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春山合宿
その4 白毛門コース
溝手 康史

山行日 1986年5月3日~5日
メンバー (L)千代田、川又、田中、溝手

 我がパーティは白毛門~朝日岳~蓬峠~武能岳~芝倉沢というコースをとったが、天候にも恵まれ、無事に完踏することができた。これはひとえにリーダーを始め全員の計画性豊かな規律ある行動の結果に他ならない。そういう意味で我々4人は、人格者の多い三峰山岳会の中にあっても、まさにその模範的な山行をしたのではないかと思われ、喜びに堪えない次第である。
 5月3日(土曜日)。早朝土合駅を出発した時、僕は行動食が酒のつまみしかないことに気づいた。白毛門への急登では、1名だけ大変元気の良い者がいたようだ。だいたい40分歩いて30分休憩し、そこで必ず何か食べるという怪調?なペースで、白毛門、笠ヶ岳へと高度を稼いだ。曇っていたが視界は良くマチガ沢、一ノ倉沢が良く見えた。
 笠ヶ岳から少し下った所にテント場にぴったりの場所があり、今日はここでテントを張ろうという意見が出て、その意見が一瞬大勢を占めそうな微妙な雰囲気が生じた。時刻は13時30分だった。しかし厳格な千代田リーダーの鶴の一声で、その意見は抹殺された。
 朝日岳への登りでは、久し振りに山に登るという川又氏の調子が悪そうで「ハー、ヒー」という"妊婦のかけ声"を発し、それが余りおかしいので、他の者も足腰に力が入らず調子が乱れ、おかげでオーバーペースにならなくて澄んだのは全く見事という他はない。
 朝日岳を少し下った所に幕営したが、この夜は風もなく暖かくて快適で、空にはお星様がキラキラキラキラ思わずメルヘンの世界に浸るのでした。
 他方、テントの中では、男どもが酒も飲まずに熱っぽい口調で「自家発電の運動とグリコのカロリー」について語り合い、余り意味深い議論に純真な千代田譲は全くついていけないのでした。
 「明日は5時起床、7時に出発よ」という千代田リーダーの命令を単なるシャレに受け取るには余りに正直な僕は、翌朝不覚にも5時に起きてしまい、その結果眠っている人の安眠を妨げたことを深く反省しています。結局、6時起床、8時出発という早寝遅起に徹し、健康優良児的に睡眠を十分に取りすぎ、おかげで体調がイマイチという僕達の山行なのでした。
 朝日岳から清水峠へは雪のある下りだったので一気に駆け下りた。清水峠で休憩していると、ビニール袋に入ったモチを発見。男3人はこれはデポしてあるのではないかとためらっていると、千代田譲は「これは絶対に忘れ物よ」と言って、あっさりとザックの中に仕舞ってしまった。生活の原点を見た思いがした。
 七ッ小屋山付近でトランシーバーで交信したが、受信は出来たが送信が出来なかった。結局、今回の山行中送信は一度も出来なかった。トランシーバーの声では足拍子隊が大源太山頂にいるということなので、そちらの方を見ると確かに山頂に人がいるのが見えた。
 蓬峠で足拍子隊と合流した後、芝倉沢を下る予定だったが、武能岳と茂倉岳の鞍部付近から下れそうなので、そこを下って芝倉沢に合流し、無事BCに到着した。僕は2年間郷里の広島に戻っていたので今回の山行は、三峰山岳会の山行としては2年振りだったのだが、はっきり言って「三峰は2年前と同じだ、いや、ひょっとしたら一層品が落ちたのかも・・・・」。というのが感想である。
 例によって、今回も山行中はほとんど何もしないで3度の食事にありつけました。ありがとうございました。


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