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尾白川本谷
升田 直子

山行日 1986年9月13日~15日
メンバー (L)今村、野田、牧野、升田

 明け方の冷えこみでシュラフの中で丸くなっているのとは違い、目覚ましとフカフカの布団で迎えた朝は、これから山に行くという緊張感がなくて、何かボーとした初日から始まりました。
 今村さんリーダーの尾白川経由甲斐駒ヶ岳は、13日の朝新宿7時30分初の急行で、野田さん、牧野さんと私の4人のとても冗談も言えない、性格が地味な顔ぶれでした。韮崎からタクシーで白須まで40分(4220円)。竹宇駒ヶ岳神社を通り黒戸尾根を牛のごとくゆっくり五合目小屋まで登りました。途中二人組のパーティと追い抜き追い越されのくり返しで、彼らは七合目小屋まで行く筈でしたが無事着いたかな。
 12時35分~55分、最初の水場で食事をとり、そこからは安定した足場があったり、景色がいいと一本とろうとザックを下しては、足を止めるという計画性のないのんびりムードでした。途中フッと視界が開け、鳳凰三山、遠い八ヶ岳も眺められ三日間殆んど天候には恵まれていましたが。4時頃、五合目小屋から小雨のためカッパを着て、今では殆んど廃道と化している急坂を下り、5時45分第1日目の最終地点千丈ノ小舎に到着。ここでは翌日黄蓮谷に入るという男女二人が既に昼すぎから来ていて、いい具合にたき火をしていました。これから夕食の私達は、ちゃっかりEPIの代わりに自然の熱を拝借して、スパゲティをゆで始めたのですが、日頃のズーズーしさが表面に出て、お酒とおつまみを囲みおしゃべりに夢中で、初対面の二人にすっかり夕食の支度をまかせてしまったのでした。この時の食当は何を隠そう野田さんです。
 初めて自然の岩小舎泊りで焚火でけむい思いをしましたが、この日は20時30分にシュラフに入り、翌朝5時30分、本谷出合いまでの荒れている急坂を約400m下降して、6時10分遡行開始。先ずは私の顔からのダイビングで始まり、水の流れにゆっくり流され、前を歩いていた今村さん、牧野さんは全く気が付かず、すぐ後にいた野田さんは足を滑らせるところではないのにという顔で、しばらく呆気にとられていましたが、フト我にかえったようで岩登りのためザラザラになった手を差しのべてくれたのでした。お手数をおかけして申し訳ございませんでした。顔面を打った時に、愛想笑いをするのに決め手となる大切な八重歯も打ったらしく、歯ぐきもはれて翌々日の歯医者の予約をキャンセルしたのでした。
 一度でもころんだり岩がぐらついたりすると、ちょっとした所でも臆病になり慎重になりすぎてよけいペースが遅くなるのですが、なんとか核心部の大岩の連瀑帯までたどりつきました。初端からシャワークライムで右側よりザイルで力ずくではい上がり、こそから右へトラバースして、そのまま木の根をつかみ草を押えながら上部の安定した足場へ進む。
 第二の大岩では9時~10時まで1時間費やしてしまいました。ここではプロガイドの人のエスコートで、とても40、50才には見えない若作りのおばさん二人がすさまじい悲鳴を上げながら空身でザイルをよじ登っていました。三人がやっとのことで登り終え、続くわたしたちの間では、今村さんと野田さんがトップを"どうぞどうぞ"と譲り合い、結局今村さんが最初の一歩を踏み出し、その後姿がやや落ち込んでいました。野田さんがビレーをとりじっとみんなで見守っていましたが、これまた待っている方も冷え込んでくるのと、これから挑戦する岩を前に武者震い?をして本心は"さっきのプロガイドの人が戻って来てザイルをおろしてくれないかな"と甘い考えが。
 今村さんは取り付いてもなかなかペースが上がらず、つかむ処は全てもろく崩れ落ち、そのため左右どちらにも足が運べなく緊張の一瞬二瞬三瞬・・・とにかく見ている方も緊張の連続で、落ちませんようにと祈りながらポロポロ涙が出てくる想いでした。どのくらい時間が経ったか無事に上に着き続いて牧野さん。上からのザイルで時間はかかったものの何とかクリア。そしていよいよ私の番がきて途中何度も"張って下さい"と恐怖の合図も殆んど絶叫に変わり、ザイルが少しでもゆるむと常に鋭くわめいていました。結局身動きがとれずに下から野田さんが"落ち着いた所で少し休んでいいよ"と声を掛けてくれたのですが、足場ももろいため少し休んでまた行動開始。全員やっとのことで落口に出てみると、後から続くパーティがわたしたちのすぐ左側をなんなく登ってくるではないですか。ったく・・・と思いながらも次に迎える30mの大滝に気をとられて進むと、途中の岩場でみんなのザックを引き上げていた今村さんの左上に50センチぐらいの岩が崩れ落ち、よけた瞬間左肩を脱臼してしまい苦痛でゆがんだ顔が見ていられませんでした。その後、今まで苦労して来た所を降りることも出来ず、いよいよ30mの大滝を迎えてしまいました。肩が使えないのでナメ床を野田さんの差し出すシュリンゲで足場の安定する所まで行き、そこでは前者二人の苦労しながら直登しているのを目の当たりに見て無理だと判断して右側を高巻き。その後苦闘していた二人もあきらめて高巻きしたようでした。
 数ヶ所の大岩を何時間かかけて、やっと詰にかかり稜線が前方に見えた時は全員無事で良かったと安心しました。今回の沢では"さすがにいつもの愛嬌笑いが出なかったね"と言われ、そういえば大岩からタイムを記入することも忘れていたほど、気持の余裕がなかったと気がつきました。
 20分ほどのヤブコギで駒ヶ岳山頂へ南西へ延びる稜線に出ると目の前にどっかりとすわった仙丈岳が黒々としていました。あまり好みでない山容でしたが、初めての南アルプスなので記念に1枚撮りました。ここから六合石室まではほんの3分。男性ばかりの先客多し。その中の若手の一人どことなく少年隊の錦織君に似た人が酔ってヘロヘロした調子で"どうぞどうぞ"と歓迎してくれ、中で陣取っているおじさんたちも、容姿はどうあれとにかく女性が二人もいるということで、しきりにウドンをすすめてくれました。滝あり、ガレ場あり、ヤbyコギありでヒーハーヒーハーあえいで登って来たあとだけに味も濃く具も沢山入っていて最高においしかったなあ。今村さんは気休めで鎮痛剤を飲み、またしても苦痛な表情で寝たり起きたりのくり返しでした。ユダヤ人であったため捕えられたアンネの収容所を思わせる石室も15~6人の男性ばかり集まると、夜の騒音は勿論、突然に大声で〇〇ちゃんと子供の名前を寝言でいう人もいれば、"奥さん"と興奮した声で、山に来てまで何を考えているのかわけのわからない不可解なことを言う人もいました。
 翌朝は4時に起床。駒ヶ岳までピストンして黒戸尾根を下る予定でしたが今村さんの体調も良くないので頂上は踏まず七丈尾根に変更。ここもかなり荒れていて今回の山行で沢以外は殆んど急坂の連続でした。
 10時35分戸台本谷、藪沢合流点に位置する丹渓山荘に着き、そこからは風景に彩りも変化もない単調な河原をひたすら歩くのみ。真夏のジリジリ焼きつける炎天下のもとでの歩行でなかったのが幸いでしたが、行けども行けども尽きないジャリばかりの道に飽きていたため疲れきった足の裏が、痛かったこと痛かったこと。
 2時45分、登りとは正反対の戸台に下山して、怪我はしたけれど最悪の事態にならなかったことにみんなで乾杯。肩を脱臼して苦しんでいたにもかかわらず、最後までわたしたちを指導して下さった今村さん。今村さんをシュリンゲで引き上げたり、へばりそうなわたしに渇を入れてリードしてくれた野田さん、35リットルのザックを50リットルぐらいにパンパンにさせて頑張っていた牧野さん、三日間ご苦労様でした。

余談 その一
 今回の山行から"疲れた"と弱音を吐かないつもりでいましたが、自分の心の中で決心しても甘えが出そうなので"疲れた"と言ったらビール1本おごることを宣言し、公認のもとで遡行開始。大岩を無事通過し一本とろうとザックを降ろした瞬間、安堵の気持からポロッと"つかれたぁ"と洩らしてしまいあとのまつり。無意識に出たとはいえ牧野さんから"ビールはどの位の大きさ"と早速請求。
余談 その二
 五合目小屋で行動食を出していた野田さんが、5月の谷川合宿時の食べかけのオールレーズンが腐食してたべられるかわからないから犬にあげようとしていたのを、行動中余り食べられなかった私に袋ごと恵んでくれようとしました。あまりの嬉しさにしばらく言葉も出ず、目でていねいにお断りしたのでした。
余談 その三
 帰りの電車の中で野田さんが"敢闘賞"といって缶ジュースをくれたのが何よりも一番うれしかったです。


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