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八ヶ岳硫黄岳
升田 直子

山行日 1986年2月26日
メンバー 湯谷、千代田、高橋(清)、升田

 2月25日(土)。新宿を21時30分、城ヶ崎が変更になり、中沢さんの車で一同八ヶ岳へ。
 翌朝早く中沢さん、金子さん、吉岡さんは阿弥陀岳北稜への準備を整え、朝食もとらずに出発。残る私たちに"まだ寝ていていいよ"と嬉しい一言・・・。その言葉に甘えて7時に起床。外気の冷たさに動作も鈍く、早速スパッツを装着して8時に湯谷さん、千代田さん、高橋(清)さん、升田のメンバーで最初の小松山荘までのんびり歩き、お茶を一服の小休止。柳川北沢のコースはなだらかな道が続き、目の前を南北に連なっている八ヶ岳を湯谷さん、千代田さんが私達に、赤岳、中岳、横岳、大、小同心と説明してくれました。
 赤岳鉱泉では気温マイナス19度で、それまで長靴だった湯谷さんも登山靴に履き替え、先発北稜隊とはうって変わり、朝食を済ませた私達ですが、それでもなお栄養をつけて11時に硫黄岳へと出発。途中、樹林帯でアイゼンを装着し冷え性の私は千代田さんからオーバーミトン・目出帽を借り、手の感覚がないので湯谷さんにピッケルを持ってもらうなど、なんとも醜態続きで内心"ビタミンE、漢方薬を飲んで冷え性を治さないといけないなあ"と考えていた次第でした。
 時折、樹林帯の間から阿弥陀岳を振り返り、こちらの状況と違い風除けがないので、寒風の中想像もつかない厳しさだろうなと思いました。一時期全員、手の感覚がなくなるという状態でしたが、赤岩ノ頭に着く頃は大分良くなり、そこでオーバーズボンを履くなど頂上を目前にイザッ!!・・・の筈でしたが、私一人だけ完全に感覚が戻っていなく、稜線に出ていきなり連続的な強風にあおられ、体がぐらつき握っている筈のピッケルが風になびく? という惨事で山頂に着くまでかなり時間を費やしてしまいました。体感温度マイナス30度くらいと言われましたが、それでも360度の展望バッチリで八ヶ岳は勿論のこと遠く北・南アルプスそしてみんなが合宿で登った槍ヶ岳まで見渡せてもう感激のしっぱなしで、本当にここまで来て良かったと思いました。
 予定時間をオーバーして14時に着いたのでその足ですぐ下山。相変わらずの突風に少しまごついていましたが、それでも何か動きづらいと思ったら、後ろの湯谷さんが私が飛ばされないようにとリュックのバンドを持っていてくれました。千代田さんも心配そうに時々様子をうかがうように振り返ってくれたり、何気ないフォロー気遣いに心から多謝、多謝。初めてのアイゼン歩行でしたが、天候に恵まれ、サクサクの雪だったので思い切りガニマタで歩きました。
 赤岳鉱泉に戻ると気温が朝より2度上昇のマイナス17度。そこでアイゼン、スパッツを取り外し、湯谷さんは愛着があるのか又、長靴に履き替えるなどして少し休憩。ここを出ると時間を気にしてか、不意に千代田さんが走り出し、後に続く私たちもただひたすら走りまくったのでした。
 15時30分に美濃戸に着く予定が17時になり、北稜の人達は寒い中を待っていたようでした。全員無事に揃って車に乗り込むと、寒さでバッテリ上りしたらしくエンジンがかからないので中沢さん、吉岡さんが先方に連絡を取りに走ってくれるなど、その間そこでしばらく滞留。迎えの車が来てザイルをつなぎ、暗く寒い中を全員で後ろから車を押してやっとエンジンがかかるというハプニング。前日"中沢号での山行は何かと御前様になるからね"と言われたことがやっと納得。
 ここまで来たら行くしかない・・・っと一路銭湯へ向い、21時には甲府を出ました。運転手の中沢さん、風邪で調子の良くなかった千代田さんを始め、皆さんご苦労さまでした。


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