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八ヶ岳・トレーニング山行
千代田 美紀

山行日 1985年11月3日~4日
メンバー (L)中沢、田中、千代田

 初日に阿弥陀岳北西稜と小同心クラックの2本を登って、シュラフなしのビバークをして、2日目は中山尾根と赤岳主稜を登るという計画を立てたのは田中君。
 "とんでもない事を考える人だ"と思いつつも、正月合宿のためのトレーニングだと言われ納得する。冬の北鎌尾根を目指す私は、『ふん! 登ってやろうじゃないの』と、一瞬闘志を燃やしたのだが・・・。
 11月3日、予定通り美濃戸駐車場を4時30分出発。美濃戸山荘を過ぎ南沢に折れ阿弥陀北西稜に向かう。この北西稜、登山大系には冬期時間4~5時間、かなりいやらしいと書かれてある。しかし今回の八ヶ岳にはゴミのような雪しか落ちていなかった。アイゼンもスパッツも無用の品となる。岩峰まではうっとうしいヤブこぎが続き、途中、突然動物の荒々しい鼻息に驚かされた。クマ・・・?顔がひきつりそうになったけれど、3頭のカモシカだった。あのずんぐりした体、太い足、なんで美しい足のことをカモシカに例えるのだろうと、余計なことを考えつつカモシカを眺める振りをして休憩を取る。
 さて、この雪の付いていない北西稜だが第二岩峰で冬期には人工でないと越せないかなと思われる所が一ヶ所あっただけで予想していたよりは、すんなりと抜ける。阿弥陀岳の頂上にはさすが連休だけあってハイカーが多い。北は真白、南は真黒、ドピーカンの天気だ。さすがは文化の日、この日は晴天の特異日だと言っていたが、360度の展望にカメラを持って来なかったことが悔やまれる。天気は良くても北西稜を登っている間(午前中)は、陽が射さないので凍えるだけ凍えきった体を稜線で少し暖め早々に行者小屋に下る。鉱泉を過ぎ、今度はエッチラオッチラ大同心稜を登る。ちょっと疲れも出てきたが、なんとしても今日中に陽のあるうちに小同心クラックに登りたい。基部に着いたのが16時15分。夕陽を浴びながら登り、結局下界の街明りとお星様を眺め、懐電をつけての登攀となってしまった。トップは田中君、クラックを抜けたのが18時20分。そこから2・3分上に行った所に、何とうってつけのような岩小屋があった。三人がちょうど横になれるだけの広さがあり風も防げる。何よりも眠っている間に落ちる心配のないのがいい(機会があれば、今度はビバークをしに行って下さい)。
 先ず着れるだけ着込んで、お湯を沸かし食事をとり、21時シュラフカバーにもぐり込み、ツェルトを被って寝る。朝2時には寒くてこれ以上寝られないと言って、中沢さんと田中君は起きてしまった。私一人ひっくり返っている訳にもいかず、しようがないのでEPIに火をつけ夜明けまで暖まる。5時30分岩小屋出発、横岳頂上から地蔵岳経由で、先ず行者小屋に戻る。ここはまだ陽が当らないから寒い。小屋の前でお餅を焼いて朝食と休憩をとり、8時50分、中山尾根に向かう。最初は樹林帯の中をゴソゴソ登り、岩に取付く。ここは尾根なのでルートは色々取れ、昨年登ったのとは全然違うルートで登る。そんなに易しくないけど程々に難しいルートです。最後の核心部、トサカはもうかったるいので止めてトラバースして稜線に出て、赤岳をまわって行者小屋に帰った。14時30分。デポしておいたツェルトを急いで詰めて美濃戸口に急いだ。
 結局、2日目は1本しか登れなかったけれど、2日間目一杯の行動でした。久しぶりに充実感のある山行だった。

〈コースタイム〉
11月3日 バス停(4:30) → 美濃戸山荘(5:50) → 北西稜取付き(8:30) → 阿弥陀岳頂上(13:00) → 行者小屋(14:00) → 鉱泉(14:50) → 大同心稜取付き(15:00) → 小同心クラック基部(16:15) → 登攀開始(16:30) → 終了(18:20) → ビバークP(18:30)
11月4日 出発(5:30) → 行者小屋(7:30~8:50) → 中山乗越(9:00) → 稜線(12:20~13:00) → 赤岳頂上(13:40) → 行者小屋(14:30) → 美濃戸バス停(16:10)

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