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春山合宿
その3 5月3日間 平標隊の記録
荒川 洋児

山行日 1986年5月3日~5日
メンバー (L)小泉、中沢、金子、牧野、市川、高橋(清)、荒川

 それは遅刻から始まった。残業に追われながらふと時計を見ると、既に針は20時を過ぎていた。慌てて「今日は用事があるので」と家に帰り、ザックを持って飛び出すつもりでいたが、ドタン場であれがない、これもない、そして、氷川台は遠かった。というわけで、集合場所に着いたのは、予定を30分ほど過ぎていたのだ。

後輩は災いを招く
 中沢号で土合に着き、ながーい階段を一気に下る。ここを下るなんてめったにできない経験ですね。待つことしばし、下り最終電車がホームに入ってくる。中からベース隊の人々も出てきたが、なぜか大学のクラブの後輩もスキーをかついで降りてきた。「よう、かわいい娘さんは入ったかい」などと話しながら、時計に目をやる。大丈夫、まだ15分だ。この時私は、なぜか電車が出るのは20分過ぎだと、固く信じて疑わなかったのである。時計にチラチラ目をやりながら、まだ話せると思っていた私の耳に、突然ドアーの閉じる音。音の方を見ると、今まさにドアーが閉じていくところであった。アラーと悲鳴を上げたがもう遅い。窓から皆んな何かを叫んでいるが、無情にも電車はゆっくりと動き出した。周子さんの「荒川君どうしてそんな所にいるのー」、という叫び声を残して。とり残された私は、ボーゼンとしてホームにたたずんでいたが、こうしていてもしょうがない、とベース隊の人々と再びあの長い階段を登り始めたのであった。
 翌日は、朝早くから目が覚めた。今朝一番の電車に何としても乗らなければならない。と思いはそれほどまでに強かった。だがそれ以上に強かったのは、寒くて寒くてこれ以上寝ていられない、という過酷な現実だった。起きたらすぐ出られるように、それに何より面倒だったので、シュラフカバーだけで寝たのだが、セーターも出さずに(代りにヤッケとカッパを着ていたが)カバーのみ、というのは寒がりの私にはシビアに過ぎたようだ。というわけで電車が来る1時間近くも前から私はその辺をフラついていた。やがて、ベース隊や白毛門隊も起き出し、一緒に写真を撮って、お茶をごちそうになってから、私は三度階段へと向かった。
 越後湯沢の改札口を出ると、ちょうど周子さんたちがシュラフからはい出したところだった。なあんだ、焦ることもなかったかと思ったら、実は私のためにバスを1本遅らせたとか、ゴメンナサイ。
 とかするうちにバスに乗り、降りると歩き始めたのだが、いきなり道がわからない。中沢さんが道を探している間、こっちは「ここいい天場だね。たき火の跡もあるし、今日はここ泊ませんか。」しかし、このような案を周子リーダーが受け入れるわけがなく、いや誰だってそうだろうが、道を見つけると再び登り始める。久し振りの重いザックが肩に食い込み足が重い、俺ももう歳かなあ、などと思いながらも感心するのは中沢さんの強さ。自分の体を持ち上げるだけでも、私よりずっと負担が大きいはずなのに、さらにジャンボを持っているのだから。
 とか何とか言っているうちに、松手山頂上で昼食。少しは荷が軽くなるかと思ったけれど、大して変んないんだなこれが、なにしろビスケット少しとジュースがなくなっただけなんだから。食事を終え歩き出すと、荷物は軽くならなくとも、それまでの急登(と言う程でもないかもしれないが)から稜線に出ていく分は楽になった。そうして平標を過ぎ、仙の倉に着いた所で16時10分。風が冷たい、結局、頂上付近に天幕を張ることになった。テントの下はササのじゅうたん。風当たりも弱いし、すぐ脇の雪渓でビール・ワインも冷やせるいい所です。
 食事後は酒も入っていい気分になって、いつの間にやら、怪談が始まった。かの有名な「恐怖のみそ汁」や「猫の怨念」、「悪の十字架」、「シューマイの怪」、「血がとれないコートの話」etc. etc. やがて真打登場。金子さんが、いかにも恐ろしそうな話を始めたのだが、中沢さん、周子さんから強い中止の要請が出て、金子さんの話は途中で打ち切られてしまった。私は何とかその続きを聞き出そうと、色々な話で場の雰囲気を盛り上げようとしたのだが、いじけてしまった金子さんは「この話はもう封じた」と言って、続きを聞かせてもらえなかった。その夜はササのじゅうたんのおかげで、暖かくよく眠れた。土合駅よりもずっと暖かかったよ。
 翌日、天気は曇り、ラジオによると東京は雨が降っているそうだ。相変わらず重い(私にとっては)ザックをかついで歩き出す。昨夜、食料を出したのでこれで軽くなったと思って喜んでいたら、他の人から食料を渡されてしまった。3リットルのビールも飲み干して、軽くなるかと思ったが、このミニダルはポリタンに化けて水を入れられてしまった。最もビールの匂いがしてマズイ、と言って皆さん飲もうとしなかったが。本日は調子が良ければ芝倉沢ベースまで一気に行ってしまう予定だが、なかなかペースは上がらない。という訳でオジカ沢の頭での昼食が1時少し前。いつの間にやら空は晴れていた、やっぱり日頃の行いが良いからだろう。
 だが、ここから先の長いこと長いこと。それでもトマの耳までは頑張ったが、今日は一ノ倉岳泊りとなると、気が抜けたせいかすぐそこに見えている一ノ倉岳の頂上が、一向に近くならない。一日の疲れがどっと出てきた感じで、足元もヨロヨロしている。途中何度も一ノ倉説明会を聞きながら歩いては止まり、またちょっと歩いては止まりを繰り返しながら、やっと幕場に着いた時はあーもう歩かなくてすむと、嬉しかったこと。
 この夜もササの上にテントを張り、金子さんに怖いお話をねだったけれど、してもらえなかった。それにしても、前日ワイン等を雪渓に埋めて冷やしたまま忘れてきてしまったのが残念だった。テントの中では前日に続いて、しょーもない話や、金子さんのトリエの話が繰り広げられた。
 翌日は朝から晴れ。幕場から少し下ると芝倉沢の雪渓になる。ここで今回の山行で初めてアイゼンをつけた。サングラスも初めて役立った。今まではほとんど雪の上を歩かなかったのだから。しばらく下って傾斜が少し緩くなるとアイゼンを外してグリセードやシリセード、各自勝手に下り始めた。ひっくり返ったり転がったり、それでもニッカーを濡らすのが嫌で、グリセードしてゆっくり行くと、下から金子さんが脇に寄れと言ってきた。クレパスがあるらしい、言われた通り進路を変えて、クレパスの横で止まると、オヤ? 市川さんが中から出てくるところだった。わざわざクレパスの中に入ってみるなんて、物好きだなーと思ったら、実はシリセードしていて落っこったとのこと。下から見ていた金子さんが言うには、滑って来たと思ったら突然消えたので、驚いたとか。幸いケガがなかったから笑い話になったが、クレパス内には岩が露出している所もあり、打ち所が悪かったら大騒ぎになるところだった。とは言いながらも、落ちる瞬間を目撃できなかったのが残念だ。市川さんによると、すぐ近くまで来てクレパスに気づき、止まろうとしたが止まれないので、それならば飛び越してしまえと思ったけれど、反対側に足が触れただけで落ちてしまったそうだ。いやー、クレパスに消える一条のシリセードの跡というのもなかなか風情があっていいと思うのですが。とか何とか言う内に、ベース直前で牧野さんが顔からコケるというトラブルもあったが、何とか全員無事にB.Cに着いて、目出度い目出度い。あー疲れた。


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