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槍ヶ岳偵察山行
佐藤 明

山行日 1985年10月10日~12日
メンバー (L)佐藤(明)、小泉、鈴木(章)、甘楽

 今回の山行計画は正月の槍ヶ岳集中のための下見として、高瀬川より北鎌尾根、そして西鎌尾根を通り槍平へとトレースするよう立てられた。
 昭和60年10月10日、やっと白み始めた信濃大町よりタクシーで七倉へ。身づくろいの後、高瀬ダムを経由し湯俣へ向かう。目指す北鎌の独標あたりから上部は既に冠雪済み。林道は名無沢出合近くまで延長されている。湯俣の温泉は既に閉じている。
 ここより千天出合までの道は、近年特に荒れてきたようである。トラバース道は土砂に流され、木の梯子なども腐ってしまい、迂回路のルートファインディングもなかなか容易ではない。そればかりか針金、ワイヤーの類の老朽化も激しく、水俣川を右岸へ渡る吊橋も半分傾いたまま。あと1~2年の命とも思える。ここで遅い昼食をとり更に進み、午後2時に北鎌P2取付点の対岸へ到着。ここもワイヤーが切れて渡れず、100m下流の流木でかけた橋より渡る。
 P2取付点へ到着したがメンバーの体調が悪く、明るいうちにP2のビバークサイトまで辿り着けない可能性が強かったため、ここ北鎌尾根末端からのトレースはあきらめる。
 天上沢を遡り1750m付近に露営を決定し天幕を広げ始めるものの、ポールが極端に短くどうもエスパースミニ用ポールのようである。応急策として不足分の約1mは生木をテーピングで継ぎ足す。もしここが予定通りの森林限界上のP2ならば・・・・と思うとゾッとする。夜半から雨が降り出し、明日の北鎌を思うと眠れない。
 翌11日、小雨の中をタラタラと北鎌沢出合へ。メンバーの体調も悪いため北鎌は放棄し、東鎌尾根より槍を目指すことに決定する。天上沢は通る人もあまりないようで、雪崩のためかケルンもほとんど残っていない。1900m付近で道に迷うが、目標の水俣乗越が見えているので心強い。ガレの中を4時間も歩きやっと着いた乗越は、表銀座の名の通り登山者の行列であった。
 ここより小雪の東鎌尾根を3時間でやっと目標の槍の肩へ。雪をかいて天幕を張った後、槍の穂先を目指す。風が強くベルグラもはっているが、岩に慣れた我がパーティにとっては全く容易である。先行のハイカーグループが色々とアドバイスを我が女性達に与えてくれるのはありがたいのだが、もう少し速く登降して欲しいものだ。ピークからはガスで展望はきかない。せめて北鎌尾根ぐらいは見せて欲しかった。同日、穂先より女性一名、転落死した。合掌。
 10月12日、濃いガスの中を西鎌尾根より千丈乗越、飛騨沢より槍平へ下山する。槍平小屋は新しくなっているが、冬期小屋は昔のままの二階建て。7年前の偵察山行が懐かしい。新穂高ではバスターミナルのアルペン浴場(無料)に入り、栃尾温泉の民宿に投宿。露天風呂も気分が良いが、混浴できなかったのが心残りである。

〈コースタイム〉
10日 七倉(5:35) → 高瀬ダム(7:10~40) → 湯俣(10:5) → 硫黄尾根取付点(10:25) → 水俣沢吊橋(12:40~13:30) → P2取付点(14:30) → 幕場(15:40)
11日 起床(3:30)~出発(5:35) → 北鎌沢出合(6:5) → 水俣乗越(10:00) → ヒュッテ大槍(12:30) → 槍の肩(13:45)
12日 起床(4:40)~出発(6:35) → 千丈乗越(7:00) → 飛騨沢(7:40) → 槍平(8:35) → 滝谷出合(9:30) → 白出沢(10:35) → 新穂高(12:5)

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