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春の訪れは無精髭とともに
田中 敏

 明日は、長野駅で千代田先生と落ち合い、戸隠へ向かおうというのに、私は雪洞の中で相棒と馬鹿話をして馬鹿笑いをしていたのだった。
 3月23日、関東地方に時ならぬ大雪をもたらした低気圧のせいで、唐松の八方尾根上はあまり快適な天気ではなかった。例によっていいかげんなゴマカシ登攀で、不帰三峰C尾根でお茶をにごしてきた。我々三人は下山すべく幕をたたんだものの、今回の不帰一峰尾根を長くて時間がかかりそうだという理由で、晴天であるのにかかわらずあっさり放棄し、短くて楽そうな三峰にルート変更したことからも解るように、相変わらずの意志薄弱、日和見的御都合主義で、やさしく頬をなでる風の誘惑に負けて下山意欲をなくし、他人の作った雪洞にもぐり込んだ次第である。しかし、落ち着きのない我々のこと、数分もすると退屈で手持ち無沙汰になってしまった。「明日まで暇だなー。食物もあまり無いしなー。」と考えているうちに、この居心地の良いリビングルームも嫌になってしまったので、そこは何でも自分の都合の良いように考える我々のこと、さっきより風の誘惑も弱まり視界も良くなったと勝手に判断して、下山を始める。
 八方尾根スキー場まで来るとスキーヤーで混雑している。カラフルなウェアに身を包んだギャル達が大勢いるが、不思議なことにいつものように「キレイだな、カワイイなー」と思えるような娘がいない。私はまだまだ一人前のアルピニストではないのであろう。山から下ってきたらスカートをはいているだけで、生物学的分類上♀であるというだけで、まぶしく見えるようでなければ一人前とは言えない。あのぶさいくな小林麻美や中森明菜が美しく見えるような厳しい登攀をしたいものだ。
 3月24日、昨日予定通り下山できたため、千代田さんとの待ち合わせまで余裕ができたので、なぜか帰京を一日遅らせた他の二人と大町や松本でブラブラしてしまい、夏と同じように気合が抜けてしまった。昼過ぎに二人と別れ単身長野駅へと向った。
 学校の先生は暇である。特に養護の先生は恵まれている。職場に昼寝用のベットが有るのだから。その恵まれた立場にいる千代田先生が何を思ったか、山のような荷物を持ってホームへ姿を現わした。今日一日のプータローで気分が乗らない私はそれを見た途端、全く気持ちが萎えてしまって、体中の力が抜けていくような気がした。
 駅前広場の橙色の灯の中、しんしんと降り続ける雪がスローモーションのように辺りを白く包んでいった。「予定とはあくまで予定であって、絶対ではないのである。己の力を知って臨機応変に事に当たること。」と、私の尊敬するワルテルボナッティが言ったかどうか知らないが、機に臨んでそれに応じて予定を変えることが、得意中の得意である私は、既に当初の予定であった西岳第三尾根をさっさとあきらめP1尾根にルートを変更することに決めていたのである。不帰では、一峰を三峰へ変更したのだから、戸隠ではP3をP1へ変更するのが当然であり、それが平等かつ公平というものだ。最近はいじめが問題になっているが、それは私のように真に平等かつ公平であるべく配慮することのできる人間が少ないからであろう。
 そんな訳で、私の心変りによってまた一人罪の無い女性を泣かせることになってしまったのである。しかし、私は自分の気持ちを素直に彼女に伝えることができなかった。私を信じて、単身宇和島より上京し長野駅まで追ってきた彼女のふてぶてしい横顔を見ていると、私の気持ちを伝えるには、あまりにも私の身が危険なように思われた。刃傷沙汰だけは避けたい、そう思った私は切々と彼女を諭したのであった。いかにP3尾根が厳しく危険であり、おまけに昨日からの雪でどれ程困難になっているかを。幸いなことに彼女は納得してくれたようだった。彼女からの提案によりルートをP1尾根へと変更し、我々は安らかな眠りについたのだった。ただし私は彼女のピッケルをそっと隠しておくことを忘れなかった。雪は相変わらず舞っている。
 25日、タクシーで戸隠へ向う。宝光社手前で左に折れ上楠川まで。時折、雪が舞う中しばらくの林道歩きの後雪原へ、連休後ということで期待していたトレースも新しい雪で消され、早くもやる気をなくしてしまった。もっともハナからそんな気持ちは持っちゃいないが!、しかし、他人に汚されていない雪原を自由に歩けるというのは、とても気分が良い。私は自分でも天才かと思う程、ルートファインディングには自信があります。絶対に正しいルート、良いルートは選びません。おまけに、辺りの地形や自分の都合に合わせて地図を読みます。いつも私は自分のセンスの良さに驚いています。登山とは所詮個人の遊びです、どこを通ろうが目的地に着き、予定通り無事帰ってくれば良いだろう、文句あっか?。
 沢沿いにウロチョロしながら進むと、やがて二俣になる。右へ折れれば戸隠神社中社へ、真中は本院ダイレクトへ、P1尾根は左俣の左の尾根だ。ここから尾根上まで深雪の急登だ。私は足が長いので、せいぜい膝ぐらいまでだが千代田先生は胸を超すようなラッセルだ。それにしても千代田先生のラッセルは見事だ。ろっぱな双耳峰で雪を崩し固め乗り越えてくる。一度、冬の剣にでも一緒に行ってみたいものだ。
 やっとのことで尾根上へ這い上がる。そこはまるで別世界だった。そこだけ樹木の無いなだらかな雪面が続いている。銀色に輝く柔らかな雲海の上にいるようだ。夢のような雪原に背を向けるとガスの中に、うっすらと西岳の壁が浮かび上がっている。我々の目指すルートである。しかし僕は今回に限って何故だか、何もない雪面に惹かれてしまった。小用のために姿を消した千代田先生が戻って来なければいい、誰にも邪魔されずにただ一人きりで雪に埋もれていたい、そう願った。柄にもなくそんな気を起こさせるような特異な世界だった。やがて無粋な千代田先生がガニガニ戻って来た。雪はあまり深くはないが遅々として進まない。いつもならこれぐらいのラッセルならホイホイと進めるのだが、今回は取り付きへ急ごうという意欲が湧かずラッセルにも気合が入らない。それでもようやく天狗原を過ぎ、やがて右手の木の間間隠れにジャヌーが姿を現す。鷲が翼を広げたようなその姿はまさにジャヌーそのものだ。以前まだクンパカルナがジャヌーと呼ばれていたころ、やはりここに来てその姿に見ほれたっけ。山を初めてまだ1年目同期の仲間と山へ通ったっけ。会の三月合宿での戸隠合宿。スノーシャワーを浴び、キノコ雪や雪庇を崩しての登高。春の陽射しを背に、隣のルートで頑張っている仲間と手を振り合う。楽しかった思い出が甦ってくる。「まだ少し早いけど、ここに幕を張ろう」そう思った。今回は雪洞を掘ろうとスノーソウを持って来ている。僕は実際の山行で他人のスコップを借りて掘ったことはあるが、たいていはピッケルとコッヘルやメットを使っての土方だったので、雪洞のために専用の道具を持って来たのは初めてだ。だいたいスコップやスノーソウがあれば雪洞なんてものは阿保でも掘れるものなのだ。そこで阿保な私はさっそく掘り始めたが、どうも雪質が良くないように思えた。あきっぽい私は嫌気がさしツェルトを張ることにした。子供のころの積木遊びよろしく雪のブロックで陽が傾くまで夢中になって遊んだ。
 陽が落ちるとさすがに冷え込んできた、風もなく静かな夜だった。
 26日、朝4時に月の明りで目が覚める、といえばコッカイイが本当は生理的現象のためである。起床時間は5時、あと1時間こういう時は時間のたつのが異常に遅く感じられる。隣に寝そべっているトドが憎たらしくなって一発どついてやった。4時40分もう我慢できない、モソモソと外へ這い出す。この時のツェルトの外の世界の思い出は僕にとってはとても印象深く、大切なので口外しないことにしています。千代田先生を起こしてやろうかなあ、と思ったが正直なところ邪魔くさいと思ったので止めにした。僕一人でこの素晴らしい世界を満喫したのでした。
 朝食を終えた時点で、既に頂上に向うことはあきらめていた。のんびりと出発、朝日の中のスノーハイクは気持ちがいいものだ。樹木の間に昨日は見えなかった雪や氷で着飾った黒い壁が見え隠れする。急登になる手前で壁に背を向けしばらく昼寝。そのまま後を振り返ることなく下山に移る。幕を撤収しスタコラ下る。夢の雪原まで来てはじめて後を振り返る。紺碧の空の中に大岩壁が屹立している。この時僕がどのように感じたかはこれまた内緒、残念でした。そう簡単には自分の本当の気持ちを他人に言えるかってーの。
 という訳で結局何しに行ったのかよく解らない今回の戸隠行でしたが、感受性豊かで繊細な神経の持ち主である私にとっては、色々と感じてあへあへ言ってしまった山行でした。戸隠から戻ってから鬼無里へ行ったり、妙高でスキーをしたりしていたのだが、私の思うところによれば山岳会の会報に記録として載せるような代物ではないので割愛させていただきます。
 3月21日から30日までの10日間。フキノトウが芽を出すように伸びだし、同行者に見苦しいと顰蹙を買いながらも最後まで私と行動を共にした私の髭も、春の息吹を感じて精一杯背伸びをして、春の陽を受け立派に成長したのだった。髭が伸びるにつれ、日一日と春を身近に感じるようになった10日間でした。


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