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鼻曲山紀行
服部 寛之

山行日 1987年3月29日
メンバー (L)服部、湯谷、倉林、他1名

 『はなおかじった先生』というのが、昔、『忍者ハットリ君』に登場した。ズーズー弁で少し間の抜けた先生だったが、僕は好きであった。その先生の生まれ育った所が『鼻曲山』である、のかどうかは知らないが、ヘンテコな名の山もあるものだ。それにひきかえ、その東麓に湧く温泉は『霧積』という美しい名である。深山の雰囲気を漂わせて、その響きは文学的ですらある。山峡の静かな出湯とその奥に控えるミョーチキリン風な山。このチグハグな取合わせのアンバランスな魅力にモノズキノ虫も目を覚ませば、出掛けないでおられようか。という訳で、山域未定の僕の例会山行はここに決定と相成った。
 鼻曲山は軽井沢駅の北7.5キロ、浅間山の東11キロに位置し、標高は1654メートル。頂上は二峰に分かれ、東側を大天狗、三角点のある西側を小天狗という。東西南北四方から登山道が通じており、この辺りの好展望台である。岳人476号(昭和62年2月号)の山行案内によれば「浅間山や八ヶ岳はもちろん、運よく移動性高気圧の晴天をとらえれば、北アルプスや尾瀬、谷川連峰の白い峰々の大展望」を楽しめる筈である。その山行案内掲載のコースは、霧積温泉から鼻曲山に登り、碓氷峠方面に南下して軽井沢駅へ出るものであるが、今回は鼻曲山西麓の長日向から直接ピークを目指し、霧積温泉に下りることにした。チョイとひと汗かいて、それを温泉でたっぷり流して帰ろう、という寸法である。
 ではどういういきさつで『鼻曲山』などというヘンチクリンな名前がついてしまったのか? この疑問に答えるべく私は調査研究推考を重ねること三日、晴れて次のような諸説を得ることができた。

仮説(1) 悪臭を放つ不思議な樹が生えている。鼻が曲がる程クサイ→鼻曲山。
その(2) スカンクがいっぱいいる。
その(3) 全山キジで出来ている。
その(4) おじぎ草が群生している。「花曲り」が転訛。
その(5) その昔、この地方の悪代官がこの山で狩をしておったら、突如天狗様が現われて「この悪党め、これでもくらえ」と言って悪代官の鼻をギュッとひん曲げた。
その(6) エレファントマンが住んでいる。
その(7) 山の形がひん曲った鼻のように見える。

 果たして正解は何番か? これは簡単には答えられないムズカシイ問題である。現在日本が直面している円高不況、産業空洞化、高失業率、地価高騰、貿易黒字などの諸問題も日本政治の伝統と格式高いソノバシノギ流対策をもってしてももはや間に合わない程、深刻化した難題であるし、売上税にしても中曽根さんのヘソが曲がる程ムズカシイ問題であるが、これも負けず劣らず重大な問題である。などと言えば、
 『アホかお前は!この大変な時期に山の何がどう曲ろうと知ったことか!』
とおっしゃるかも、知れぬが、だが、そういう投げ遣りな態度は正しくない。人間、真摯でなくてはいけない。首相のヘソは曲れども、曲げちゃいけない人の道。曲っていいのは山の道。てな訳でこの問題、実地検証しながらつらつら考えてみたい。

 昭和62年3月29日(日)、軽井沢のプラットホームには爽やかな高原の空気が立ち籠めていた。午前8時01分、そこに降り立つ長短8本の足。これぞ、鼻曲山踏破を目指す我が三峰タコ部隊の来着である。駅員がいるので清算を済ませ、改札を抜けるとそこは小さな待合室である。シーズンには若人らの熱気でむせ返る程のこの部屋も今はひっそりとして、軽井沢の休息の時を護るかのように静寂が重くたれこめている。「ミーハーのいない軽井沢はすがすがしくていいなあ」と、ミーハーのいない軽井沢に憧れていたミーハーの服部隊長は思った。湯谷隊員は待合室のベンチに腰を下ろし、列車内からのつづきであるヤキソバに取り組んでいる。彼は先ほど、くたびれジーンズにつっかけズック、背には山屋の赤ザックといういでたちで食べかけのヤキソバを押しいただきながら、プラットホームを闊歩し、車窓の乗客らの苦笑を買ったのであったが、少しもたじろぐところは無かった。チャレンジ精神に富む彼は、幾多の登攀で鍛えた強い精神力を持つ好青年である。靴紐を締め直している倉林隊員は我がタコ部隊の紅一点、自他共に認める温泉ギャルである。湯に対する真摯な態度は隊長も大いに買っているのだが、ともすると「山行中止して温泉に直行しません?」と大人しそうな顔して平然として言うので、山岳部隊にあっては任務遂行上の危険分子でもあり、注意を要するのだ。黙ってキジ場に姿を消したトラさんこと堀場隊員は、服部の友人であるが、アルコールがある程度進むと突然ひとりで盛り上って周囲の意表をつく作戦を得意とする、気のイイ男である。こうして出動準備を整えた我が部隊は、タクシーの運ちゃんに命じて長日向へ向けイザ出発したのであった。
 映画でしか見たことがないような、小立ちに囲まれた瀟洒な別荘を数軒指をくわえるうち見送ると、タクシーは工事中の林道をガタピシと疾走する。8時25分、約15分で登山口に到着。間髪を入れず、部隊は広い道幅いっぱいに展開し、キョロキョロと辺りを見渡す。人気なし。狸気もなし。どうやらここはどこぞの不動産業者開発中の別荘地のようである。どれも同じ様な造りの、見事に独自性を強調しそこなった没個性的なログキャビン風建物が、ぶっとい道の両側に軒を連ねるようにして立ち並んでいる。別荘ならばそんなにくっつけて建てなくても、と思うのだが、そうは許さない諸般の事情があるのであろう。余暇を楽しむための場所にもゆとりが無くなっては我が民族の精神構造はどうなってしまうのかと心配する自分は、そんな別荘にさえもとうてい手が出ない境遇である。悲喜劇の複雑な心境・・・。
 別荘地を抜けると、道は三方向に分かれている。地図では登山道の筈なのに、どれもダンプが通れるくらい太い道である。頼り無さそうな鼻曲山の指導表は真ん中の道を指しているが、一応コンパスで確認する。どうやら方向は合うておる。道はゆるい上り坂で、日当りの悪い所々にはまだ雪が若干残っていた。木立を透かして見る朝日が爽やかだ。ノッタラ、モッタラ登って行くと、突然見晴らしの良い場所に出た。前方に見える高みが鼻曲山らしい。なぜか上方の木々がまっ白である。もしや仮説(1)の不思議な樹というのはあれであろうか? 振り返ると、立ちこめるガスの上に大きな浅間山が顔をのぞかせていた。ボリュームを感じさせるすっきりとした線と白と黒のパッチ模様。海上に踊り出た巨大なシャチのようだ。ガスは臭わないのでスカンクから発せられたものではなさそうだ。今回ガスマスクは装備していないので心配していたが、スカンクは姿どころか足跡すら見えない。よかった、よかった。(2)の説はペケである。この見通しのきく場所は、よく見ると木を伐採したあとをブルドーザーで大まかに均したようである。どうりで道が太い筈だ。それにしても、こんな山中まで別荘地に変えるつもりなのか? 開発業者は「自然」という言葉を謳い文句にして自然の擁護者づらして見せるが、実態は多くの場合正反対である。ここも開発されて人工構築物が増えれば、鼻曲山からの眺めも一段と興醒めすること間違いなしだ、残念だ、などと考えていると、湯谷隊員がおもむろにペーパーをぶら下げて姿を消したのであった。そこで天気も良いことだし、彼を待つ間ザックを下ろして一本とする。ここでこちらもついでに(3)の説を検討してみよう。(前掲の(3)を見よ)
 マサカ、そんな馬鹿なことがあるハズがないと思われたら、貴殿はまともな思考の持主である。だが、事実は小説より奇なり。実は(3)が正解なのである。"ピンポン、ピンポン"、神代の昔、この地方を統治したオオキジノミコトが、自らの墓とすべくウンチクを傾け、一大年月を費やして築き上げたのがこの山なのである。だから古いお墓のことをコフン、と言うのだ。そしてその山体から発せられる異様な臭い故にいつしか『鼻曲山』と呼ばれるようになったのである。これぞ正に奇事!、この事実が今まで世に出なかったのは、実は軽井沢のイメージダウンを恐れる軽井沢町当局とリゾート地開発で大儲けしようと企む不動産業者らのインボーなのである。インボーはクサイものと、昔から相場は決っておるのだ。だが今や、この事実は明らかにされねばならない。何故ならば、浅間山の噴火口が地震の振動のために鼻曲山の下までずれて来る可能性が最近の研究により否定できなくなったからである。もし鼻曲山が突然ドカン、と爆発したら、吹き飛ばされた大量の○○が軽井沢の町に襲いかかって・・・・嗚呼、これはもう第二の鬼押出しかポンペイか。目を覆うばかりの惨状である。ヒューヒューとうなりを上げて容赦なく降り注ぐ大量の○○!。突然のことに、立ちすくむ人々!
 「なんだ、あれは?!」
 「鳥か?飛行機か?」
 「宇宙人の来襲だ!」
 「いや、スーパーマンだ!」
と叫ぶうちに、直撃弾を食らってウーンと気絶するゴルフのおっさん、サイクリングのおねえさんたちも、危なくて走っちゃいられない。白い短パンから日焼けした愛をスラリと伸ばし、ラケット抱えてカワイコちゃんにはニカっと笑うキザなテニス野郎達の上にも直撃弾が見舞う。ザマーみろ。逃げ惑うホットパンツの女の子達は、本当にお気の毒。当っちゃったらウンのつき。ウンは天におまかせね、などと考えていたら。
「どうも、どうも」と湯谷隊員の晴れやかな声がした。私としたことが、ついつい陽気に誘われてアホな空想にふけってしまった。
 そこから少し行くと、またしても分岐に出た。今度は十字路である。なぜか指導標がいくつもある。「金山経由霧積温泉まで8.7キロ」とあるかと思えば「鼻曲山経由霧積温泉8.7キロ」ともあり、矢印もそれぞれ勝手な方向を指している。どうも信用が置けない。そこで、一番太い右の道を行くことにした。道は高みを右に巻きながら上っており、鼻曲山の南の尾根道に出るようである。しばらく行くと、周りでサラリン、サラリンと音がする。何か白い霜のようなものが降っている。見ると霧氷の破片であった。樹木に付着した霧氷が気温の上昇とともに剥がれ落ちているのだ。先程見た白い木々の正体は霧氷であったのだ。斜面一帯に広がる白く輝く木の森は幻想的な美しさである。木の精たちが出て来て我らを歓迎し、チャイコフスキーのワルツにのって『鼻曲山音頭』など踊り出しそうな雰囲気である。ここで堀場隊員が写真を撮ると言って隊長のカメラを奪って姿を消したので、またしても一本となる。ザックを下ろした所には「鼻曲山頂への近道、急登」と書いた板切れが立っており、左手に急坂が続いているので、堀場隊員の帰還を待ってこっちに行こうと言うと、案の定、倉林隊員が「えーっ、急登行くんですか、私、先行って温泉入って待ってますぅ」と言い出した。これだから彼女は油断ならないのである。だがここで戦力を分けることはできない。食料をあてにしているのに計算が狂ってしまう。そこで隊長としては無理にでも威厳をはり、「それはならぬ」と彼女の言葉を一蹴したのである。全く、冷や汗もんであった。
 急登はぬかるんでおり、土質も火山性で脆く崩れ易く、一寸苦労させられた。それにしても仮説(3)が本当でなくて良かった。本当だったら、うっかりコケたりしたらエライことだ。などと考えながら周囲を観察する。霧氷の落ち具合は次第に速度を増しているようだ。上るにつれて日当りが良くなってきているためだろう。霧氷が剥がれても木は別段臭わない。辺りに悪臭も漂っていないので、どうやら(1)の仮説はインチキ臭い。仮説(4)のおじぎ草であるが、そんな草はどこにも見当らない。そういえば、おじぎ草は繁殖力旺盛な多年草だが熱帯原産で日本では野外だと冬は枯れてしまってハイソレマデヨだと何かで読んだような気がする。どうやら「花曲り転訛説」は眉唾っぽい。などと考えながらエッチラオッチラ登ること15分位で急登は終り、さらに数分で頂上に着いた。10時3分であった。絶景、とまでは行かなくとも360-α度の展望である。マイナスαは立木に覆われたこの山のもうひとつのピーク大天狗がすぐ東に隣接し、展望を邪魔している分である。生憎西の方はガスが垂れこめ、あとは霞がかかって遠望はきかぬが、雲の上に浮かぶ残雪の浅間山が大きく優しい線を描き、見事であった。浅間山をバックに記念写真を撮り、時間は早いがメシにする。他にすることもない。ここ小天狗は広さ6~8畳程で土がグチャグチャ。だが西の隅に乾いた草地があり、そこに腰を下ろした。予期したとおり、倉林隊員のザックからは一人では食べ切れない程の食料が出てきた。でかいおにぎりである。ソフトボール位の大きさである。しかも海苔つきである。ゴロゴロある。有能な女性隊員に恵まれると部隊の士気も上がろうというものだ。霧氷の枝越しに浅間山を眺めながら、でかいおにぎりをでかい口を開けて食べると、気分もでかくなるものだ。
 ところで仮説(5)であるが、大天狗・小天狗という名が残っていることからも、昔この界隈の天空をバッサバッサと翼をうちならし天狗様が徘徊していたことが推察されよう。軽井沢は外人宣教師が目をつけるずっと以前、天狗仲間の間ではちょいと名の知れた避暑地であった。殊に南方に棲む天狗で、自前の羽団扇であおいだだけでは暑くてたまらんという者達が赤い顔して、よく避暑にきておった。そういう天狗たちのところへ悪代官がやって来たものだから、神通力でたちまちの内に悪業の数々を見通され、ギュッと鼻をひん曲げられたのであった。この話の信憑性に疑問を持つ人は、上信越地方の伝説文献をひもとかれたい。あるいはこの近在の山里の古老にでも尋ねられたい。断じて言うが、どの文献を見てもこの話が載っておらず、また誰にたずねてもそんな話聞いたことねえなあと言われても、決して僕に腹を立ててはいけない。でっち上げのデタラメの話を信じて調査に労力を惜しまなかった貴殿の真摯な態度は称賛に価する。人間真摯が一番、実に立派である。悪代官も真摯でなかった故に鼻をひんまげられちゃったのである。その意味に於いても、貴殿はこの話の貴重な教訓を充分学び取られたのだ。「しんし」は「しんしん」に通ずる。しんしんはさっぱりしてうまい。さあ、しんしんをポリポリ噛って次に進もう。
 満腹になった我が部隊は11時に小天狗を出発した。まずはすぐ隣の大天狗である。3分で到着。「鼻曲山」と書いた標識はこちらのピークにあった。鼻曲山から霧積温泉へ下るには、大天狗から少し南下して金山に至り、そこから東へ延びる尾根を辿って十六曲峠へ出、再び南へ転じると霧積である。崩れ易い足元を木につかまりながら大天狗を下ると、鞍部にはまだ結構雪が残っていた。碓氷峠へ通ずるこの尾根道は、気持の良い林の中をアップダウンを繰り返し、新緑の頃に来たら楽しいだろうと思われた。賢明な諸氏は既にお気づきだろうが、霧積温泉は森村誠一の『人間の証明』の舞台として一躍有名になった所である。その作品が映画化されたさい、西条八十作の、
 『母さん僕のあの帽子
  どうしたでしょうね?
  ええ夏碓氷から霧積へ
  行くみちで渓谷へ落とした
  あの麦藁帽子ですよ』
という詩を模したTVコマーシャルが流されていたのを覚えている人も多いと思う。軽井沢周辺は森村や西条に限らず昔から多くの文士が遊んだ地であり、文学碑も多いと聞く。文学が好きな向きには、そういう碑を訪ねて山行を組むのも一興であろう。その際は黄色い麦藁帽子、腰手ぬぐい、黒い長靴、明治カールで装備を固め、この尾根道を辿って碓氷辺りで帽子をパァーッと谷に飛ばしてみたりすれば、文学ミーハーの山行としては完璧たること請け合いである。
 雪の詰った鼻曲峠から金山へかかる上りを登っていると、眼下に尾根道を東から登って来る二名の人物を発見した。今回の山行で初めて見る人影である。山慣れしている様子でどんどん上って来る。いよいよ仮設(6)のエレファントマンの出現であろうか?、その尾根道へは金山の頂上からではなく鼻曲峠からへつって行くようなので急いで引き返し、凍った雪のトラバースをおっかなびっくり辿って行くと、丁度その二人が尾根道を詰めた所で行き会った。エレファントマンではなかった。
 結論から言うと、鼻曲山にはエレファントマンはいない。なぜならば、だいいちポストが見当らない。日本の優秀な郵便屋さんはどんな僻地でもちゃんと配達する。日本の郵便事情は世界一と自慢していい。料金だって世界一だぞ。だからどんな田舎にもポストはあり、奥地に引っこんでいる家ではポストは母屋のずっと手前に設けることになっているのだ。だがここには無い。ということは、奥に住む人はいないということだ。第二に、かの鈴木ケンジ氏の「お元気ですか」にもエレファントマン氏はついぞ登場しなかった。各界の名士を訪ねるあの番組で、高級別荘地軽井沢の奥座敷に居を構える有名人があると聞けば、取り上げぬことがあろうか。だがこの場合、アナウンサーの性格からしてエレファントマンの方で断った、ということはあり得ると思う。第三には、フライデーされていない。これは決定的である。エレファントマンがいるならば、民主主義社会の最も基本的権利たる報道の自由と知る権利を守り、読者の下種なノゾキ趣味を満足させるべく身を挺して日夜困難に立ち向かっている勇気あるフライデー記者達が放っておく筈がないではないか!。

 この東へ下る尾根道は結構な急坂であり、しかも所々凍結していたためかなり時間がかかった。凍結がなければ駆け下れるところだが、逆に上るとなるとひと汗では足りないだろう。やがて傾斜もゆるみ、十六曲峠目指してルンルンで進む。この道は殆んど展望がないが、途中遠望のきく所があり、振り返った方向に鼻曲山らしき山が見えた。賢明な貴殿ならもうおわかりだろうが、(7)の説が正解なのである。これはマジである。三省堂の『コンサイス日本山名辞典』には「南東の霧積山方面から、巨人の鼻のような形に見えるのが、山名の由来となった」とあり、昭文社の『山と高原地図(14)軽井沢・浅間』に付いているガイドブックにも「ひん曲がった鼻を空中にそびえたたせるような山容」と書いてある。しかし、どう見ても僕にはそんな風には見えなかった。片目で見ても、薄目で見ても、首を横にして見てもだめであった。従ってこの説は僕が実地に確認した訳ではないので、後日行ってそのように見えなかったぜいといちゃもんをつけられても僕は困るのである。
 十六曲峠からは、文字通りのくねくね道を落ち葉を蹴とばしながら下ること15分で林道へ飛び出た。右へ300mで金湯館である12時55分着。金湯館は本館の手前にゴチャゴチャとある小屋の青いトタン屋根とコンクリート製の電柱が興醒めだが、明治期に建てられたという木造建物の玄関の構えはさすがに風格を感じさせる。ワクワクしながら風呂場に直行、パパッと脱いで戸を開けた瞬間、気が抜けた。何と水色のタイル張りである。しかも屋外に面する側はステンドグラスを模したような安手のプラスチック製のひき戸が並んでいる。もっと渋い感じの木造りの湯船などを思い描いていたのにがっかりである。更に悪いことには、湯が中途半端にぬるい。すぐに出ようかと思ったが、500円も払ってしまったので結局ずるずると長湯した。
 さて次は、霧積温泉のもう一方の旅館、きりづみ館。気分直しの頼みの綱はもうここの風呂しかない。きりづみ館へは金湯館から徒歩15分であった。こちらの建物は白壁の民家風の構えでずっと新しく、きれい、だが「建物が立派→高料金」という発想が染み付いている我らは、恐る恐る戸を開けて「すみませーん」。出てきたのはひょうきんさを秘めたおとなしそうな感じのお兄さんで「どうぞ、料金は500円です」と気持ち良い対応と値段に安心する。ここの風呂は石造りであり、渋さはないが先程のよりかはずっといい。湯温はこちらの方が若干高め。泉質はどちらも同じようで無色透明、やわらかい湯で炭酸が入っている。
 湯を堪能して迎えのタクシーを待つ間、ロビーでビールとタダのお茶をいただく。タクシーは横川駅からきりづみ館までなら入ってくれるのでありがたい。歩いたらたっぷり3時間はかかる距離である。横川の駅では駅前の店で名物の釜飯を仕入れた。湯谷・倉林両隊員は電車を待たずして幸せそうにパクついていた。横川始発16時17分の普通高崎行に乗り込む。あと数日で国鉄は民営化される。三峰山岳会の例会としては、これが最後の国鉄利用の帰京となる訳だ。今回の鼻曲山は軽い行程の割には温泉がヘビーすぎたというのが湯谷・堀場両隊員の感想であったが、隊長としては湯当り遭難も起こさず無事任務を貫徹でき、まずまずの温泉行、いや山行であったと思っている。

〈コースタイム〉
軽井沢(8:10)(タクシー) → 長日向(8:25) → 小天狗(10:03~11:00) → 十六曲峠(12:30) → 金湯館(12:50)

費用
東京→軽井沢(国鉄) 2400円
軽井沢→長日向(タクシー) 2100円
きりづみ館→横川駅(タクシー) 3800円
入湯料 金湯館・きりづみ館 各500円

☆前夜高崎駅でビバークしたが、駅員に頼んだら親切にも新幹線の待合室を利用させてくれた。6時半頃の一番列車までに出るという条件であったが、この待合室はきれいで静かでキジ場にも近い。キジ場はカイ電必携。


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