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アルプス日記(上) グリンデルワルト編
服部 寛之

 1987年8月、当会の中沢道夫氏、同氏の婚約者の井上さん、それに服部の3名は思い切ってヨーロッパ・アルプスにハイキング&登山に出かけました。その模様を上・下2編に分けて発表させていただきます。

 8月2日(日曜日) 曇、グリンデルワルトで雨
 成田からの飛行機をアムステルダムで乗り換え、スイスのチューリッヒに10時20分着。ハイシーズンで飛行機は満席。電車と違って、床や網棚で寝られなくてつらかった。成田での手荷物検査では、予期せぬことがあった。第一にピッケル。僕らの人相を見てかどうかは知らぬが、機内持込みは許されずザックと一緒に預けなくてはならないとのこと。これは、ビニールの緩衝材でぐるぐる巻きにされて、チューリッヒでザックと一緒に出てきた。第二にガスボンベ。中沢氏が手荷物の中に入れていたEPIガスを全部没収されてしまった。これは困った。飛行機にはガスボンベは御法度で、没収品は破棄処分にしてしまうと言う。幸い僕の持ち分が預けたザックの中に入れてあったので(チェックイン前の検査では僕らの荷物は開けて調べられなかった。人徳・人徳)取りあえず間に合うが、じきに使い切ったら本体に合うボンベが入手できるかどうか心配だ。
 空港から地下の鉄道駅に下りて、Half-FareTravelcard.(1ヶ月用65フラン、1スイスフランは約100円)とグリンデルワルトでの乗車券を買う(23.7Fr)。前者の半額旅行カードというのは、旅行者用の特別なおふだで、窓口で"エイ、ヤッ"とこれを見せればスイス国内の大抵の乗り物は半額になるという、マコト成田山のお札よりありがたいお札である。僕はヨーロッパの鉄道は初めてなので、勝手がよくわからない。改札など無く、勝手にホームに入って勝手に乗る。ただし、検札が来てちゃんとした切符を持っていないと、えらく高いものにつくそうだ。駅員に確認して、インターラーケン行きの列車に乗り込む。「おっすげぇ」と驚いたのは、重役室にあるようなゆったりとしたふかふかのソファー。スイスの鉄道はえらくサービスがいいなと感心していると、車掌が来て「ここは一等車です」。すごすごと二等車に移る。こちらはビニール張りの席でクッションはあまり良くないが、僕としては一等車のデラックスシートよりリラックスできる。育ちはごまかせない。こちらの列車は各車両とも中央で仕切られ、禁煙と喫煙に二分されているのが多いようだ。タバコに対する対応は、やたら禁煙の領分を広げる日本の鉄道より民主的かもしれない。列車はけっこう速く走った。80キロやそこらは出ていたと思う。それにあまり揺れない。でも、アウトバーンに平行したところでは車の方が速かった。
 3時間15分程でインターラーケン・オストに到着。インターラーケンはグリンデルワルトの北西に位置し、東にブリエンツ湖、西にトウーン湖という共に長さが15キロ位ある細長い湖に挟まれた町である。列車はトウーン湖沿いに走ったが、湖にはたくさんのヨットやボートが浮いて、賑やかなリゾート地のようだった。インターラーケン・オストで登山電車に乗り換え、川に沿って右に左にガタピシと蛇行しながら谷を登って行く。40分程かかって16時10分グリンデルワルト着。バラバラと雨が降っていた。駅前のホテルにある日本語案内所で安宿の情報を聞く。そこのねえちゃんは安いところは大抵混んでいると言うだけで、具体的な空室情報などはなかった。そろそろ受け付けが始まるというユースホステルに急ぐ。ヒーコラ、ヒーコラ急坂を登って行くと、すでに長蛇の列。やっと順番が来たと思ったら、もう空ベットは二つしかないとのこと。聞けば、受け付け開始前から予約登録を受け付けているとのこと。5分程はなれた所に安い宿を紹介してくれたのでそちらへ行く。これは正解だった。Natur freunde hausといって、木造4階建ての建物は年月を経ているが、清潔で、ユースのように五月蝿く騒ぎ立てるガキグループはおらず静かである。英語も話す親切なおばちゃんがいて、料金もユースに毛がはえた位(一人一泊13.3Fr、シーツ5Fr)。朝食(5.5Fr)と夕食(11Fr)は頼めば出してもらえるし、自炊用のキッチン(1回電熱代0.2Fr、必要なものは鍋から食器まで揃っており、大きな冷蔵庫も自由に使えた)と食堂もある。何より嬉しかったのは、ユースのようなドーミトリー形式(誰も彼も一緒の部屋)ではなくて、鍵付きの一部屋をくれたことだ。これなら部屋に荷物を残しても気に病むことはない。僕らがもらったのは4階の三人部屋で、居心地良かった。トイレは三部屋毎に男女1ヶ所づつあり、各階に洗面所があった。シャワーは二つ1階にあり、無料だが、これは忙しかった。シャワーは使用時にヒーターのスイッチを入れるようになっているのだが、そのスイッチがシャワーのコンパートメントの外にあり、しかも8分間しか有効でない。つまり、8分以内に石ケンを全て洗い流さなければお湯が水に変って自分の鈍重さかげんをえらく思い知らされることになるのだ。従って、スイッチを押してからの迅速かつ無駄のない動きが勝負のポイントである。毎回僕は万事抜かりのないように、スイッチを前に呼吸を整えながらいま一度頭の中全手順を復唱した上で勝負に臨んだのだが・・・・・熱いお湯がみごと冷たい水に変わる瞬間を幾度味わったことか! 今こうして書きながらもしみじみと思い出す。
 その日の夕食は、1キロ程離れたパノラマレストランというところへ食べに行った。宿のおばちゃんの話では、手頃な値段で美味しいということだったが、やや油っぽくまあまあだった。確か鳥の空揚げとハンバーグとグレープフルーツジュースなどを注文したように思う。英語のメニューが用意してあったので助かったが、正体が想像つく料理はそのくらいしかなかった。

 8月3日(月曜日) 晴れ
 今日は、長旅後の体調を整えるということで、軽いハイキングに行く。朝早く目が覚めたので、三人揃って散歩の出たら、昨日の低い雲がすっかり晴れ上がって宿の前に巨大なアイガーがそそり立っていた。その高さと大きさに目を見張る。朝日を浴びたピークが薄茜色に輝いて美しい。朝食後、仕度をして8時40分に宿を出発する。長い横向きのリフトに乗ってフィルスト(2167m)という展望地まで行く(9.2Fr)。このリフトがすごい。一気に1000mを登ってしまう。乗り場には防寒用のコートが山積みになっていた。上半分に雲のまとわりつくヴェッターホルンを眺めながら、広い緑の斜面の上を滑るように上って行く。途中2ヶ所中継駅があるが、リフトはうまい具合に次のワイヤーロープへと流れて行き、乗り換えずに終点まで行けた。駅から出ると、僕らは歓喜の声を上げた。青い空の下に広がる緑の草原、遠くに草をはむ牛や馬、その足元に光る幾筋かの小川、緑の台地からゆっくりと落下する白い滝、遥かな谷間(たにあい)に見おろすグリンデルワルトの町並みのむこうには、アイガーやユングフラウをはじめ白い峰々が立ち並んでいる。どちらを向いても絵葉書のようで、カメラをどこへ向けたらよいか困るほどだ。息を飲むようなこの美しい景色に見とれることしばし。アメリカ人らしいおばちゃんに頼んで、アイガーをバックに三人で記念写真。
 フィルストからバッハアルプゼーという小さな湖(2265m)に向かう。北西へ3キロ弱の道のりである。バッハは小川、ゼーは湖又は海を意味し、アルプスは森林限界の上に広がる草原地帯を指す言葉のようだ。このあたりはバッハアルプスと言うらしい。暑くも寒くもなく、日が差して最高のハイキング日和である。のんびりと歩く。家族連れや老夫婦もけっこう多い。右手にはリッツェングレットリと呼ばれる200~250mの高さの陵が平行して走り、左手には草原が広がっている。歩くに従っていろいろな色の花が咲いていて、目を楽しませてくれる。黄、青、紫、等々どれも色鮮やかだ。全体的に小粒である。小さな雪渓を越えると、すぐに湖だった。湖畔には思い思いの場所に腰をおろしてランチボックスを開けている姿が目立った。僕らは湖の南側にまわって湖を見下ろす丘の上に陣取った。景色をたのしみながら、今朝行きがけにスーパーで仕入れてきたパンをかじる。どこからともなく、黄色い嘴の黒い鳥が飛んできて近くにとまった。
 そこからは湖へは戻らずに南進した。いくつかの雪渓や丘を越して最後の斜面を登ったら、その先は切れ落ちた崖となり、しばし隠れていたアイガーが再び姿を現わした。素晴らしい展望に、迷わず一本。ここはフィルストとは違って山との間に深いグリンデルワルトの谷があるだけで、余計な前景がない分直接山と対峙することができる。見ると、右手に上方に続く稜線が延びているのでそこを登ることにする。30分もあればてっぺんまで行くだろうと思ったが、とんでもない、けっこう時間がかかった。大きな景色に目が騙されてしまう。美しい風景に足は軽い。登るにつれ、今までアイガーの影に隠れていたメンヒがアイガーの右肩に頭をのぞかせてきた。もっと良く見えるところへと思って尚もせっせと登って行くと、突然丘が切れ落ちてそこでストップ。リーティホルン(2757m)というピークだった。天気も良いことなので、ここでゆっくりして豪華な景色を楽しむことにする。南中央左からアイガー(3970m)、メンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)と続く山並はオーバーラント三山といい、アルプスでも最も美しい山並の一つに数えられている(グリンデルワルト周辺はベルナー・オーバーラントという地方である)。アイガーの左には、長い直線的な稜線の下に氷河まで一気に切れ落ちる白壁を見せているフィーシャーヘルナー(ピークは三つで最高峰は4099mのグロス)、その左奥に雲間から時折顔を出す三角ピークがベルナー・オーバーラント山群最高峰のフィンスターアールホルン(4274m)、その左手前メッテンベルク(3104m)、の上にそびえて見えるのがシュレックホルン(4078m)、その左手にグリンデルワルトの谷まで落ちている上グリンデルワルト氷河を挟んで立っているのが先程リフトから眺めたヴェッターホルン(3701m)である。ユングフラウの右側にはブライトホルン(3782m。同名の山はスイスに8峰もあるそうだ)やドーム型の頭が特徴的なチンゲルホルン(3577m)等の峰々が続き、徐々に高度を下げながら南面方向に連なっている。このゴージャスな山の展望をどう形容したら良いか、僕はわからない。ここに写真を掲載できないのが残念だ。山好きなら誰もが言葉を失うだろう。
 30分そこそこいただろうか。下り始めると、単独行の日本人が登って来た。関西弁を話す穏やかそうな男性で、グリンデルワルトは何度目かで、キャンプ場にテントを張っていると言う。雨は大丈夫かと聞くと、雨は全部まわりの芝の中に染み込んでしまうのでテントの中に水が侵入してくることはなく、キャンプ場も設備が完備していて快適だとのことだった。長逗留にはテントが経済的であろう。僕らも当初テントを考えたが、装備の分量を考えると少人数では大変なのであきらめたのであった。
 あとはひたすら下った。途中、牛の放牧地の中を通ったが、あの巨体で見据えられると思わずタジタジになって、「牛さん失礼いたします」とあちらこちら迂回して通った。それにしても、この下りの道は牛のキジだらけでまいった。乾いていたから良かったものの、濡れていたらうっかりころべない。半分程下って自動車の通れる道を横切ったら、靴ずれをがまんしていた井上さんがとうとう靴を脱いでしまった。井上さんも状況が許すならば山に登るつもりで会員の小泉さんから山靴を借りてきたのだが、今日は軽いハイキングのつもりだったので足慣らしに丁度良いと思ったのだが、悪い結果になってしまった。手に山靴をぶらさげて下る。それにしても、この下りはけっこうあった。景色につられてホイホイと登ってしまったが、宿に帰ってから地図を調べたら最高地点と宿との標高差はなんと1500mもあって驚いた。宿の着いたら17時30分であった。
 一休みしてから町へ買物に出た。日が長いので夕方という雰囲気ではない。グリンデルワルトの町は各国からの観光客で賑わっていた。日本人も大勢いる。夕食は自炊するのも面倒になったので、セルフサービスのレストランに入った。客の半分は日本人だった。スイスのレストランは、なかなかスリリングだ。料理が出てくるまでの不安と期待のない混ぜになった時間がたまらない。何しろ自分の注文したものがどういう代物か、出てきてみないとわからない。この時も壁のメニューの一番上を指差して金を払い、コーラをちびりながら席で待った。差し出された皿を見て、僕は我が目を疑った。細長いパサパサご飯の上に味のあるようなないような黄色いユルユルの汁がかかり、てっぺんにはホイップクリームがとぐろを巻いて、その上にケーキの上に乗っているような赤い甘いサクランボが鎮座している。しかも、フォークでつついたら缶詰の桃とパイナップルの断片がご飯の中に埋まっていた。何だか、おかずとご飯とデザートを一緒に食べているみたい。僕は食事の味付けには無頓着な方だが、それでもご飯とデザートは別々に食べる。どうせ胃の中で混じっちゃうといっても、こりゃあないぜと思った。

 8月4日(火曜日) 晴れ、だが雲高く多し
 今日は中沢氏とメンヒに登る。井上さんは一人でブラブラハイキング。
 グリンデルワルト7時18分発クライネ・シャイデック行き始発に乗る(グリンデルワルト←→ユングフラウヨッホ往復47.6Fr)。観光客に交じって登山姿の人もちらほらいる。7時18分発というのは登山電車としては遅いように思うが、早朝の雪のコンディションの良い時に登りたければ登山者は前日から小屋に入れということなのだろうか。1時間程でクライネ・シャイデックに着き、ユングフラウヨッホ行きに乗り換える。電車はここから稜線伝いにアイガーの西端に至り、そこから山をぶち抜いて作った長いトンネルに入り、アイガーの山体の中でU字形に曲がってメンヒの中を通りユングフラウヨッホへ登って行く。レールの中央にギザギザのついたもう一本のレールが敷設されており、電車はそれにギアをかませて登って行くらしく、けっこうなスピードだ。途中、アイガー北壁に開けた有名な2ヶ所の「窓」にそれぞれ5分間停車した。登るにつれて、空気が希薄になって行くのがわかる。8時55分、ユングフラウヨッホ着。ここは標高3454mで、メンヒとユングフラウの間のコル(ドイツ語のヨッホはイタリア語のコル)に作られた駅だ。岩の素掘りのトンネルのホームから出ると、きれいなフロアーで、大きなガラス窓のついた何階建てかの建物になっている。スフィンクスと書かれた表示に従って長いトンネルを歩いて行くと氷河に出た。はじめ出口がわからずに建物内を上ったり下りたり右往左往してしまった。出口で身仕度をして9時20分出発。メンヒの一般ルートは南東稜と南西稜があり、僕らは南東稜を登ることにする。こっちの方が易しい。昨日ハイキングで眺めた側の裏手から登ることになる。南東稜の取り付きまではメンヒの南面を横切ってユングフラウフィルンという氷河の上を歩くという緊張感はなく、広大な雪原を歩いているような感じだった。氷河上は視界がきいたが、上空はガスっていた。40分程で取り付きに到着。ここでアイゼンを履き、アンザイレンする。僕らが登り始めた時、他に2パーティいた。登り始めは雪の殆どかぶらない岩稜帯である。いつものペースで登ろうとするが、すぐに息が切れて苦しくなる。10分登って最初の一本。じきに中学生ぐらいの男の子を連れたアメリカ人の夫婦が登ってきた。先に行くかと聞いたら、彼らもここで休むという。この男の子が何やらぐずっており、彼らはその後すぐに下りたようだった。ガスって視界のきかない中、しばらくやさしい岩場を登って行くと、岩稜がせばまって両側が切れ落ちた所に出た。そこで下山してくるイタリア人のあんちゃん三人組に出会った。上と下からザイルで確保されたセカンドが下りようとしているところだった。そこは下降点がまっすぐ切れ落ちており、体ひとつ降りてから左へ少しへつらなくてはならないのだが、セカンドはアイゼンに慣れていないようで、及び腰である。上と下の確保者は何やら大声でわめいてビクつくセカンドを何とかおろそうとしている。ここまではよくある風景だと思うが、何とも理解しがたかったのは、恐ろしがっているセカンドまでがのべつ幕なしに大声で何か言っており、そばで聞いていると三人同時にわめきつつも会話が成り立っているようなのである。いや、実に賑やか、あれでは本人達もうるさかろう。その先は雪稜となり、細くなった雪稜を登り切ると頂上(4099m)だった。11時55分だった。視界はなく、上下左右まっ白け。頂上の北と南は急傾斜で落ちている。とにかく、初めて4000m峰登頂を祝して交互に写真を撮りあった。すると、にわかに雲が動いて北東に峨峨たるアイガーが、そして南西側に純白の雪をまとったユングフラウが姿を見せた。(ちなみにユングフラウは乙女、処女、メンヒは修道士という意味。アイガーは13世紀の古文書にもその名があるが由来は不明。)アイガーのむこう側の谷はダークグリーンに沈んでいた。振り返って南方には鈍く白く光る巨大なアレッチ氷河(幅1.5キロ、長さ22キロ)がまっすぐにのび、遥か彼方で右に緩くカーブして視界から消えていた。素晴らしい景色を垣間見せてくれた天に感謝。僕らに続いて登ってきたイギリス人のカップルも感嘆の声をあげていた。下りの準備をしていると、今度は日本人の中年二人組がやって来たので、やあこんにちは、ごくろうさんですと、僕らのカメラで写真を撮ってあげる。下山は雪が腐り始めており、足を取られないように気を入れる。ガスっているので両側が切れ落ちていても恐怖感を感じずにすんだ。岩稜帯も順調に下って取り付き点に13時40分着。ザイルをはずしてユングフラウヨッホ駅へ戻った。トンネル内で装備をしまい、駅の建物に入って行くとかなりの人でごった返しており、カフェのカウンターの周りはカップを手にした人々でいっぱいだった。僕らは窓辺に腰をおろし、ガタガタの水筒を傍らにパンとソーセージを出してかじり始めた。腹ペコだった。すると、そこにいた日本の女子大生のねえちゃんたちが、"ナーニ、あの人たち、ヤーネェ"といった目つきで僕らを見たので、僕はムッとして"何だバカヤロー、文句あっか"と見返し、おいしいソーセージを分けてあげようかと思ったが止めた。下り電車を待つホームで家族旅行の日本人から聞いたところによると、彼女らは東京の某女子大の修学旅行で、費用が百万円を切って安く上がったと言っていたそうである。それを聞いて僕らはびっくり、それだけあったら、僕らは二夏ヨーロッパを豪遊できる。満員の下り電車に揺られながら、出入口にすわった僕らは眠ってしまった。クライネ・シャイデックでの乗り換えでは、またもや彼女らにびっくりさせられた。何と、彼女らはそこに待つ電車まで、まるごと何両か貸し切っていたのである。僕らがなかなかグリンデルワルト行きの電車に乗れないでいたら、駅員に彼女らの車両の1台に押し込まれてしまった。といっても、客室とは窓で仕切られた狭い荷物室みたいな所である。しかも悪いことに、イタリア人の男女7~8人のグループと一緒である。どうしてイタリア人というのはこうも五月蝿いのであろうか。穿岩機よろしく間断なく発せられるイタリア語の単語に、ただでさえ狭い空間がみるみる埋められていくようで、僕は窒息死するかと思った。修学旅行のおねえちゃん達はといえば、ガラスのむこう側で揃っておねんね。せっかく高い金払って旅行してんだから、このきれいな景色を見なくちゃもったいないよ、なんて言ってもいらぬお世話か!。彼女達はグリンデルワルトの一つ手前のグルントで待っていたバスに乗り換えた。イタリア人達もここで下車してくれたのでホットする。戻ってきた静寂に、一瞬僕はつんぼになったかと思った。グリンデルワルトは小雨が降っていた。
〈コースタイム〉
ユングフラウヨッホ駅(9:20) → メンヒ南東稜取付き(10:15) → メンヒ頂上(11:55~12:15) → 南東稜取付き(13:40) → ユングフラウヨッホ駅(14:10)

 8月5日(水曜日) 雨後曇り後晴れ、やや寒し
 昨日からけっこうな降りとなった雨が、今朝もまだ残っている。今日は氷河見物に行くことになった。「雨の日は氷河見物がよい」とガイドブックに書いてあるからだ。すんなりそれを受け入れる素直さに疑問を抱くこともないくらい僕らは人がいい。
 朝食後はゆっくりして、成田まで見送りに来てくれた三峰の仲間に絵葉書でメンヒの下山報告。幸い天気は回復に向かっているようで、降りはだいぶ弱まってきた。傘をさして宿を出発。駅前の郵便局により、メッテンベルクの裾のフィングステックへ登るロープウェイ駅へ行く。閑散としていて、客は僕らの他に2~3人しかいない。その駅から見たヴェッターホルンは印象的だった。乱気流に翻弄されて刻々と形を変える雲の中に、雨に洗われて黒々とした巨大な岩峰が、まるで原始の混沌の中から突然立ち現れたかのように、ぬっと立っていた。ヴェッターホルンというのは"天気の峰"という意味で、この山がガスっていたり雲をまとっていたりすると山群の天候は思わしくなく、逆にすっきりと見えていると他の山の天候も大丈夫なのだそうだ。1971年この山の北壁にチョモランマで消息を断った加藤保男さんと兄の滝男さん兄弟が直登ルートを開いたのは有名な話で、彼らがその壁に取り付いている写真が絵葉書になって売られていた。ロープウェイで400m上のフィングステックへ行く(往復8Fr)。ここから右へ行く道は、下グリンデルワルト氷河の右岸に沿って奥へ続いている。5分程行くと、展望の開けた所に出た。グリンデルワルトの町が広い谷間に拓けている様子がよくわかる。建築規制があるのか、同じ様な木造の建物が多く、それが周囲の景観とマッチして、全体的に美しい風景を保っている。日本の景観美を考慮しない雑然とした土地やリゾート地の開発を、僕は大変残念に思う。自らの位置からの展望や景観を謳い文句にはしても、自らがその風土の景観に溶け込む視点は欠落している。
 道はそこから谷の内部に向かって向きを変え、緩やかに高度を上げながら続いている。幅は2~3mもあろうか、しっかりした良い道だ。右手の谷は深く、下の流れは見えない。対岸はアイガーから北東へのびる稜線続きに荒々しいジャンダルムを連ねているヘルンリの東端である。次第に雨もあがって、ふと振り返ると、驚いた。雲が切れて一昨日歩いたバッハアルプスが見えたと思ったら、何とまっ白である。昨日からの雨は、上では雪だったのだ。雪線がグリンデルワルトの町の上、標高1500m付近を走っていた。
 やがて氷河の末端が見えてきた。高さは200m、いやもっとあるだろう。その白い末端の表面は、その背後のエネルギーの存在を押し隠すかのように静かだった。道から氷河の上を見下ろすようになると、クレバスが口を開けている様子がよくわかった。あんな所に落ちたら、まず助からないだろう。氷河の表面は、周囲の山からの? 土砂や落石で汚れていた。道はやがて氷河の広がりと共に左にカーブし、シュティレックと呼ばれる山小屋のカフェ・レストランで終っていた。ここまでフィングステックから1時間ちょっと。この先は軽装では入れず、3時間程でシュレックホルン小屋に至る。先程すれ違った下山パーティはその小屋から来たのかもしれない。僕らはここで食事にする。一昨日見たのと同じ黄色い嘴の黒い鳥の群れがきたので、パンをちぎって投げてやる。ここから見る氷河は幅が広がって、中央奥の方はぐっと盛り上って氷瀑地帯になっている。望遠レンズでのぞくと、巨大な氷塊が積み重なっていて、時折カミナリのような崩壊音が響いてきた。天気はかなり回復して、雨はすっかりあがり、上空には青空も見え出した。氷河の上の雲が動き出したら、驚いた。そこが稜線だとばかり思い込んでいたその上に、巨大な氷壁が出現したのである。フィーシャーヘルナーの北壁である。高さ1200m、幅3キロ。一昨日、アイガーの左側に白い壁が見えていたのを思い出した。この壁を登っちゃうやつがいるんだから、たいしたもんだ。
 帰路は往路を引き返した。途中、どこを登りに行くのか、バイルを持った二人組とすれ違った。フィングステックの駅の横にあるレストランのバルコニーでは、大勢の旅行者が景色と食事とおしゃべりを楽しんでいた。14時30分のロープウェイで下り、町でおみやげを買うなど用事を済ませて宿へ戻る。
 夕食は昨日宿に頼んでおいたので、楽しみにしていた。出されたのは、洋風おじや。おじやの苦手な中沢氏には気の毒だった。おしょう油があったなら、作ってくれた宿の人には悪いが、もっとおいしくいただけたと思う。でも、デザートのアイスクリームは最高においしかった。デザートはおかわりできないのが悲しかった。
 夕食後、上グリンデルワルト氷河の見える所まで三人でぶらぶら散歩した。上グリンデルワルト氷河は先程の下グリンデルワルト氷河の東側、メッテンベルクとヴェッターホルンの間に落ちている氷河である。こちらは、グリンデルワルトの緑の谷のすぐ手前まで末端がせまっており、その様子を見上げるように観察できる。思ったより距離があり、1時間ほど行って引き返したが、夕日が丁度スポットライトのように末端部を茜色に染めてきれいだった。明日はツェルマットへ移動するので、荷物を整理して就寝。


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