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磐梯山
大久保 哲

山行日 1986年12月2日~3日
メンバー (L)大久保、伊藤、勝部、庄野、牧野

 "磐梯山"と言えば、その周囲が観光地に恵まれ、知らない人はいない程、知名度の高い山ではあるが、地元で生まれ育った私は今まで一度も登る機会がなかった。雲取山の集中山行後間もなく、夏の疲れか、はたまた日頃の運動不足か"ギックリ腰"で1週間も会社を休み、家ではその猛烈な痛みでのた打ちまわってしまった。この"ギックリ腰"という、いかにもジジイくさい言葉、これはもうシリもふけぬ程の激痛が腰に走り回っている時は、もう山へは行けぬか、とガックリ来た時もあったが日毎に痛みも去り、紅葉の中でゆっくり温泉にでもつかりたいなどという気になり、山登り少々、温泉過激の例会を募集した。
 当初、この軟弱山行に集まってくれる会員はいなかったが、当日が近づくにつれ数いる中にも軟弱山行に同意してくれる会員もいて"大久保号"定員数の5名の席は埋った。
 磐梯山といえばあの"朝湯、朝酒、朝寝が大好きで・・・・"の民謡がすぐに思い出す。これになぞって、各5名の軟弱会員は「小原庄助さんツアー」に出発した。
 東海道は品川宿を北へと向う道中では、荒川の橋を渡るころには宴会で盛り上り、磐梯ゴールドラインに入り適当な幕場を見つけ、設営の頃にはやや年寄りの男女各1名ずつはテント設営が終っても高いびき。この2名をたたき起こし全員でカンパイをし、今度は全員で高いびき。
 翌朝、猫摩八方台より歩き出す。登山道は2日前ぐらいに降ったと思われる雪が落葉の上に積り、ぐちゃぐちゃではあったが、案内によると山頂まで2時間ということと、途中に一軒宿の中の湯もあるので足どりも軽い。歩き出して20分もすると中の湯へ着いた。が何となく雰囲気が悪い。何となく自然に身についた温泉の虫が暗い影をみせている。玄関のカギが掛っているらしく戸が開かない。大声でどなると家の奥の方から声がする。返事は宿泊以外の入浴はおことわりの冷たい声。そういえば温泉教本にはこの中の湯の営業は10月までと記してあった事を思い出す。何度か頼んではみたが戸は開かず。この中の湯に大きな期待をいだいていた牧野さんは冷たい言葉と膝の心配で先に車に戻ることになった。残る4人、気を取り直し酒のにおいの息をはきながら登りだす。
 しだいに明治21年7月15日に大噴火し、山の頂が吹き飛び、現在の様に二つの頂を持つ形となった磐梯山が眼前に広がる。さすが遠くから見る景色と違い迫力がある。猪苗代湖側から見る磐梯山と比べるとその裏側は、鋭いナイフで山半分をえぐり取った様な急斜面で遠くから落石の音が頻繁に聞こえてくる。裏磐梯に沼が多いのも大噴火によって吹き飛ばされた大量の岩石が川をせき止めたために造られたというものの、すさまじいばかりの大自然の力である。等々と感心しながら歩いているうちに次第にガスがたちこめて来て、頂上に着くと360度の大パノラマは何も見えず。晴れていればきらきらと光る猪苗代湖や吾妻連峰などきれいに見えるはずなのに。又しても期待はずれ。そそくさと記念撮影をして即、下山。二度も期待はずれが続いたので、全員が頭の中には"温泉"この二文字しか浮かばず。下山後すぐに温泉探しが始まった。しかし車を走らせてすぐに渋滞にまき込まれて、この日やっとの思いで磐惣温泉に飛び込み、上がる頃には暗くなっていた。その後、幕場の中ノ沢温泉でもうひと風呂。その夜の宴会も盛大に盛り上がり温泉談義に花が咲く。
 翌日"今日も温泉探しに車を走らせる"。幕川温泉に入湯し、そしていままでの期待はずれが吹き飛んだ赤湯へと続いたのである。以下温泉報告へと続く。(三峰温泉グレード大系に基づく)。

磐惣温泉 1級、一軒宿
広々とした露天岩風呂。女風呂は多少格子ごしにかいま見ることが出来る。
幕川温泉 2級、二軒宿
吾妻連峰の登山口でもある。内風呂、露天もあり。
赤湯温泉 個人的には5級、一軒宿
何といっても最高の温泉雰囲気あり、露天と内湯の湯の質が違い、露天は無色、内湯はタオルが赤くなるし、湯舟はその色がしみついて、つやが出る程赤い。周りの景色、全体的な宿の雰囲気は最高である。

 最後にこんな山岳会という名にふさわしくない山行をし、温泉めぐりをする行為を諸先輩方お許し下さい。しかし多少山あり、温泉ありでやめられません。今後もレベルに合った山行に参加させていただきたいと思っています。温泉山行大好き会員より。


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