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湯浜(ゆばま)温泉
中村 順

 今から数年前、会友の鈴木もんちゃんと二人で、東北の栗駒山に登ったことがあります。確か11月の初旬の頃で、須川温泉では雨に降られるし、栗駒山の山頂ではアラレにあうし、当然景色は何も見えませんでした。山頂からは、湿原の上の長い木道歩きで、夏なら素敵なところも、この時期では寂しい限りです。しかもこの湯浜コースは、誰とも会わず、人の気配もありませんでした。湿原が終わると紅葉も少し盛りを過ぎたくらいの林の中の道が延々と続きますが、二人でキノコを採りながら下っていきました。
 湯浜温泉に着くと、廃屋のようなあばら家です。木造で少し傾いた家の土間で「こんにちは」と何度か声を掛けると、まるで愛想のないおじさんが出てきて「どっから来た」と聞きます。「泊めて欲しいのですが」と言うと「ちょっと待ってろ」と言い残して奥へ入ってしまう。なかなか出てこないと思っていると、向こうの離れのような部屋で、箒を使っている音がする。案内されて来てみると、すさまじい部屋で、ふすまは破れて既に昔の色はなく、柱は真っ直ぐでなく壁との隙間から奥が見え、部屋の入口はきちんと閉まらず所々破れた障子で廊下と隔てられ、廊下はガラス戸で外と区切られ、ガラスの幾枚かは既に無く、透明なビニールが画鋲で止められ、風にはためいている。タオルを肩に温泉に行くと、早くもランプの灯がともり、だだっ広い浴槽の横で足を濡らしながら、かつ中に入っているおばさんとおばあさんの視線を気にしながら服を脱ぐ。もんちゃんは手馴れたもので風呂桶に浸かると、早速おばさんに話し掛ける。宿の主人が風呂桶から湯を汲んで、その湯で夕食の材料を洗っているのが、がたがたの壁の隙間越しに見える。
 突然若い女性の声で「お風呂に入ろう」と聞こえてくる。もんちゃんと「もう少し浸かっていよう」と言っていると、「だって誰か入っているから」と結局入ってこない。風呂から出て缶ビールで乾杯だが、寒さに飲むのもままならない。暖房が無くて、外との換気は充分、二人で布団を引っ張り出して、夕食まで布団の中にもぐりこんで話をする。
 夕食の頃には、結構自動車なんかでグループが着いて、広間に行くと、なんとそこは暖房されていて、かつ灯りも発電機を回して蛍光灯である。こんなひなびた所でも予約客と、山から下りてきた飛び込み客とを区別するのだから、いまいましい。二人で軽く一杯と始めたら、隣のキノコ採りのグループと話が合って、しこたま差し入れのお猪口をいただく。これですっかり酔って、今日のミゾレ混じりの雨の中の長かった山道や、主人のそっけない扱いも忘れ、好い気分で自分のみすぼらしい部屋に戻り、ランプの下で話もそこそこに寝ました。
 翌日外は、雪で真っ白になっていたが、二人でぶらぶら歩いていくと、昨日お世話になったキノコ採りの連中が、あきらめて車で手を振りながら帰っていく。我々も運良く途中で他の車の人に拾われ、温湯(ぬるゆ)温泉まで連れていってもらった。ここでまた温泉に浸かり、すっかりよくなった青空の下、紅葉も盛りで、水も清く、気持ちよく風呂上がりのビールを飲みました。そして車で細倉へ出ました。この町は、かつて細倉鉱山で栄えたとのことですが、今は数百人ぐらいしか勤めておらず、栗原電鉄も廃止の運命と聞くと、何か寂しげな様子が漂います。単線のがたがた電車に揺られ、稲を刈り終えた栗駒山の見える平野を走ると「来て良かった」とつくづく思いました。東北の湯は同じ温泉でも、ちょっと他とは違った感じがする。そんな温泉山行でした。


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