トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ258号目次

春山合宿
その6 荒沢山から芝倉沢
野田 昇秀

山行日 1986年5月3日~5日
メンバー (L)湯谷、今村、勝部、国分、野田

 越後中里の駅からの登路は、はっきりしていない。適当な所で線路を横断して、スキー場のリフト沿いに登る。リフトの終点が柄沢山への尾根道であった。意外にもはっきりつけられた道を登る。こちら側から荒沢山へ登る人はかなりいるようである。もしかすると地元の小学生の遠足コースかもしれないと思うと、持参のピッケルとアイゼンが急に重くなった。残雪も少ない、スパッツでも付ければ雪が現われてくるのではないかと、付けてみたがゴムバンドが一日もつか心配になる。リーダーの湯谷さんも、厳冬期のプラスチックブーツは蒸れて暑いとしきりにぼやいていた。
 長岡へ転勤した三峰の小島さんから、スキーを見るのもいやになったと言う、あの豪雪は何処へ行ったのでしょうか。里雪型だったのでしょうか。
 尾根は痩せているが樹林帯なので恐怖感はない。雪がつけばおもしろいルートになりそうだ。今度来る時はもっと雪の多い時にしよう。荒沢山のピラミダルな山頂と、岩峰的足拍子はすぐ近くに見えるがなかなか近づかない。昨夜のアルコールが不完全燃焼をしているのかも知れない。残雪の小ピークで休憩をする。尾根が左折する頃から岩のヤセ尾根になる。以前、沢へ下ったことのある鞍部からは、かなりの急登で荒沢山の山頂に着いた。見渡す限り山また山の展望に一筋の道。関越道はどうもこの環境にマッチしないようだ。皆でさんざん悪口を言ってうさをはらす。
 荒沢山と足拍子の間は期待通りの悪路である。岩尾根、ガレ場のトラバース、ヤブの急登と距離が短い割には時間がかかる。目の下に見える関越道の車は時速100キロ、私達は1キロ。馬鹿馬鹿しくてヤダー。私達から車が見えても、車から私達が見えないのがせめてもの救いである。バテル寸前に足拍子に着いた。
 先に着いていると思っていた佐藤委員長のパーティはまだ来ていないようである。こちらのルートはヤブといっても踏跡はついている。南尾根は踏跡すらないから悪戦苦闘か。または蓬峠へ行ったか・・・・酒の飲みすぎか。
 黒金の頭に着くころ足拍子の頂上に委員長が姿を現わした。ヤブで苦闘したとの事。でも良く登ったものだと感心する。疲労で動きたくないのを委員長と合同で行動しようと口実をつけ長い休憩を取る。今日は蓬峠まで行くのは無理のようである。私達はコマノカミの頭に、委員長達は鞍部に幕営した。すぐに国分さんの手料理で酒盛りが始まる。前後不覚になるほど飲んでしまった。胃が悪い上に頭まで悪くなったようだ。
 朝、委員長パーティと合流したので賑やかとなる。蓬峠まではなだらかな雪稜が続いた。七ッ小屋からの縦走路で委員長パーティは武能方面へ、私達は雪が少ないことを理由に、朝日岳から大倉尾根下降を変更して、大源太のピークを往復し芝倉沢下降になる。私達のパーティだけが予定のコースを変更したとなるといやな気持ちもあったが、空身の散歩3時間は楽しい山登りであった。
 蓬峠で千代田パーティと合流、一段と賑やかとなる。武能岳を越えて茂倉岳の手前で芝倉沢へ下降する。芝倉沢の右俣になるのでしょうか、本谷より雪の状態が良く、クレパスもなく無事にベースキャンプに着くことができた。焚火を囲んで、又飲んでしまった。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ258号目次