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憧憬の大湯滝(秋田・湯尻沢)
服部 寛之

山行日 1986年10月10日~12日
メンバー (L)服部、大久保、牧野、廿楽、倉林

 すごい!とにかく、すごい!期待はやや過度にすぎたが、それにしてもすごい。湯煙にけむる大湯滝を見上げながら、小生は狂喜乱舞の右往左往、温泉饅頭と評されたその顔は喜色満月、じゃなかった満面、嬉しさに照り輝き、全身これ歓喜に打ち震えたのであった。

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 10月9日夜10時すぎ、我々の期待を満載した大久保号は、エンジン音も快調に品川宿をイザ出発。しばらくは、ネオンライトの星がキラメク大都会のナイトドライブ。ロンリーなハートに哀愁が忍びよる。こういう時は隣に座る者を選びたい(オタガイサマカ!)と思いつつ、夜のスカイウェイを一気に走り抜け、一路みちのくを目指し、闇立ちこめる常磐道をひた走る。今夜は体力を温存し気力の充実を図るため、福島は矢吹の大久保家で休憩とする。午前2時過ぎ、白亜の大久保邸着。深夜にもかかわらず、家族総出で温かく迎えてくださる。有り難いことです。若い女の子が来るという前宣伝が効いたのか、おやじさんもハリキッておられる様子。例のごとく酒を飲み、3時すぎ就寝。熟睡した小生は、翌朝うかつにも30分も寝過ごしてしまい起きたのは一番最後。早くもリーダーとしての面目を失ってしまった。
 おいしい朝食をいただき、9時頃出発。空はお天気、僕らもお元気、まだ見ぬ湯滝に心も弾む。久し振りにハンドルを握る小生も調子が上がろうというもの。ルンルンと今日も正しい安全運転。80キロ規制のところを120キロでぶっとばす。東北自動車道を築館インターで降り、398号線を北上する。いよいよ温泉ランドに突入である。この沿線には、南から温湯(ぬるゆ)、湯の倉、湯浜、大湯、小安と温泉が並んでいるのだ。小生としては、予定を変更して全て寄って行きたいところだが、リーダーとしての面目をこれ以上失ってはならぬと厳しくわが身を律し、ここはグッと堪えて泥湯に直行する。
 2時半頃泥湯着。泥湯は以外にも車であふれていた。道筋に並ぶ宿は想像していたとおりどれも古そうで渋いのだが、その渋さに全く似つかわしくないモダンな乗用車が空地という空地を埋めている。観光バスまで止っているとあっては興醒めもいいところである。全く、早いこと温泉ブームの過ぎ去るのを祈るばかりだ。とにかく、僕らは泥湯外れの公衆便所に寄って気分一新、大湯目指して先に進むことにする。勇んで飼ってきた2万5千「秋の宮」の地図では大湯滝に至る道はないが、泥湯の先から適当に沢の源頭目指して下りて行けばいいようだ。恐らくどこかに踏み跡があるだろうと考えて、くねる山道を注意深く車を進めて行った。と・・・・突然僕らの目の前に現われたのは、またしても乗用車の列であった。
 「なんじゃこりゃ??」。狐につままれてあっけにとられた僕らの目に映ったのは、荒れたハゲ山と、その上を行き交う観光客の姿であった。そこは「名所」らしく、御多分に漏れずこの地の由来と周辺域の地図を掲げた看板が立っているではないか。それによれば、ここは「川原毛地獄」という日本古来の三大霊山のひとつで、かつまた17世紀初期からつい20年程前まで硫黄を採掘していた所だそうである。そこが今や観光名所となっているのだ。人気の無い深山に湯滝に至るひと筋の踏み跡、といった風景を想像し、期待に胸ふくらませながら渓流足袋にヘルメット、ザイルまで用意してきた僕らのカカンな勢いを削ぎ落とすかのように、その立て看板地図には大湯滝に至る道がバッチリと示されていた。おまけにも「山歩きになれた健脚の人で下り30分、上り40分」と書いてある。小生はガクゼンとして、涙が出そうになった。山渓9月号の記事を見て驚喜し、素直な心でそれを信じて遠路はるばるやって来たのに、嗚呼、アタシが馬鹿だった。あの記事はどこぞのテレビ局の〇〇ヒドシ探検隊まがいの、やたらコロモばかりでかいエビ天みたいな、誇張の極致を目指す類のものだったのか、雑誌の記事を見てイソイソ出かけるなんぞミーハーっぽいぞと思いつつも、イヤ山屋にこそ許されるような聖域にある厳しい湯なのだからと自尊心に言いきかせてきたのに、なんてこった。小生は記事を期待で拡大解釈した自分のウブさかげんを痛く思い知らされたのであった。だが、リーダーたる者、ここで動揺することは許されない。直ちに号令をかけ、フル装備にテントを担いで出発した。革靴やサンダルばきの観光客に混じって、目をつむってケンケンしても踏みはずさないくらいキビシイ山道を下って行くと、何と広い空地に車が数台止まっているではないか! 中には小型のバスくらいの大きさの車もある。どうやら三途川(さんずかわ)という集落からなら、ここまで車で入って来られるらしい。小生は度重なるショックに益々メゲそうになった。だがその時、空地の前の沢から立ち上りたるは、まぎれもない湯煙!ムムッと元気がよみがえる。誘われるままに、湯煙の方へと走りよる。どうやら、この湯尻沢はこの地点からお湯の川となっているらしい。川幅は2~3mくらい。川面から湯気が立っている。源泉チェックは明日行うこととして、ここは先を急ぐ。道は空地の先でこの湯川を渡っているが、その橋のすぐ下流がちょっとしたプールになっていて具合が良さそうであった。川底は緑苔のためか、鮮やかな緑色だ。さっそく手を突っこんでみると、入れそうもないくらい熱かった。
 そこからしっかりと踏まれた山道を下ること10分、我々はとうとう目指す大湯滝の下部に到達した。3時半頃であった。打ち続くショックにひどく期待感を削がれた道中であったが、どうどうと湯を落とす大湯滝は、それまでの憂嘆を洗い流してあまりあった。すごい――やはり、すごい。正真正銘のお湯の滝である。足元の流れ全体がお湯なのだ。湯煙の立ちのぼる滝つぼからは、後から後からお湯が流れ出てくる。沸かし湯循環のケチな鉱泉風呂たあ、わけがちがう。正に流れるお風呂だ! 嗚呼、やはり来て良かった!! そこには小学生のチビからジッチャン、バッチャンまで老若男女20名程の賑わう姿があったが、歓喜と感動に満たされた小生の視界からは彼らの影は消え失せ、音もなく湯の落下する大湯滝の前で、時は一瞬止まったのであった。夢に描いた大湯滝は、幻ではなかったのだ。
 我に返ると、いつまでも感動に浸ってはいられない。浸るべきはこのお湯である。行動あるのみだ。さっそくタオルを腰に滝つぼに飛びこみたいところだが、ここでグッと堪えてまずは幕場捜しである。リーダーはグッと堪えることが多く、つらい役目だ。あたりをウロウロしてみたが、ツェルトなら張れそうな所はあるのだが、4~5人用エスパースを広げられるほどの場所はない。しかたない、幕は先程の駐車場にあった空地に張ることにして、日暮れまで湯をたのしむことにする。
 ここで改めて冷静に滝を観察すると、湯は左右二条に別れて落ちており、右岸側は滝の半ばでくの字に折れて、基部中央の滝つぼに注ぎ込んでいる。途中折れている所は、小さなお釜になっている。左岸よりの流れは、落ち口からそのまま空中を飛んで、中央の滝つぼの右に隣接するもうひとつの滝つぼに落ちている。高さは20mくらい、滝の右岸はちょっとした岩場になっており、上部へはそこを伝って行けそうであったが、取りついてみたもののザイル無では下りる時しんどそうなので途中で止め、今日は時間もあまり無いことでもあり、上部は明日にとっておくこととして、まずは滝の半ばにある小さなお釜に入湯した。ここへは右側をまいて入湯できる。お釜はひとつしか無いと思ったら、二つあった。手前のものは深さ7~80センチ、詰めて入っても4人くらい、2人か3人でゆっくり入るのが良い。温度はこの季節にはちょっとぬるめだが(山渓の記事によれば43~5度)、もう少し暑い時期ならちょうど良いだろう。浸かって肩の高さの横壁に、うまい具合に高さ30センチ奥行き50センチ程の穴があいており、しかも下面は平なので、酒やつまみの収納にはもってこいである。もうひとつのお釜はその奥に50センチの段差で隣接しており、広さ深さとも手前のお釜を若干上回る。ここへは上からのお湯がかなりの勢いで落ちており、飛び散るしぶきでゆっくり浸かっていられないが、お湯の落ちている所が手前のお釜から岩かげをやや廻り込んでいるため、手前のお釜へはしぶきが直接かからないうまい構造になっている。この右側滝半ばのお釜はその手頃な大きさと展望の良さで一番気に入ったが、酸性の強いお湯の細かいしぶきが浮遊しているため長く入っていると目が痛くなるのがたまにきずである。
 さて大久保氏と小生がこのお釜に天にも昇る心地で浸っていると、我らがパーティの女性トリオが、どこで着替えてきたのか、水着姿で現われた。風呂に入るのに水着とは無論温泉道の精神に反することハナハダシイが、だがここで「けしからん」とフンガイし、花も恥らう乙女心を理解しようとしないほど小生は無粋に生まれついてはいない。結構なフェミニストだと自認するが、こういうアクの無さが小生の女性の縁遠さの一因であると大久保氏などに指摘されるに及んでは、我ながら不幸な性格だわいと思案し、複雑な心境におちいるのである。それはさておき、勢揃いした我等一同、このすばらしいお釜でハダを寄せ合い(何と刺激的な表現!)混浴を堪能したのであった。
 さて、次のお釜は、ここからお湯が流れ落ちている滝の基部中央のお釜である。このお釜は上から見るとハート形をしており、まことに心の篭った自然の造形である。大きさは最大3m強、中央のくぼんだ所で2.5m位、深さは0.7m~1m弱といったところである。短距離遊泳可。温度は先のお釜と殆んど変らない。ここは形は良いが、やや広すぎて落ちつかない。だが、大勢でガヤガヤ入るのが好きな向きには良いだろう。15人位は入れる。このお釜に接する滝の壁は良く磨かれ最上部から垂直に切れ落ちており、お釜の形に沿って滑らかに湾曲しているが、これはかつて、上から直接この滝つぼに水(お湯?)が落ちていたことを物語るものであろう。前述のように、このハート形お釜に隣接する20mのうたせのある滝つぼは、大きさこそハート形のものと変らないが、浅く3~40センチ程しかなく、ぬるい。うたせは直径5~60センチ位で、強烈。肩こりが取れるどころかあやうく腰のタオルが取れそうになり、あわてて飛び出た。やはり強い酸性のお湯のためか、目が痛くなった。それにしてもこのお湯の酸度は強く、大久保氏と牧野さんは肌にブツブツ状のものが出来てしまった。体質か体調に関係することだろうとは思うが、アクの強そうな大久保氏がやられるとは、意外や意外、驚いた。ブツブツは後で別の温泉に入ったさいにきれいに引いてしまった。
 そうこうしているうちに、着いてからもう2時間もたっただろうか、夕方になり人の賑わいもだいぶ引けてきた。日が落ちてしまわないうちにテントを張りたいので、そろそろ湯から上がるよう号令を掛けようかと思っていると、どこかで聞いたような「モートー」の声。見ると、佐藤明氏が息急切ってやって来た。仙台に友人と二人で帰郷する折に、持ち前の温泉に対する熱意から秋田までウントコサ足を伸ばす労力も厭わず、ここまで入湯すべく駆けつけて来たのであった。明氏も例のごとく、ちっこい目を三角にして輝かせながら「すげえなー」と興奮し、大湯滝のすばらしさに圧倒されている。明氏について来た友人は、ナント、すごく男前であった。女性トリオの六つの目が彼氏に釘付けになったことは言うまでもない。さっそく二人もタオル1枚となり入湯。彼ら持参のカンビールを回し飲みしながら、このすばらしい湯滝の再会を祝し、しばし共に湯を満喫したのであった。
 その日上の広い空地に戻り、駆け足で沈み行く太陽と競走するようにテントを張り終えた頃には、既にあたりには夜が降り始めていた。明氏ら二人は泥湯まで戻ってツェルトを張り、今夜は泥湯に入湯、明日の朝、時間があればまた湯滝に来るとのことであった。我がパーティは、明日は早朝の湯滝を楽しんでから、天気が良ければ栗駒山に登るか、さもなくば温泉巡りとすることとし、その夜は明日に備えて早い時間にシュラフにもぐった。
 翌朝は5時半起床の予定であったが、小生は湯滝のことを考えると落ちついて寝てはいられない。風が強いのでシュラフを抜け出てフライを張り直し、5時20分には皆をたたき起こした。直ちに出発の号令をかけたが、大久保氏と廿楽さんは体の調子が悪いので、テント番に残ると言う。残念だがしかたない。残る三名で5時40分出発。5時50分大湯滝着。まだ誰も来ていない。シメシメ。小生は早速海パンにはき替える。オヤ、オカシイノデハ?と皆さん思われるであろうが、実は今朝は懸垂下降直接入湯という、長いこと夢見て来たことを実行に移すべく、準備万端ととのえてきたのである。入湯するからには海パンが不要であることは言うまでもない。だが、素又にゼルバンでは『見上げたもんだよ山屋のゼルバン』といった状況には、とりわけご婦人方の目には具合がよろしくないと考え、いたしかたなく海パンを用意したのである。ゼルバンをつけ、渓流足袋をはき、ザイル2本を担いで小生は滝の右岸側の岩場をよじ登り、滝の上部に出た。そこには幅1.5m、深さ1m程に削れた岩床に、色鮮やかな緑の湯川が流れていた。それが空中に消える所つまり滝の落ち口の手前は、10m×5m位の楕円形ぽい三角形の大きなプールになっており、上流から見てプールの向こう側、即ち滝の落ち口あたりはプールの底がせり上がって浅くなり、左右両端から湯があふれ落ちている。が、手前の傾斜角40度長さ3m位のナメから勢いよくお湯が注ぎ込んでいる所は深い渕となり、お湯が渦巻いている。そのナメから上流側10m位は川床がほぼ水平一直線に続き、1.5m程の深さの滝つぼとそこに落ちる1m強の小滝を経て一段高くなると、川は次第に右にカーブしてさらに上流へと続いている。川の右岸側はやや空間があるが、左岸側はすぐヤブである。滝から懸垂下降するには落ち口まで行かねばならないが、小生は確保なしで渦巻くプールに飛び込む勇気は持ち合わせていなかった。そこで左岸側のヤブを漕いで落ち口に出ようとしたが、プールの左岸側は見た目よりも傾斜が急でとても下りられそうにないため、ここは一旦引き返すことに決め、来た道をスゴスゴと下りて行った。それにしても、裸で漕いだヤブは肌に痛く、おまけに担いだザイルがあちこちで枝に引っかかり、四苦八苦してしんどかった。下の滝つぼでほど良く暖まった二人に事情を話すと、牧野さんが付き合ってくれることになり、再度登り直す。今度は彼女の確保で何とか渦巻くプールを泳ぎ渡り、彼女もザイルを伝って無事に滝の落ち口に立つことができた。さて、いよいよこの大湯滝探訪のクライマックス、オフロへの懸垂下降である。落ち口のところにあるしっかりとした木に慎重にザイルをつるべにセットする。まず最初は牧野さん。フェミニストらしく、こういう心逸る場合でもレディ・ファーストを忘れない小生の心憎さ。岩もザイルもぬるぬるして気色悪いが、無事入湯。続いて小生。ザブンと、ハート形の湯舟に降りた瞬間は忘れられない。思わずニンマリときた。こうして念願の空からの懸垂入湯を果した訳だが、考えてみればバカバカしいことである。だが、バカバカしいことをまじめに行うことが遊びだとすれば、これは Onsenist(オンセニスト)として十分意義深い遊びであったと自負している。
 来るかと思った明氏も来ないので、大湯滝を撤収してテントに戻ってみると、時計は既に8時を回っていた。小生より一足先に帰幕した二人は、テント番の二人と共に幕場前の熱湯湧き出す河原に下りて、硫黄を採取中であった。小生もここで気になっていた湯尻沢の源泉チェックを行うこととする。源泉はせまい河原のあちこちから湧いており、実験用の温度計を入れてみると92度Cあった。遅い朝食を済ませ、強風の中、今にもポツポツ来そうな空を睨みながらテントを撤収し、急いで大久保号へ戻り、栗駒山は中止して厳しい温泉めぐりに出発した。
 入った湯をいちいち詳しく紹介することは止めるが、その後の我らの行動は次のごとくであった。
 泥湯(豊明館、入湯料一人200円)~小安峡見物~小安温泉(兼子旅館、200円)~大湯(阿部旅館、200円)~須川温泉(350円)。野営10月12日~真湯(真湯山荘、200円)~東北自動車道経由で帰京。
 という具合で、計5湯入湯したが、うち特に印象的であった2湯を紹介しよう。まずは掘り出し物的であったのが大湯。ここは湯の湧き出る川の辺にある一見民宿風旅館。川は一応露天風呂と称しているが、冷たい水と熱い湯の混じり具合が悪く、そのうえ川底が緑の藻でぬるぬるしており余り気持ち良くはなかった。だがここの湯を価値あるものとしているのは、離れとなっている古い湯屋である。湯舟はひとつ、コンクリート製で5m×2m位の長方形、1m弱と深めで混浴。湯はほど良い熱さで無色透明。いかにも歴史を感じさせる建物で、浴室内に洗濯機などがごちゃごちゃと置いてあり、この生活感あふれる古さがいかにも田舎臭くて良くかつ渋いのである。もうひとつは須川温泉。ここは大きなヘルスセンターみたいな旅館が一軒きりだが、湯量の豊富さには圧倒される。ここも強い酸性だ。湯舟は20m×40m、あるいはもう少し大きいかも知れない程のでかさで、中央に途中まで仕切りのある半混浴。だが、もうもうたる湯煙で見通しが良くないのとこの広さ故に、女性も安心して入れる。勿論、入口は別。あとの湯はとりたててどうという湯ではなかったが、変った物として、泥湯では源泉付近の泥を丸く平べったい干柿状にして乾燥させたものを売っていた。これを家庭の風呂で溶かせば、インスタント泥湯の出来上りとなり、効能は忘れたがいろいろ効くそうである。全員試しにおみやげとして買った。
 参考までに今回かかった費用を記すと、高速道路料金、ガソリン代、共同食料(5食分)、全入湯料、幕場代その他全部ひっくるめて一人約1万円であった。ちなみに東京からの往復走行距離は1200キロであった。やはり秋田は遠い。でも大湯滝へは機会があればまた行きたい。そして今度は、上流から大湯滝へと、途中の天然湯舟を全て見極めながら湯尻沢を下降してみたいと思う。


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