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春山合宿
その5 巻機山~朝日岳~蓬峠縦走
服部 寛之

山行日 1986年5月3日~5日
メンバー (L)川田、鈴木(章)、川村、服部

 国境の長いトンネルを抜けると北国のハズだった。ところがどっこい雪国はすでに北に遠く、山里はもう春の装いであった。淡緑の木々、桜の花、桃の花、弾んだ土、取り残された残雪、窓の外には温かな色たちのハーモニーが揺れている。何と心楽しくしてくれる風景なのだろう。柔らかな春の光が車内にあふれた。
 休日の六日町は、まだのんびりとした眠りの中にあった。部活にでも行くのであろうか、駅には数人の高校生と若干の勤め人。商店街はまだ大半がシャッターを閉じたままだ。清水行きのバスは先程一本目が出たばかりで、次は正午過ぎまで無い。サスガ田舎だけのことはある。と変なところで感心する。タクシーを捕まえて清水へ。巻機山へ登るといったら、運ちゃんは清水のバス停脇からのアプローチを少し登ってくれた。車をすてて8時40分に出発する。
 巻機山はスキーの適地だと聞いていたが、なるほどスキーを担いだパーティが多い。ピッケル組はあまりいないようだ。ほどなく雪が出てきたのでスパッツを巻く。ここ巻機山の裾野はまだ一面の雪だ。駅から車で少し入っただけなのに、こうも違うものかと驚かされる。雪解けの水の躍る小川のせせらぎの音を聞きながら行く雪道は楽しい。腐っても雪。鯛と違って臭わないのは大変よろしい。だが、こうした楽しい春の気分を敏感に予感していたのか、僕のオナカは今にも賑々しく村祭りを始めそうであった。実は一昨日からその準備に入ったようだったので、僕は用心して昨日は何も食べてなかった。今朝は電車の中でバナナ4本を口にしただけである。山に入ってからピーヒョロピーヒョロやられたもんにはたまらない。そんな不安を映しているのか、空はどんより曇り空。天気予報は下り坂、僕のオナカも下り坂。登る尾根は上り坂。相乗効果でもたせようと、トップの僕はいつもの調子で登って行った。
 まもなく、雪が消えた一隅で朝メシ。皆がパクついているうまそうな弁当を横目で睨みながら、僕はバナナ2本を補給した。偽巻機への尾根の下部は、雪の雑木林の中をくぐりながらの急登であった。スキーのパーティは板が枝に引っかかって悪戦苦闘している。そこを抜けると尾根道に出た。2万5千の地図の1128m付近である。一部雪が消えた所でザックを下ろして二本目。谷を隔てて今夜の宿泊予定の米子頭山が目の前に立っている。僕らのコースは北東の方角へ巻機山を目指して登り、そこから稜線を南へ辿るのである。先が見えたことで、だいぶ気が楽になった。おみこしを上げて出発。その先は気持ちのよい大雪原が広がっていた。雪原を過ぎ、尚も登って行くと、斜度が落ちて再び広い雪原が開けた。一本取ろうとの声にザックを下ろして振り返ると、素晴らしい眺めが待っていた。見渡す限りの藍と白との山の連なりである。雲は高く、視界はバッチリだ。大源太山、七ッ小屋山、その後には仙ノ倉山、万太郎山、茂倉岳の連嶺が見える。その右手のは苗場山だろうか。明日の幕場に予定している清水峠は意外な近さだ。「アー、来て良かった! こういう景色を見ると疲れなんか忘れちゃうんだから、山ヤも単純よね」と章子さん。全く同感。しばし眺めを楽しんだ。
 その先は偽巻機の頂上(1861m)まで一気に登って行く急斜面であった。この急登にかかる頃から僕は調子が落ち始めた。急登に喘ぎながら、自分でも不思議な程急速にパワーが失われていく。やっとの思いで頂上に辿り着いた頃には、バナナ・エネルギーは完全に燃え尽きていた。カラッポの胃が気持ち悪い。巻機本峰への鞍部までの緩い下り斜面にも、頭がクラクラする。その時「ここでメシにしよう」と一面の雪の中にポッカリと浮き出たササの島をリーダーが指差した。天の助けとばかりにザックを投げ出してひっくり返る。皆はさっそくムシャムシャ始めている。僕も残りのバナナを取り出してはみたが、全く食欲が無い。しかし無理にでも食べねば完全にバテてしまうのは目に見えている。「こんなものでも、食えばエテ公だってかなり動けるじゃないか。オレはサル歳だ!」と独り納得してバナナ2本を喉の奥に詰め込んだ。
 そこからは隊列のオーダーを変えて章子さんがトップに立った。遠く巻機の頂上に立つパーティが小さい。白一色の斜面に距離感がつかみにくい。スキー組はこの辺りから引き返して行くようだ。雪を切る音も気持ち良く滑り出して行く。45分程で巻機山頂(1967m)に着いた。13時15分。山頂は広くどこが最高点だか判りにくい。川田さんの話では、この辺りの頂をひっくるめて巻機山と呼ぶのだそうだ。雪を押し退けて頭をもたげているササの上に荷物を放り出して皆で胡瓜をかじった。生まれてからこのかた、胡瓜がこんなに美味しいと思ったことはなかった。巻機山はその名も優しい響きがするが、山容もなだらかな丘が連なって女性的である。雪が付いて丸みが増した丘は、一層その感を強くする。僕はこの山が気に入った。もっと寒い時期にスキーで来たら面白そうだ。
 山頂からは、南へ延びる稜線上に米子頭山といくつかの小さな瘤が重なり合って見えた。予定のコースではここ巻機山が一番高いので、ここからは多少の登り返しがあるものの、全体的には高度を下げて行くことになるので少しは楽になるだろう。それに今日はそこに見える米子頭山までのもう一踏ん張りだ、と楽観的希望にすがってヘラヘラと重い腰を持ち上げると、「今日は米子頭山を越えて、もう少し向こうに幕を張ろう」とのリーダーのアリガタイお言葉。ガ~~ン!! 一瞬にしてはかなくも崩れ去る希望。こうなってはただ忍の一字あるのみ、と暗澹たる気持ちで決まりの悪い腹をムリヤリ決める。米子頭山(1796m)へはどうやって辿り着いたか覚えていない。頂上へ着くなり僕はひっくり返った。そこでは驚いたことにお年寄りばかり7~8人の男女のパーティと一緒になった。お見受けしたところ皆さん還暦は超えておられる様子。その達者振りに畏れ入りながらも尚もひっくり返っていると、リーダー格の男性が僕を見て「おたくも女性は強いですな」ハイ、全くもってゴモットモ。川村さん黙々と歩いているし、膝が痛いはずの章子さんなどは、足がパンパンに張るとか言いながらもまいった様子などない。もっとも彼女の場合、持ち前の賑やかさで登れてしまうのかも知れないが。その後、亀といい勝負位にスピードの落ちた僕の足が何とか動いたのは、奇跡に近かった。米子頭山から先の幕場に良さそうな所は、どこも先行パーティのテントが張られている。瘤を二つ超えた所の鞍部に川田さんが幕場を見つけた時は、本当に嬉しかった。16時45分だった。
 その日の夕刻は穏やかに暮れていった。夕食はトン汁。僕が食当だったが、優しいお姉様方は僕にひっくり返っていいと言ってくれた。僕は優しいお姉様方が大好きだ。僕のオナカは何とか村祭りにならずに済み、回復に向かっているようだ。食事を終えて横になるまでは、色々な話に花が咲いた。とりわけ章子さんに人物評論は面白かった。夜になると風が出てきてフライがガサガサ鳴っていた。
 明け方、僕は夢うつつであった。フカフカのササのクッションは山にいることをすっかり忘れさせる程心地良かった。「もう明るくなっちゃった」と川田さんの声で夢から覚めた。4時30分だ。1時間30分も寝過ごしてしまった。オナカはまだ本調子ではないが、だいぶいい。力ラーメンを食べて6時45分出発。天気は昨日と変らず高曇り。視界良好。今日も暑くもなく寒くもない良い縦走日和になりそうだ。調子良く進み、ほどなく柄沢山(1900m)に到着。頂上は一部ササが出ているが、まだ大部分は真っ白だ。東側の谷間には一筋の薄い雲が低く棚引き、藍と白の山並にアクセントを添えている。その向こうには、至仏山、笠ヶ岳が頭をのぞかせ、北の方では中ノ岳、駒ヶ岳が背伸びしている。遠く南東には皇海山がすかいラインを描いていた。
 柄沢山から檜倉山までは鞍部まで300m位降りて160m位登り返す。檜倉山頂(1744m)付近は平地になっていて、雪が消えた跡には小さな池塘があった。ザックを下ろして一本取る。9時15分。向こうで休んでいた6~7人のパーティが、みこしを上げて僕らの脇を巻機の方へ通り過ぎて行った。一人の背の高い男のザックには吹流し付き鯉幟がハデに立っている。ピンクのカザグルマも回っている。それが日焼けした、たいして若くもない男の顔と見事にアンバランスであった。こちらも行動食で燃料補給を済ませて出発。次の大烏帽子山へ向かう。
 大烏帽子はカッコイイ山だ。ツンと伸び上がった贅肉のとれた山体は、この稜線上の貴公子である。10時30分。大烏帽子の頂上に立った。定時の交信(10時35分)では、足拍子隊の湯谷君の声が大きく飛び込んできた。彼らは予定を変更して、いま真向いの大源太山の山頂にいるという。直線距離にして4キロ半ほどあろうか。目を凝らすと微かに赤点が見えた。トランシーバーには遠く平標隊の声が入るのに、どうした訳か一番近いはずの白毛門隊の声が入ってこない。彼らとは昨日も連絡が取れなかった。もしかしたらどこかで埋まっちゃったのではないかと心配する。
 大烏帽子から振り返ると、巻機からの稜線上の雪はこちらに来るに従って少なくなっているが、特に稜線の西側が雪の消えるのが早く、ササや灌木が姿を現わしている。それに引き替え東側はずっと真っ白だ。大烏帽子の南側には、朝日岳がどてっと、でかい山腹をさらして座っていた。このひときわ大きい貫禄ある山は、この稜線上でお代官然としてふんぞり返っているようである。朝日岳がお代官ならば、巻機はさしずめ小町というところか、それにしても朝日岳の丸い山容の何とユーモラスなことか。でかい大福餅を空から落とすと、こんな形になるのではないか、山がでかいだけあって、ジャンクション・ピークまでの登りはさすがにきつかった。途中残雪の下から水が流れ出ている所で咽を潤す。冷たくてうまかった。ジャンクション・ピークに荷を置いて、朝日岳山頂まで往復する。山頂は広い雪原をやや上りぎみに突っ切った先にあった。
 ジャンクション・ピークからは、コースは西に折れて清水峠を目指す。腐った雪を蹴散らしながらいい調子で下って行くと、尾根を左に寄りすぎてしまい、本来のコースに戻るのにひどいヤブコギを強いられた。14時40分、清水峠着。ここにはもう春の匂いが立ち込めていた。送電小屋の前は雪が融け、早くも青い芽生えが始まっている。キジを撃ちに小屋の後ろに回ったら、フキノトウが花を咲かせていた。予定ではここが今夜の幕場であるが、時間が早いので先を稼ぐことにして、七ッ小屋山への急登を登り始める。
 七ッ小屋山はいやらしい山だ。長めのエクレアを尾根の上にペッタと置いたようだ。下から登って行くとピークが次々と現われまことにフンギリが悪い。だからどこでピッチを区切って休んだらいいものか思案してしまい、結局一番最後まで行ってしまい、やたら疲れるのだ。でも、やたら疲れて荷を投げ出した所は、気持ち良くひっくり返っていられる場所だった。谷を挟んだ向こう側には、さっき登った朝日岳が立っている。そこから延びる稜線を北へ目で辿ってみたら、よくもマア歩いて来たもんだと感慨が湧いた。
 七ッ小屋を後にして蓬峠を目指す。丁度中間点、地図の1596mあたりにうまい具合に乾いた敷地があったので、ここに幕を張ることにした。有難い、今夜も雪の上に寝なくてすんだ。16時50分であった。夕食は豪華に鰻丼ならぬウナコッヘル。肉ダンゴと煮豆も付いた。夜、キジを撃ちに外へ出たら、峠のテントがランタンのように赤く光っていた。遥か下で、どこかの沢の出合あたりからも白い光が漏れている。あちらも楽しくやっているのだろう。ふと尾根の反対側に目をやると、強いオレンジ色の光が谷間から差し上げている。スワ、UFOか、と思ったら高速道路の照明であった。文明はこんな山奥にも容赦なく入り込んでくるのか、と溜息混じりに空を見上げると、雲が切れて星が輝いていた。悠久の光は、人間の営みとは無関係にそこにあった。
 翌日も力ラーメンを食べて出発。7時に蓬峠を下り始める。昨夜打ち合わせておいた7時の交信では、平標隊は既に芝倉沢を抜けていた。どうやら、ベースに着くのは僕らの隊が最後になるようだ。峠から白樺尾根に取り付く間、沢上部の雪が切れかかってヤバイ所があったが、そこも無事通過し1時間40分程で白樺尾根末端まで降りてきた。それにしても、川田さんの雪上技術はうまい。急斜面でもバランス良くトットと下って行く。ベテランの実力を見せられた思いがした。武能沢出合から澄んだ雪融けの水を集めた湯桧曽川に沿って歩いて行くと、伊藤さんや江村(兄)さんら一行が笑顔で出迎えてくれた。嬉しかった、さあ、ベースまではあと一息だ。

〈コースタイム〉
5月3日 清水(8:40) → 巻機山頂(13:15) → 米子頭山と柄沢山中間点(幕場)(16:45)
5月4日 幕場(6:45) → 檜倉山(9:15) → 大烏帽子山(10:30) → ジャンクション・ピーク(11:40) → (朝日岳山頂往復)(13:40) → 清水峠(14:40~15:00) → 七ッ小屋山と蓬峠中間点(幕場)(16:50)
5月5日 幕場(6:50) → 蓬峠(7:00) → 白樺小屋(8:00) → 白樺尾根末端(8:45) → 芝倉沢B.C(9:20)

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