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春山合宿
その1 春山合宿、北岳
佐藤 明

山行日 1987年5月2日~5日
メンバー (L)服部、荒川、鈴木(章)、冨岡、佐藤(明)、中村、市川、今井

 昭和62年5月2日、0時01分新宿発の上諏訪行きの鈍行列車にて出発。バットレス隊の隊長は今日はメーデーのため会社は休みで、集合時間までお酒を飲みながらヒマをつぶしたとのこと、私が八王子で乗車する頃にはとっくに酩酊状態で、4人がけのボックス席で両側に(美)女2名をはべらせて支離滅裂なことを言っている。それでも周りは飲め飲めと言っているから無責任なものである。
 3時甲府着。隊長は自分の荷物はおろか、とても一人では歩けず、両側を抱えられて予約してあった芦安観光タクシーに乗り込む。(9名で1万9千円)
 夜叉神峠から先は一般車通行止めで、この芦安観光のみが許可証があり入れるとの事。峠でタクシー待ちをしている他の登山者も多く、なんとなく優越感に浸っての入山である。あの甲府駅での酔っぱらいパーティとは誰も気付くまい。
 明るくなったころに広河原に到着。朝日に輝く北岳バットレスを見上げワクワクしている奴、あんな高い所まで登るのかーと浮かない顔をしている奴、よたよたして看板に頭をぶつける奴、この先が思いやられる。
 朝食を取り5時25分、さっそく登り始める。章子とこの草が食べられる、あの芽も食べられるなどと話しながら歩くが、結局なに一つ取らずに雪が出てきてしまい残念でした。
 雪で埋まったベース地、御池までは3時間30分かかり、到着は9時。例の隊長は途中で寝込んでしまったようで、一人遅れて11時頃ふらふら歩いてくる。午後は昼寝などをしてのんびり過す。
 翌5月3日、起床3時半。朝食を取り出発に備えるが、明るくなると雲が厚くどうも気分がのらない。テントの中でも「今日は休み」を希望するメンバーと、「行かなければならない」とする責任感の強いリーダーとの間で無言の葛藤があり、重々しい空気が漂う。この雰囲気を打開しようと、リーダーがおもむろにテントから出て今から占いをしてきてやると言うのである。これは先祖代々服部家に伝わるありがたいキジ占いというもので、その色、形、そしてニオイで物事の吉凶を判断できるとのこと。揚々として出て行ったが帰りは遅く、そのうちにパラパラと雨が降り出す。ニコニコ顔で戻ったリーダーのお言葉は、今日の行動は凶。さぞかし胸もお腹もすっきりしたに違いない。シュラフにもぐり込み一杯やる。
 雨も小降りになった12時頃、後発隊の中村氏など3名がびしょぬれになってやってくる。なんでも、広河原の冬期小屋で雨宿りをしていたら、管理人に追い出されたとのこと。ひどい話だ。
 5月4日、夜半過ぎから満天の星空となり、4時起床。出発6時。バットレスは金子氏の体調が悪い為、弘道氏と竹内さんの2名のみが取り付き、清豪氏はこちらと一緒の尾根隊となる。
 北岳への尾根ルートはアイゼンもよく効き、トレースに導かれるまま草すべりで大トラバースをして稜線に出る。北アや南ア南部の山々が見渡せ、展望図を持ってこなかったのが悔やまれる。9時過ぎに頂上着。楽なルートだったため、体力のなさが表面化せず助かった。
 写真を撮り風の当る頂上を早々に後にし、八本歯のコルから下山となる。下り出しは傾斜が急でついヘッピリ腰になってしまうが、皆が行ってるのだからと自分にも言い聞かせて降りる。バットレスに向いモートーのコールをすると、四尾根のまん中辺りから弘道氏の返事がきこえた。明るい内に戻ればいいがなどと思ってしまう。途中でフキノトウを採り、ベース帰着は12時。午後からは、又してもうだうだして過ごす。バットレス隊は、16時過ぎに帰着。また金子氏も一人で北岳を我々と同じルートでトレースしてくる。
 5月5日、6時下山開始。大樺沢を下り8時に広河原着。タクシーの予約は9時なのだが、その時間になっても来なくやきもきしてしまう。確かに、ゲートが開かなければ行けませんよとは言われていたが、もしそうなら夜叉神峠まで4時間かけて歩かなければならない。同じ9時予約の他パーティはもう待てないと9時半に歩きで出発したが、こちらはリーダーの不安も気にせず飲んでいたため出発がずるずると遅れているうちにやっとタクシーが現れた。さっそく乗り込み走り出すと、歩いている登山者がいることいること。皆うらめしそうな顔で見ている。又しても優越感に浸っての下山である。あの広河原で騒いでいたパーティとは、誰も気付くまい。芦安村営ロッジで一風呂浴びて帰宅4時。

費用
食料、ガソリン等一人当り 2500円


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