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一ノ倉沢・滝沢リッジ~ドーム壁
金子 隆雄

山行日 1987年3月21日~22日
メンバー (L)金子、高橋(弘)

 日本登山大系によれば『岩、雪稜、雪壁そしてドーム壁へと連なるこのルートは、50ピッチにも及び、登攀距離では欧州アルプスの北壁にも匹敵するわが国を代表する冬期のビックルートである』とある。50ピッチというのは少々オーバーである。実際はドームを入れて26ピッチぐらいである。それにしても長いことには変りない。
 前夜発の電車に乗り土合で下車。この日の谷川は大変な賑わいで、土合に降りた登山者はざっと見て100人くらいはいそうだ。準備をしてすぐに出発する。雪は例年通りもしくは少ないかなという感じだ。一ノ倉沢出合いの小屋で少し仮眠を取る。暖かいせいかぐっすり眠ってしまい起きたときにはすっかり明るくなっていた。天気は無風快晴、こんな日に登れなければ登れる日はないというぐらいだ。
 取付きまでは沢の中を真っ直ぐ進む。雪崩の危険は感じられない。滝沢リッジへはリッジの末端の右側の雪壁を少し登った滝沢側より取付く。既に3パーティが順番待ちをしている。登っているのが2パーティで我々を入れると全部で6パーティがこの滝沢リッジを登ることになる。
 弘道のリードで登攀開始となる。1ピッチ目は岩が露出している所を乗越すようにして灌木帯に上がる。灌木帯を1ピッチで飛込台に出る。飛込台より左へ悪いトラバースがあり、その後急なルンゼをダブルアックスで登る。しばらくは灌木帯が続き、雪壁登りと木登りを繰り返す。先がつかえていてうっとうしいので強引にヤブの中に突っ込んで先行パーティを追い抜く。おむすび岩は直登するにはホールドがなく、残置ピトンもなく、またハーケンを打つリスもないので右側のルンゼへ一旦降りてから登り返す。取付きから13ピッチで灌木帯が終了。
 この先は鋭いナイフリッジがドームまで10ピッチ、約400mぐらい続く。両側がスッパリと切れ落ちたナイフリッジは馬乗りになって越える所もある。アンザイレンして登るが、確実なビレーポイントはないためスタンディングアックスビレイとなるが、落ちたら止めることはまず不可能だろうから慎重さが要求される。
 ホルンピーク、P3、P4と越していき鋭いナイフリッジにも馴れて快調に高度を稼いでいくと、やがて目の前にドーム壁が立ち塞がる。ドーム直下のトラバースは雪崩が出そうでいやらしい。予定通りドーム基部でビバークすることにする。取付きからドーム基部の間にはビバークに適した場所はないので、1日目はドームの下まで来ないと厳しい状態になるだろう。ハングの下に岩と雪の隙間がありそこを広げて中にツェルトを張り、快適なビバークとなる。
 翌朝出発が遅れて昨日に続き取付きが最後となる。先行パーティが2組、他のパーティはドームは登らずAルンゼへ下降していった。ドーム壁は短いがアイゼンを付けての登攀は非常に厳しい。ルートは一番良く登られている横須賀ルートにとる。下部は雪に埋まっているので夏の1ピッチ目の途中から登ることになる。1ピッチ目、5mぐらいのクラックを残置されたスリングを頼りにA1で越え、右の外傾したテラスへ這い上がる。クラックを抜けてテラスへ移る所が不安定だ。今日も天気が良く、雪が融けて岩は濡れ上からは水が流れてきてシャワークライミングとなる。
 2ピッチ目が核心部でオールフリーのピッチだ。水平に走ったクラックにぶら下がるように右にトラバースして1本目のピンにクリップ、1本目のピンが遠いので緊張する。この上はホールドはあるが苦しい体勢を強いられパワーが要求されるムーブが続く。雪の付いた左斜上するバンドに上がるのが微妙なバランスを要求され苦しい。バンドに上がって少しで枯木が1本立っているビレーポイントに着く。緊張で喉がカラカラになる。このピッチも短く15mぐらいだ。
 3ピッチ目は出だしA1の掛替え3回ほど、後はフリーで登り途中から雪壁となり、ザイルをいっぱいに延ばし真新しいボルトが2本埋め込まれたビレーポイントに到着。ザイルが1本残置されているがこれは先日の事故のとき遺体搬出に使用したものだそうだ。ドーム自体は3ピッチで終了し、この後細い稜をコンテで1時間弱で国境稜線へ出る。谷川岳山頂を経由して西黒尾根を下降する。

〈コースタイム〉
21日 土合駅(2:50) → 一ノ倉沢出合着(4:10~6:00) → 取付き(6:45~7:40) → おむすび岩(11:05) → 灌木帯終了(14:10) → ドーム基部(17:45)
22日 ドーム取付き(8:40) → ドーム終了(12:00) → 国境稜線(12:50) → 指導センター(14:50)

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