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昭和62年度正月合宿
その2 鹿島槍ヶ岳赤岩尾根
江村 皦

山行日 1986年12月31日~1987年1月3日
メンバー (L)江村(皦)、伊藤、鈴木(章)、冨岡

 12月30日、午前10時30分伊藤号ジープにて荻窪を出発。見送りに市川さん。今年の年末は12月27日、28日ぐらいに、帰郷やスキーヤーが早ばやと出たためか車も余りこまず、大町に4時頃に着く。大町七倉荘にて泊る。
 12月31日、タクシーで鹿島部落まで入る。鹿島館で市川さん差し入れのカステラでかるく朝食をとる。たまたま来ていた田原氏と会う、昨夜飲みすぎたらしくさえない顔をしていたが、むりやり車で大谷原手前まで乗せてもらう。
 大谷原を6時45分出発、空模様ははっきりしないがまあまあなので歩き出すが、伊藤氏は昨夜の大町の酒がだいぶ残っているようで、ペースは上がらず、ウェー、ウェー、のいつもの声を出しながら西俣出合に8時15分に着く。一休みして赤岩尾根の急な道を登りだす。雪は少な目で、雪の上にきれいにトレースがついておりアイゼンもいらず、1時間ほど登りアイゼンをつけ、12時10分に高千穂平に着く。高千穂平にはいくつかテントが張ってあったが、例年にくらべるとテントの数は少なめであった。早々に天幕を張り中にもぐりこむ。この頃から雪も振り出し、だんだん風も強くなる。
 天狗尾根隊とのシーバー時間15時45分、今までほとんど交信できなかったが、ここでいい感度でシーバーに入ってきた。冷池小屋からだった、4人みな元気だとのこと、明日下山お会いしましょう、でシーバーを切る。
 今夜は年越ソバだそうで、一杯やりながらどんなものが出来るかと、伊藤氏と酒を酌みかわしているうちに、章子、明美は手なれたものですぐに出来上がった。久し振りにラジオの紅白など聞きながら年越ソバを食べる。その頃から外は雪、風、そして雷がますます強くなり、寝るまでに雪かきを3回ほどする。
 1月1日、予定通り4時に目を覚ますが、雷がないだけで昨夜と同じ大変な荒れのため停滞。シュラフにまたもぐり込む。8時半頃やっと起き上がり、バーナーに火をつける。今日は元旦、雑煮、鶏肉のだしで、しいたけ、野菜など入ったスープが出来上がった頃に、昨夜冷池小屋にいた天狗尾根隊の金子、中沢、高橋(弘)、湯谷の4人が元気な顔を見せる。10時頃は天気回復し鹿島槍のピークは見えないが、爺ヶ岳から冷池の稜線が見えはじめた。
 マァー、マァー、ヤァー、ヤァーといつもの事でテントの中に入る。出来た雑煮のスープと少ない酒を酌みかわし、笑い声がたえない内に、12時頃天狗尾根隊4人が大谷原に下山して行った。4人が居なくなったテントは活気なく間が抜けた感じだった。
 16時頃から天気が段々悪くなり、大きなボタン雪に雨、みぞれだ。やることもなくラジオを聞き、夕食の牛丼を食べシュラフにもぐり込むが、風の音、雪の音で眠れない。その内に雪の重みでテントが両脇から圧力を受けポールがしなり始め、ついに強風でエスパースの張綱が切れてしまった。ここでもう一度雪かきをしてから、又シュラフに入る。
 1月2日、4時起床、天気はまあまあ空に星が輝いている。朝食をすませて6時30分出発。昨夜の吹雪でついたのか爺ヶ岳のヒマラヤヒダをながめながら、稜線への急な坂を登り冷池に8時頃着く。冷池に着いた頃からガスが出始め、みるみる天気が悪くなり、稜線を歩き出すとすぐ吹雪き出し顔に当る雪が痛く、布引あたりからは視界もほとんどなく、鹿島槍頂上に10時15分着。休むまもなく写真を撮り、すぐに下山する。冷池小屋のすぐ上にて真白くなった雷鳥が出迎えてくれた。冷池までくると風も余りなく、一休みしてからベースに戻る。ベース着13時10分。天幕の周りを整え中に入る。少ない酒を飲み出したがどうみてもたりそうにない。きのう天狗隊からもらったウィスキーを、せこく、せこく飲んでいたがついに無くなった。だんだんじじい二人は日本茶とヨーカンですごす。夕方から又、重い雪が降りだした。
 1月3日、天気晴れ、6時に起床し朝食はスープと行動食ですませ、天幕を撤収し8時20分、大谷原へと下りはじめる。天気もよく爺ヶ岳から鹿島槍ヶ岳のピークなどはっきり見え、鼻歌まじりで大谷原に下山した。10時40分だった。


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