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温泉は最高! (What a fantastic ONSEN!)
服部 寛之

 現代の日本に生まれ育って良かったと、私は常々思っている。議員の金権体質、進む環境破壊、貧しい農林政策、高すぎる国鉄運賃、ちっとも当たらない宝くじ、「ねずみ捕り」を真っ当な取締りとうそぶく警察などなど不満な点も多々あるが、何と言っても日本は平和である。戦争はないし、徴兵もない。世界中で流行りのテロも殆どない。周りを海に囲まれているため、外国からの脅威も感じにくい。物理的抹殺の恐怖を強いられないというのは恵まれた環境であるに違いない。どこへでも安心して出掛けられる。平和というのは生活第一義的な条件である。
 第二に、日本は工業力、技術力で世界のトップクラスにある。我々は日常生活では勿論、山での生活においてもその恩恵を受けている。私は音楽=オーディオとバイクに楽しみを見出しているが、そうした者にとっては日本は研究熱心な各メーカーの存在は頼もしい限りである。音楽とオーディオが結びつくというのは、日本が世界に名だたる演奏家を輩出するようになったというのに、演奏会がメチャ高くて行きづらい(私の場合は明確に、行けない)。ために勢いレコードに頼らざるを得ないという貧しい音楽事情が背景にあるからであるがエジソンの蓄音機に匹敵する革新的発明と言われる、コンパクト・ディスクの時代、ハード共に日本がその最先端にいるというのは嬉しい限りだ。バイクにしても、路上からの締出し規制やら世間・警察の白い目というハンディがあるものの、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキといった、世界の4大メーカーの技術力は素晴らしく、せせこましく混雑した路上であるにしろ、それなりにバイク・ワールドをエンジョイすることができる。ただ、バイクの値段が高すぎるのが難点ではある。
 日本が住むに良い国だという第三の理由は、山が多くかつ美しく、かつ温泉が豊富であるという点である。この理由は決定的である。反論の余地はない。先に挙げた平和/安全保障、工業力/経済力などというものは何かの拍子に脆くも崩れ去ってしまい、いつまでも続くものではないというのは歴史の語るところであるが(日本はそうなって欲しくないし、そうなってはならぬとは思うが)、山や温泉は天変地異でもない限りなくならない。その意味で、中曽根総理の言う「不沈空母」というのは正しい。であるから、日本が万一戦場となり、経済基盤が破壊され、大幅な貿易黒字が昔の思い出となったとしても、テント担いで山奥に逃れ生き長らえた僕ら山屋の山と温泉という趣味は、草の根をかじってでも引き続き継続可能である。オーディオやバイクは、そうなってはチト難しい。従って山と温泉は、とりわけ両者を結びつけた温泉山行は社会変化に影響されにくく過酷な状況下にも絶え得るのみならず、日本の風土に適した合理的かつ高貴な趣味であるということができる。不確実性の時代、山と温泉の趣味に生きる者はどのような事態にも動ずることなく、安心して暮らすことができるのだ。誠に祝福された人生ではないか。

 前置きが長くなってしまったが、私が温泉を語る場合、先ず挙げねばならないのは「白根温泉」である。これは群馬県は片品村、沼田から国道120号線を30数キロ北上した人里離れた山間にある渋い一軒宿の温泉である。沼田方面から上って行くと、国道右側に大滝川の流れを挟んでいかにも日本の宿といった感じの古い旅館が建っており、川と国道を隔てた真向いに半地下の湯屋がある。風呂は混浴で、広く清潔、中央に四角い大きな浴槽がある。大きさは不確かだが10m四方くらいだと記憶している。壁から湯が滝状に落ちている。無色の湯は含芒硝食塩泉で、42~44度とチト熱め。暖まってはしばらくひっくり返っていると実に気持ちがいい。充電にはもってこいの湯である。
 実はこの湯は、私に温泉の楽しさ、素晴らしさを教えてくれた運命の湯なのである。それは大学時代、ゼミの合宿で近くの民宿に泊った時、温泉好きの恩師とゼミ仲間数人とで連れだって訪れたのであった。その衝撃的な温泉の感動は、私の身体の隅々まで浸透し、魂を高揚した。その感動は、あたかもベートーヴェン第五交響曲冒頭のモティーフの展開の如く、圧倒的かつ充実した響きとなって我が心の扉を叩いたのであった。以来この体験は、温泉に入る度に新たな感動の連打となって甦るのである。この湯屋で教授された体験的温泉論は、ゼミで議論のうちに習得した幾多のレッスンと共に、我が大学生活で得た貴重な財産となっている。その意味に於ても、私は我が恩師に今でも感謝している。
 卒業後、この時のゼミの仲間二人と、再びこの温泉を訪れる機会があった。その時も学生時代と変らない湯の味に満足したのであったが、私が風呂から上がって噴き出る汗を拭きふきパンツをはいていると、子供連れではあるが30代半ばの割と美人な女性が二人入ってきた。私の連れは既に外で涼んでいた。見ていると、動き回る子供の服を脱がせながら、自らも脱衣を始めたではないか! 私は「オオーッ」と思った。これはめったにないチャンスである。しかし、一旦はいたパンツをまた下ろすのは、いかにもわざとらしい。なた心の内を見透かされそうでもあったので、無念の涙を押し隠しつつ泣く泣くシャツに腕を通したのであった。実に悔やまれるタイミングのズレであった。
 次に紹介したいのは、外国を見ながら入る露天風呂である。「セセキ温泉」といって、北海道知床半島の羅臼から20数キロ半島を北上したセセキ浜にある。旅館は無く、石浜の波打ち際の岩礁に湧く熱い湯(75度、食塩泉)をコンクリートで囲ってあるだけ。視界を妨げる囲いなどは一切ない。無論タダ。私は81年の9月、バイクで北海道をツーリングした折に立ち寄った。この湯は、引き潮の時以外は海中に没してしまうので、新聞で時間を調べて行った。現場は昆布採りの浜で、道路から高低のない石浜の3~40m隔たった所に海水で良い加減に薄められた湯があった。丸見えなのでどうしようかと思ったが、ここで入らねば一生後悔すると思い、思い切って素っ裸になって入浴した。9月の抜けるような青空のもと、昆布の浮かぶ湯に身を浸すと、目の前に小さく打ち寄せる白い波頭の向こうに、大きな国後島が近かった。この島は、他の北方領土と共に戦後露助に掠め取られてしまい腹立たしい限りだが、物は考えようである。国境の向こうに浮かぶ外国を眺めながらの露天風呂と思えば、恥ずかしさなど消し飛んでしまうくらいロマンチックではないか。でかくそびえ立つ国後島をバックに洋々と広がる青い北の海。点在する漁船が波間に揺れている。清々しい初秋の潮風を思い切り吸い込んで、最高の気分であった。
 セセキ温泉と同じように海水で薄めて入る温泉といえば、伊豆七島の式根島にもある。足附(アシツキ)温泉と地鉈(ジナタ)温泉がそれである。数少ない東京の温泉の最右翼である。両者は島の南側に突き出た小さな岬の東西の付根に位置し、歩いて10~15分ぐらいの岬を横断する小径で結ばれている。やはり双方とも満潮時は入れず、潮の加減を見て行かなければならないが、潮が引き過ぎると今度は熱過ぎて入れなくなる。いずれも天然の岩場を上手に利用した湯船であるが、地鉈の方が自然のままの岩場に身を沈める感が強い。周りの足場もコンクリートが敷かれているが、自然な感じを害する程ではなく、双方に小さな更衣室もあり、全て無料である。足附温泉は無色の炭酸泉で55度。特に切り傷に効果があり、神経痛や婦人病にもいいそうである。地鉈温泉は硫化鉄泉で80度C.湧き出す湯は見た目には透き通っているが、岩は鉄分のため赤茶けている。白い手拭いなどは赤茶色に染まってしまう。
 この島の温泉では興味深いことを発見した。私が地鉈を二度目に訪れた時は、まだ潮が引き過ぎていて入れなかったので潮の上ってくるのを待っていたら頃合いを見計らって地元の漁師のオッサンたちが、ドヤドヤとやってきた。見ると、皆一様にサルマタをはいたまま湯に入るではないか。オールヌードが温泉道の精神であると心得ていた私は、少なからず驚いた。聞いてみると、滑ってもけがをしないためだそうだ。なるほど、いくら温泉のためとはいえ、滑って大切なところを傷つけてしまっては生活に差し支える。すぐれた生活の知恵であると思った。彼らに言わせると「本土の人はフルチンで入る」のだそうだ。ついでに書き添えるが、この島は夏休み中は海水浴客やスキューバダイビングの連中でごった返すので、平和理に温泉を楽しもうとするなら、その時期は避けた方が賢明である。
 海の温泉が出たついでに、もう一つ素晴らしい眺望の露天風呂を紹介しておこう。西伊豆堂ヶ島の「三四郎」というホテルの露天風呂がそれである。海に面した断崖絶壁の上にあり、気分の良いことこのうえない。ここもバイクのツーリングの途中に偶然見つけて飛び込んだのであるが、お空の高みから見下ろすお天道様の柔らかな日差しに柔肌をさらした私は、わずかに丸い水平線まではるかに広がる青い海を眼下に眺めながら、爽快な一時を過ごした。対応に出たオカミサンらしき人は、感じの良い利発そうな美人であったが、彼女が言うには、ここからの夕日の眺めは素晴らしいそうである。実際、地球の向こう側に沈んで行く黄金の太陽を眺めながら湯に浸かるのは、最高の気分であろう。女性専用の露天風呂もあるが、こちらは男湯とは向きが異なり、展望は余りいただけないようだ。84年4月の時点で入浴料は600円であった。この風呂なら600円は惜しくないと思った。
 冒頭で温泉山行礼讃を論じておきながら海の温泉ばかり取り上げているが、山歴1年ばかりの私には山の出湯について、でっかい顔はできないのでご容赦下さい。だが、ここで一つ、素晴らしい湯を紹介したい。私の乏しい経験からしても、これぞ露天風呂の一つの理想と言えるほど立地条件、浴槽ともに素晴らしいものである。それは、知床の「カムイワッカの露天風呂」である。先に挙げたセセキ温泉とは半島の反対側、宇登呂から山間のくねった道を20数キロ行くとカムイワッカという川(というより沢)が流れており、川の名を被せた大きな滝が海に落ちている。橋から川に降り、そこから30分程やさしい沢登りを楽しむと右岸から嬉しい湯煙が上がっており、滝壷が天然の湯船になっている。下の滝壷はチトぬるいが、一番上の滝壷は正に適温で、熱い湯と詰めたい沢の水が合わさって丁度良い湯加減の滝となって滝壷に注いでいるのだ。滝壷はあまり大きくなく、10人も入れば一杯。立って首まで浸かる。中央部は足が立たなかった。私が訪れたのは9月半ばであったが、湯に浸かって明るい沢の底から見上げると、谷の濃い緑と沢の縦長の澄んだ青空が爽やかなコントラストを見せていた。「浴スル」という字はサンズイに谷と書くが、この谷間の天然風呂に浸かっていると、この字は正にこういう所で生まれたのに違いないという気がして入浴の原点に立ち返ったような感慨にうたれる。誠にこの湯滝は理想的な風呂である。この湯も最近の温泉ブームで訪れる人が多くなったようだが、そうなるとここも開発という名の環境破壊が懸念される。階段、手すり、更衣室等人工構築物は沢の景観を壊しこそすれ、この湯の魅力を増すことにはならない。むしろ逆である。この湯は道なき沢を登って辿り着いて入ってこそ、感激も大きいのである。この沢は自然のままにしておいて欲しいし、そうあるべきである。カムイという名も示す通り、神様のものに人間が手を加えてはならないのだ。一度損なわれた自然は容易には元に戻らない。人の手の入らない自然こそ「大地の果て」シル・エトク(知床)の魅力であり財産なのである。その大自然の中のカムイの滝に謙虚に浸からせていただく、それで充分である。
 ところで、近頃のようにこうも温泉がブームになってしまい、どの雑誌にも山奥の湯が紹介されてしまうと、私など修行の浅い温泉教徒としては大切な宝物を人目にさらされるような思いがして、何とも口惜しい限りであるが、そうなると山屋気取りの正教徒としてはブームに乗せられて来るようなヤツとは一線を画しておきたいという、奇妙なプライドが頭をもたげてきてしまうのだ。そんなプライドなぞ何事にも動ずることのない超越的精神をもってただ自己の湯に邁進できるほどの悟りを有する温泉の達人には無縁であろうが、私のような未熟な小心者にはそうはいかない。新興の異端者らと同じ温泉に行くとしても、彼らとは違った「湯」にしなければ、プライドが許さない。正教徒ないし正統派を自認する者にとっては、日本の温泉は「鉄の時代」ならぬ「オンセン・バリーエーション・エイジ」を迎えているのかも知れない。バリエーションといっても藪ルート、時期など色々あろうが、いずれにせよ湯に対して払う努力が大きければ大きいほど入浴時の感動も大きくなり、そこにプライドの満足感も生れるというものだ。そこで一つ思いついた。それは「厳冬期ないし積雪期のカムイワッカ」である。いくらブームとはいえ、雪のある時期にそこまで来る人はまずないと思うので、空いているはずだ。それに恐ろしいヒグマも、この時期は地面の下でおねんねである。ただ、天候の具合でスキーでラッセルするとしてどのくらいで川まで行けるか。82年3月、宇登呂から先の道路は閉鎖されていたが、岩尾別橋の辺りまではラッセル車が通っていた。実はこの時は流氷見物のついでに「積雪期岩尾別温泉」を2日連チャンでやったのである。岩尾別にはその名も「ホテル地の涯」があり、この時は前年夏の台風災害でホテルは閉鎖中であったが、ホテル裏手に泥に埋まった露天の代りに仮ごしらえの湯船があると聞いて出かけたのである。朝7時頃宇登呂を出発、岩尾別橋からツボ足でのラッセルに苦しみながらもルート・ファインディングはうまくいき昼頃ホテル着。1時間程雪見風呂を楽しみ宇登呂帰着は夕方6時頃という厳しいが充実した温泉行であった。
 沢の様子はどうか、雪崩の危険はどのくらいか、厳冬期ならば髪を濡らした次の瞬間には、バリバリに凍るくらいの厳しさであろうから、目的達成後の対策をどうするかなどなど、調べなければならない点は多々あるが、可能であれば是非実行してみたいプランである。
 以上紹介した温泉は、私がこれまで入った中でも最も印象深かったものの一部であるが、他の温泉も又、それぞれの味を持った素晴らしいものであった。どの温泉にも個性がある。コリャヒデエナと思う程の湯殿でも、湯にまで失望させられたという経験は、幸いにもまだない。温泉は素晴らしい。星明りの下、疲れた身体を湯に沈めれば、タモリならずとも「今夜は最高!」と思わず口に出る。新たな湯との出合いを求め、私の温泉巡礼は山野を越えて果てしない。


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