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雲取山集中山行
その2 大雲取谷遡行
服部 寛之

山行日 1986年9月7日
メンバー (L)小泉、服部、高橋(清)

 9月6日午後6時過ぎ、奥多摩駅に集合した小泉周子(L)、高橋清豪、それに僕の三名は、早速に酒とつまみを仕入れにスーパーへ出向いた。陳列ケースの中でおいしそうに鎮座しているショートケーキの前でさんざん迷ったあげく、結局誰一人買わず、すごく後ろ髪を引かれながら日原行きの最終バスに乗り込んだ。終点に着き歩き出すと、日もとっぷりと暮れ、カイデンがないと足元も覚束無い闇の中を、先程のケーキを思い浮かべながらすきっ腹を抱えてひたすらテクテク。舗装路は日原鍾乳洞のバス停まで。その先の日原川沿いの林道は、昼間の雨で水たまりがあちこちにできていた。林道では2台の車に抜かれた。双方とも止まって「どこの沢に入るの?」と声をかけてきたので、乗せてくれるのかと思って笑顔を作ってみたが、「ふうん」と言って走り去ってしまった。どうやら釣師らしかった。
 2時間ばかり歩いただろうか、金子氏が親切にも残してくれた張り紙がカイデンの光に浮かび上り、唐松谷への入口に着いた。細い山道を下りて行くと、じきにボウッと明るいツェルトが、黒い木々のシルエットの間に浮かんで見えた。金子パーティの隣にツェルトを張り、やっと夕めしにありつく。10時30分頃だった。
 翌朝は6時頃幕場の下から沢に入った。昨日の雨のためか、水量が多く、しかも冷たい。やがて長沢谷・大雲取谷の二俣に出た。左が大雲取谷である。この谷は雲取山の北側につき上げており、今回の集中では一番遡行距離のある沢である。2~3メートルの小滝が連続しており、最後に8メートルの大滝が控えているが、三人は気楽な調子で登って行った。しばらく行くと、30才前後の釣師に出会った。愛想のよい人で、僕らがジャブジャブ沢の中を歩いているのに嫌な顔を見せず、そのかわり僕らの数倍の身軽さで先へ先へと行っては糸をたれていた。話を聞いてみると、この沢にはしばしば来ているようで、沢の様子をよく知っており、僕らに適当なアドバイスさえ与えてくれた。釣師には沢に針や糸を放置するのが多いので良い印象を持っていなかったが、彼氏はそうした悪評を少しは払拭したように思えた。
 ところで、周子リーダーはその魅力的なヒップに清豪のトランクスを無理矢理合わせ、強調されたボリュームの魅力を余すところ無く川魚たちにおひろめしていたが、ある何でもないような所で取り付いた岩からあっけなくポロッと剥がれて、1m程転落した。胸を強打して痛そうだった。この日、彼女はどこか調子が変で、もしかしたらこれは無理な形状を強いられたトランクスの呪いのせいであったのかも知れぬが、結局この日彼女は3回落ちた。いずれも大事には至らず、幸いであった。僕も落ちぬよう気をつけねばと自戒したのであった。
 やがて、今は廃道となっているらしいが、仙人尾根道を通す橋が現われて、沢の中程に来たことを知った。橋をくぐると、やがて沢は水量を1ヶ所にあつめて4メートル程落としている。左岸側がルートのようだ。まず清豪が取り付き、すぐ僕が続いた。清豪は落ち口に沿って細かいホールドをたよりに行こうとしたが、僕は上から捲けそうであったのでそのまま苔の付いた岩を登って行った。やがて、被りぎみの岩に頭を押さえられてしまったので、左へへつろうとして足を出した。その途端であった。アッと思った時は、既に頭が下になっていた。反射的に手を突っ張ったが止まらない。ぐんぐん水面が目前に迫る。頭から水に突っ込んで行くのがわかった。幸い水深は浅かった。平らな岩の上に這い上がってみると、右手のひらを2ヶ所切り、右肘のあたりをひどく擦り剥き、血が滴っていた。打撲で麻痺して痛みは感じない。右大腿部にしびれがあった。両膝の震えがしばらく止まらなかった。落ちたのは5メートル位だった。ヘルメットを被っていたのと、背中の大きめザックがクッションとなったのが幸いして、比較的軽いダメージで済んだ。落ちぬようにと自戒したつもりだったが、先ず落ちることはないだろうという奇妙な確信にも似たあなどりから来た、ちょとした油断が招いた事故だった。
 落ちつきを取り戻したところで、心配そうな二人とこれからどうするか話し合った。全く力が入らなくなった右手のことを考えると、この先8メートルの滝は登れそうにないので、僕は沢の左岸に沿って走っている大ダワ林道に出ることにした。と言っても、先程の橋まで戻るのもしんどいので、とにかくこの滝を抜けねばならない。既に上に抜けていた清豪にザイルで確保してもらって、何とかこの滝をクリアすることができた。運の良いことに、その先に林道に通ずる小ルンゼがあった。僕は周子と清豪にはこのまま沢を行って欲しかったが、リーダーは同じパーティなのだから一緒に林道を行こうと言ってくれた。これからが核心部で面白くなるというのに、僕のために中断させてしまうのは何とも申し訳なかったが、素直に有難く好意と友情を受けることにした。小ルンゼを林道に上ると、もう10時30分だった。事故でずいぶん時間をくってしまった。
 大ダワに出る少し手前で昼食を取り、委員長が宣告した午後1時のデットラインをクリアすべく、頂上へ急いだ。汗びっしょりになって頂上に着いてみると、そこには金子パーティと、もうとっくに出来上った鴨沢ピストン組とがいるだけで、委員長はおろか他のパーティもまだ来ていなかった。僕は間に合ってホッとすると同時に気が抜けてしまった。当然周子女史のアダッぽい究極のトランクス姿は、皆の恰好の酒の肴となった。酷使に耐えた清豪のトランクスがその後どのような運命を辿ったかは、今もって定かでない。


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