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西上州大屋山
川田 昭一

山行日 1986年6月8日
メンバー (L)川田、服部、他1名

 久々の例会山行、日光錫ヶ岳へは参加者が自分一人なので、いさぎよく取り止め、西上州大屋山に変更しての夜行日帰り三人山行となった。
 下仁田から南牧川沿いの国道をバスにゆられ平屋ばかり集まった小さな部落、六車でバスを降り、ここからは本流が枝分かれした底瀬川の上流へ続くゆるい登りの車道を、道が切れるまで入る。途中、周りの景色にうまくとけこんだ古い民家と、そこに根を下ろして生活している村人との語り掛けが、あきあきした車道歩きをまぎらせてくれた。
 さらに沢沿いの登山道を汗をぬぐいながら20分登った山の中腹には桃源郷と呼ぶにぴったりの、すばらしい景色が現われた。地図には蓼沼(たてぬま)と印刷されており民家が2軒、急な斜面にへばりつくようにあって、50代の夫婦が立派に生活していた。
 材木用のヒノキ林、食用の柿の木、梅の木、桃の木、イロリ用の雑木林、それに小さな畑と自給自足が可能な景色を作っている。しかもすべて生活に結びついた無駄のない景色に感心した。タイムマシーンで30年位前の山村にいるようだ。
 実年夫婦と別れの挨拶をかわし、大屋山へ通じる登山道をあえぎあえぎ登る。先を行く服部君との差は大きくなるばかり。2軒の蓼沼部落から1時間、やっと視界の悪い頂上に立った。国土地理院の例の白い標識だけが目立った。
 下りは尾根を間にはさんで蓼沼とは反対の砥沢部落めがけヤブ道を2時間30分かけて下った。
 頭の中は、下仁田コンニャクのサシミと冷えたビールの事だけ。月曜日の会議の事などすっかり忘れて・・・・。


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