで来ている。その後、知人と三ッ峠や二子山で密かに練習をしていたが、目前で人が落ち、道に叩きつけられたカエルのように死んだのを見て自分の将来を感じ取ったようで、以後高所恐怖症になり今でも数十mの高い所に立つと腰下がスースーして落ち着かなくなる。情けないけど本当の話。今では単独行で自由に気の向くまま、低山と温泉を歩き廻っているが、今でも滝谷は若い頃の忘れ得ない山行の一つになっている。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ256号目次