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妙高~雨飾縦走(その1)
牧野 美恵子

山行日 1986年7月31日~8月3日
メンバー (L)今村、佐藤(明)、国分、牧野

 列車を3度も乗り継いでビバークサイトの長野駅に着く。二階の待合室で横になったが東京と同じような暑苦しさを感じ、ほとんど眠れなかった。盛夏に一泊以上の縦走を試みることも今回が初めてなので心配もあって眠れなかったのかも知れない。
 7月31日妙高高原駅で明さん、国分さんと合流、タクシーにて燕温泉まで入る。登山口から10分程の橋を渡った所に露天風呂の標識。タオルだけを持ち明さんを先頭に、お風呂ヤーイ、どこだー。1・2分して国分さんが突然、後ろを歩いている私の方を振り返って「ここを曲がったところにすぐ露天風呂があるみたい」。カーブの手前で国分さんと2人で待つ。目の前の沢に温泉が流れ込んでいるのか乳白色をしている。
 男性陣と交替に温泉視察に向かう。沢のすぐ脇に造られた露天風呂はコンクリート製がチョイと残念ではあったが、いいお風呂でした。
 さっぱりした後、いよいよ縦走開始。結構急な登りです。胃が急にむかつき始めた。ここ1・2週間夏バテがひどく、胃もだいぶ弱っているなとは感じていたのですが。急登の苦しさと胃のむかつきの苦しさから、こんなに不調では今回の縦走は無理かなと思う。余りの辛さに歩き始めてから30分も過ぎないうちに一本立ててもらう。「私、ここでもう下山します」とノドもとまで出かかったが、パーティ全体に与える精神的、物理的影響を考えるとなかなか言葉に出して言えない。「よーし、もう少し頑張ってみるか」。
 再び樹林帯をひたすら妙高目指して歩く。暑い、どうしようもなく暑い。一本立てるには間隔が短か過ぎるかも知れないが、水場にくるとどうしても顔や腕の汗を流したくなる。天狗平を過ぎ鎖場のなかばまで登ったとき、初めて涼しい風に出会った。なんと気持ちのよいこと、今迄の苦しさ、辛さも風と一緒に吹いて行ってしまう。
 やっと妙高山頂にたどり着いた。13時55分。妙高大神のそばに先着パーティそれも皆さん60才以上ではないかと思われる方ばかりが休んでおられた。この皆さんはどうやって登ってきたのかしら、思わず敬服してしまう。「あの年令まで山登りが続けられれば私にもまだまだ時間があるな」なんて一人で思ったりして。
 妙高山頂は大小様々な岩がゴロゴロ。明日登る火打山が、ガスの中からときどき顔を見せてくれた。
 1日目の幕場を黒沢池付近と予定していたが、池の水があまり良くないのではという事で、コースからちょっとはずれるが、長助池近くの水場辺りに幕営しようということになり、妙高山頂を後にする。黒沢池と長助池との分岐に小さな雪渓があり、更に分岐から100mほど黒沢池よりの所には、かなり大きな雪渓が残っており水が豊富に流れ出ていた。今日はこの辺でビバークということでまたまた予定変更となる。15時30分。しかし、この辺は幕場指定地外なので暗くなる直前まで待ってテントを張ることにして、まずは一杯、ところが明さんがせっかくおつまみとして持ってきた枝豆や漬け物が臭くておかしい。昨日買ったものがもういたんでいるなんて、なんと足の早いこと。枝豆には余程未練が残っていたらしく、明さんから「あの枝豆」という言葉を縦走中何度か聞いたような気がした。
 夕食は国分さんのメキシコ風野菜炒め、サラダ、それに現地調達した竹の子のマヨネーズ和えにフキのキンピラと、バラエティに富んでいた。色々な調味料を小さな、あるいは大きな容器に入れて持ってきていた国分さんの配慮の細かさに私は感心してしまった。彼女の作ったお料理なら山でも手抜きなしに違いないだろうと思った。夕食後のお茶を飲んでいる間に朝食用のお赤飯のおにぎりを作った。起床から出発までの時間短縮のため今村さんが提案したことです。
 2日目、3時30分起床。お茶だけですぐ出発の準備にとりかかる。薄明るくなった5時まで待って出発。大倉乗越ににかかる少し手前でお日さんに「おはようさん」今日もまた暑くなりそうだ。私の胃の具合は相変わらず、つわりの真最中という感じだ。山にくれば治るはずなんだけれど。
 黒沢池に近づくにつれクルマユリ、ゴゼンタチバナ、キヌガサソウ、その他名前不明の花が増えてきた。黒沢池は素通りして高谷地まで頑張る。高谷地ヒュッテの近くで一本立てる。林間学校かジャージ姿の中学生がワンサカいた。火打山まで行って来たそうだ。私達は、歯をみがき顔を洗ってさっぱりしてから火打山目指して木道を歩き出した。まわりにはあちこちに緑地にピンク模様のようなハクサンコザクラの群落が見え、足元にはツガザクラがほとんど目立たなくうつ向きかげんに咲いている。この辺りは多くの人が訪れるのであろうか、木道と平行して草地に踏み跡が出来あがってしまっている。そのすぐ脇にある「立ち入り禁止」の立て札が空しく見えた。
 天狗の庭での小休止後、火打山頂まで高度差300mの登りとなる。途中で日本海らしきものも見えた。稜線に出たところで小さな雪渓を見つけた。たちまち氷オレンジがコッフェルの中に出来上がった。冷やこくて美味しい。頭がツーンとするまで食べてしまいました。
 再び歩き始めると今食べた氷オレンジがボァーと汗になって出てくる。火打山頂にはもうバテバテになってたどり着いた。思わず大地にバッタリコ。食べ物も今朝からおにぎり1個とアメ玉と飲み物くらいしかのどを通らない。パンに挑戦してみたけれど菓子パン2~3口がやっとだ。生理的に受け付けない。
 目の前にはこれから向かう焼山がドカッとそびえている。火打頂上から高度差にして下り約500m、登り約400mになる。焼山のはるか左彼方に北アルプス(後立山付近か)が見える。
 火打山頂を後に焼山との最低鞍部である胴抜けキレットを目指す。いったいどこまで降りるのかしらと思うほどだった。胴抜けキレットから焼山を見上げると嫌になってしまうほどの急坂で高い。
 思った通り焼山は急登が続く。途中一ヶ所だが道が崩れた所もあった。砂礫地帯に変った辺りから風も出てきた。気持ちの良い風だ。もっと上だ、もっと上だと思っている間に山頂に着いた。山頂の反対側(北側)はスパッと切れてお釜へと続いている。山頂にある岩の一つに直径2m位でその北側にも南側にも色々文字が書かれている。南側は今でも書けるが北側はどうやって書いたのかな。きっと以前はその岩の北側も人が通れたのだろうか。風化によりこの山の形はどんどん変っているに違いない。10年後にはもうその岩は山頂には無いかも知れないですね。
 風が強いので長く休んでいると体が冷えてくる。焼山山頂から今日の幕営地である泊岩までは、一ヶ所フィックスザイルの張ってある急斜面を一気に下る。泊岩は天然の岩小屋にトタンのドアーを付けたもので、雨・風は防げるが中の雰囲気があまりにも暗すぎるし、ちょっと汚らしかった。ガイドブックにあった近くの白雪キャンプ場は見当たらず、結局、富士見峠が幕営地となった。富士峠到着16時45分。
 3日目、今日の行程が今迄で一番長い。アップダウンが昨日程でないのがなによりの救いだ。昨夜作ったおにぎりを持って4時55分富士見峠を出発。名前はわからないものがほとんどだが昨日まで見てきた花とは別の種類があり目を楽しませてくれる。金山の手前ではニッコウキスゲの大群落に出合い、思わずみんなで大感激。
 金山で一本立てた後、いよいよ根曲竹と灌木とのヤブ道の茂倉尾根の下りにかかる。だが実際は思ったほどのヤブこぎもなく右手に海谷を望みながら、明さんをトップに快調に下る。当然のことながら下れば下るほど風がなくなってくる。今度夏山に行くときはうちわか扇子を絶対に持って行こうと思った。
 明さんに強引に引張られたという感じで黒沢源頭のこの尾根の最低鞍部である水場に着いた。今日は国分さんの体調があまりよくないようだ。木陰でないヤブ陰で涼んでから、今度は国分さんトップで急登を黙々と進む。足音とハアハアという息づかいしか聞こえない。ようやくこの急登を終えてお花畑のある笹平に出たのかしらと思ったとたんに、あちこちから人の声、子供の声もする。
 梶山新湯への分岐で小休止の後、空身で雨飾山の山頂に向かう。私ってこんなに身軽だったのかしらと思うほど楽だ。山頂からは今朝出発した富士見峠辺りは見えたが、火打や妙高はガスの中。
 分岐からいよいよ梶山新湯へ下り始める。まるで沢を下降しているように石がゴロゴロしている急斜面が続く。石が無くなっても急斜面が続き、温泉に入れる、冷たいビールが飲めるという一念だけで足を出している。梶山新湯到着、14時35分。
 山荘前の広場にザックを置き、まずは冷たいビールで乾杯をしてから温泉へ。日焼けしたため特に腕や足がヒリヒリして、とても熱い湯舟には入れません。10杯か20杯の桶の水でぬるくしてやっと入った。
 夕食のソーメンの美味しかったこと。瞬く間になくなってしまった。寝る前にもう一度お風呂に入る。やさしい明さんがいつもより更にやさしく、周りはもう暗いし明さんが見張っていて下さるので露天風呂に入ってみたらと勧めて下さったが、余りのやさしさに申し訳なく思い辞退させていただいた。
 太陽がギンギラ照りつける中を縦走するというのは予想以上に体力の消耗が激しい。かなり汗かきの私にとりこれはバテバテ山行であった。
 終りに山行を計画して下さった今村さん、いつもやさしい明さん、そして美味しい食事を作って下さった国分さん、どうもありがとうございました。


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