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富士山 ブカッコウ
服部 寛之

 まさか僕が、事もあろうに富士山でスキー滑降を試みるなんて、お釈迦様でも思いつかない冗談だったに違いない。冗談にしてもきつすぎる。降りてきたら、それこそオシャカになってた、なんてことになりかねないじゃないか、と最初僕はそう思った。富士山滑降だなんて、山を始めた1年前には想像だにしなかったことである。だいたい体育は中学以来常に赤座布団、すばらしく鈍い天与の運動神経は、当の本人にもあまり信用してもらえてないというのに、そもそも山スキーなんぞ始めたこと自体どうかしているのだ。しかもスキーはまだ2シーズン目。滑れば100%の確率でコケまくる自信がある。それ程の確信を以ってしては、あの三浦さん(拘置所でお暮らしの方ではない、念のため)が滑った富士山にスキーを担いで行く気にはとてもなれなかった。だから例会計画表を見た時、富士山スキーは頭からパスだと思っていた。そんなある日、ルームで「服部さんは富士山に行かないの?」と千代田さんに言われた時は、内心「ウッソー! マサカァ、ムリですぅ」と叫んだのであったが、話を聞いてみると斜度は上部は急だがあとはそれ程でないと言う。それに急な所は斜滑降でキックターンを繰り返せばいいじゃないかと言う。吉岡さんも笑顔で「行こうよ」と誘ってくれる。「みんな気楽に言ってくれるよなあ」と思いつつも、僕はまだ不安であった。ツルツルのアイスバーンだったらどうしよう。コケたら下まで止まらないんじゃないか。それ程の斜度ではないと言っても、僕には急斜面かもしれない。それにキックターンだって上手くできない。長すぎる足がもつれてしまうのだ。富士山に登ったことがなく状況が全くわからないので、想像は悪い方悪い方へと傾いて行くばかりであった。
 それからしばらくして春山合宿となり、たまたま水上ステーションホテルで同室となった湯谷君が友人と富士山スキーに行ってきたばかりだというので話を聞いてみると、雪はアイスバーンになっていないし、コケても止まらないなんてことはないよ、とこれまた気楽に言う。「そうか、それなら僕が行ったって何とかなるんじゃないか」と素直な僕は諸先輩方の楽観的分析をそのまま受け入れ、すっかりその気になったのであった。かくして、僕の初めての富士登山は、スキー滑降という何も事情を知らない人が聞いたら一寸カッコイイ、運動神経の鈍さでは人並み以上に自信に満ちあふれる僕としてはマコトにexcitingな、従って無節操的楽天主義に裏打ちされた、と言えなくもない山行になったのでありました。
 当日、スバルラインを登って行く中沢号から見上げた富士山は、ボリュームある端正な山容を快晴の空へ突き上げていた。上半分に残る雪が白く輝いている。このぶんだと頂上ではすばらしい展望が望めそうだと期待にワクワクしながら五合目に着くと、何ともの凄い風である。「こんな強風ではどこまで登れるか判らないが、とにかく行こう」と状況は一寸くもったが、スキーをザックに縛りつけ、閑散とした駐車場を出発した。しばらくトラバースぎみにやや下って登り始める。実は僕は先週、先々週に引き続き今日もオナカが不調だ。ここのところ週末の山行が近づく度に腹の調子が崩れるが、疲れが溜まっているのだろうか、一瞬歳を感じあせる。(そして次の瞬間、そのあせりを慌てて打ち消すのだ。この心理、ワッカルカナー。)パワーが出ない僕は、登るにつれて次第に皆に遅れぎみとなった。昨夜から食べる時を除いて怪眠グースカを決めこんで寝る子は育つを実践している千代田さんも、どうした訳か遅れぎみ。膝が痛い章子さんは、さらに遅れてゆっくり登ってくる。
 山の天気はわからないと言うが、あれ程晴れていた空も六合目を過ぎた頃から雲が出始め、やがて雨となった。風は相変わらず強く、瞬間的に来る強烈なブローに担いだスキーが煽られて、立ち止まらなければ吹き飛ばされそうだ。そんな天気にさっさと愛想をつかした章子さんは、七合目あたりから一足早く一人で下って行った。残った僕らは七合目半ばまで登ったが、みぞれ混じりとなった強風に前進を断念し、登山道から雪渓に下りた。雪渓は幅100m位、見るとピッケルを持った男二人のパーティーが頂上目指して快調にステップを切っている。上方へ延々と延びる雪渓は、頂上まで続いているようだ。斜度は20度強といったところか。ザラメで瘤も無い。一寸安心。それに少し窪んだ谷間のような地形のためか、強風にまともに吹かれず、滑るには具合が良い。仕度をして、さていよいよ滑降である。恐る恐る滑り出したら、アレヨアレヨと思う間に雪渓の反対側に来てしまった。ここでキックターンを試みる。例によって、もつれてひっくり返る。長い足を持つと、こういう時つらい。そうこうしている間に、皆んなはさっさと滑り降りて行く。コケているのは僕だけだ。みんな目を見張るぐらい上手だ。山ヤのいでたちもカッコ良く、斜滑降にボーゲン、中にはウェーデルンで決める者もいる。にくたらしいったらありゃしない。僕はといえば緊張してすっかり舞い上がり、ゲレンデで本を見ながら練習したことなどきれいに忘れ、雪面を睨む形相もすさまじく、ただただ必死に下るのみ。斜滑降はブカッコウ、足のハノ字に眉毛もハノ字、立ってはコケる繰り返し。見上げるみんなは待ちくたびれて、転がるアタシャ、コケ疲れ、それでも何とか下に着きゃ、御苦労様たあ情けない。この間10分位。偵察に出た吉岡さんが、隣に更に下まで延びている雪渓を発見し、皆でスキーを担いでエッチラオッチラ、トラバース。そこから5分程下ると、雪渓が切れて、チョン。スキーはここでおしまい。板を担いでわずかに下ったら、そこはもう五合目だった。3時間余りかけて稼いだ高度も、僅か15分位で下ってしまい、あっけなく終ってしまった感じ。みんな滑り足らなさそう。僕も勿論滑り足らない。どうせ雨でパンツまでぐっしょり濡れてしまったのだから、もう少し雪があってくれても良かった。
 という訳で、今回のスキー滑降はもの足りなさを残して終わりとなってしまったのであるが、その後の事態の展開は僕にとっては山ヤの精神とはどうあるべきかについて深く思索する貴重な経験を得る機会を提供してくれたのであった。
 降り続く雨に濡れそぼって車に戻り、何はともあれすき腹にエサを詰めたが、冷えた体は一向に温まらない。冷たい雨から逃げるように、行楽の車でごったがえす駐車場を後にした。しばらく下って行くと雨は止み、やがてポカポカ日が射してきた。スバルラインも出口に近づいたあたりで、これからの予定を協議すべく道路端に車を止め、丁度昼どきでもあるのここでメシにしようかなどと話をしていると、ポカポカの陽射しを本能的に察知したのか怪眠グースカの千代田さんがムックリ起き上がり外に飛び出すと、濡れたヤッケやザックを道端の陽だまりの中に広げ出した。こういう気持ちいいことは、たちまち伝染するものだ。車の横はあっという間にカラフルなガラクタ市が店開き。かと思ったら、すぐにバーナーとコッヘルが出てきてピクニックが始まった。そのうちに、アスファルトの上が暖かくていいと路上に横になる者も出る始末。その横を車がビュンビュン通り過ぎて行く。その度に驚いた顔、あきれた顔、楽しそうな顔、胡散臭そうな顔、ナンダナンダといった風な顔、怒った顔、何が何だかワカラナイという顔が、珍しげな視線を僕らに投げかけていく。こんな所でこんなことしていいのかな?、良識あふれる僕は思わず「ねえうちら見せ物になってるんと違う?」と危惧を遠回しに表現したら、「人がどう思おうと関係ないの。こっちがむこうを眺めていると思わなきゃ、ダメよそんなことじゃ。山やるなら神経は太く持ちなさい。」と章子さんにたしなめられてしまった。この言葉に、他の人達もさも当然といった風。それを見て、即反省する素直なカワユイ性格の僕。こういう経験の積重ねを経て、山ヤという人種は形成されていくのだ。愛すべき先輩達の指導の元で・・・。
 こういったことになろうとは、山を始めた1年程前には想像だにしなかったことである。気が付けば、いつの間にやら深みに・・・・ 嗚呼、山は泥沼か。


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