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「個人山行・熟年者シリーズ そのⅡ」
雨飾山
野口 孝司

山行日 1987年10月2日~4日
メンバー 原口、野口、堀田、藤居、田保

 世はまさに情報化時代という。10月19日(日曜日)。ニューヨークで株の大暴落は一瞬にして世界を駆けめぐり、東京、ロンドン、パリ、シドニーでは追従して暴落し、香港では取引を休場する騒ぎであった。しかし誤った情報ほど悲惨な事はない。今回の山行では、このため物乞いするはめになってしまった。これは後述します。
 10月2日、8時発の「あずさ号」にて白馬乗換で、糸魚川に着いたのが13時19分、駅前の食堂で遅い昼食をとり、タクシーを拾い山口部落を過ぎ雨飾山登山道入口まで入る。いつもながら苦手の林道を歩く、途中で小雨がパラついてきたので傘をさす、程なくして梶山温泉への道が分岐している。此処で山道らしい登山道に入り、しばらく歩くと神難所沢にかかる橋を渡ると、すぐ上が梶山新湯雨飾山荘である。15時50分着。山荘は白壁のこぎれいな建物で、庭も良く整備されていて、その隅には「都わすれ」という野趣味豊かな野天風呂がある。
 今夜の宿泊者は我々のパーティだけだが、明日は土曜日で電話が時々鳴っているので明日は混雑すると思う。夕食は山菜料理にうなぎの蒲焼、先ずビールで乾杯。暗くなってから、昔の乙女が野天風呂へ入りに行った。自然の大岩を配した造りと夜霧に包まれた雰囲気にすっかり都を忘れて感激していた。夜半にはひとしきり雨が屋根をたたいていた、やはり雨飾山か。
 10月3日、昨夜の雨はうそのように今日は晴天、先ず内風呂に入り、朝食をとり部屋に戻ると、登山者がぞくぞく到着する。庭で朝食をとったり休憩しているので声をかけると新ハイキングの一行との事で総勢25名ぐらいである。まもなく一行は雨飾山に向けて出発して行ったが、我々の後続隊である原口、田保さんは未だ来る様子がない。藤居さんの話だと遅くとも7時半頃には来ると言っているが、待てどくらせど姿が見えない、私は足がおそいので7時50分先に出発する。
 薬師堂から尾根に取りつくまでは樹林帯の急登である。後続隊を待ち待ちゆっくり登ること2時間、小休止していると5人連れのパーティが来たので、梶山温泉で中年の男性2名と女性2名の登山者を見ませんかと聞くと、その方だったら私達が休んでいると先に出発しましたよ、距離的にも時間的にも到着していなければなりませんね、おかしいですね、ことによったら道を間違えて鋸岳のコースに入ったのではないですか、と言われた。さあーしまった、私の不覚というか、考えの甘さというか、食べ物を人にまかせて自分は水筒だけしか持ってこなかった。水だけで雨飾山を越えて小谷温泉まで持つまい、といってこのまま引返しては皆が捜すだろう、そこで考えたのだが、この富山市のパーティに、すみませんが頂上で残飯が余ったら分けて下さいませんかと哀願してみた。これが通じたのかそれともこのオジイサンが可愛想に思ったのか、オニギリを2個恵んでくれた。ありがとう、アリガトウ、厚く礼を言って別れたが、さあこれからが大変、急登を喘ぎ喘ぎながら独り言「道を間違えるなんてなんたることか、俺は生まれて初めて物乞いをしたんだぞ、この山行の計画したやつの顔を見たい、馬鹿野郎、大馬鹿野郎、アホウ、ドアホウ、クソッタレ、野垂れ死にしてしまえ、除名しろ」などとブツブツ言いながら歩いた。11時近く、大休止して腹がすいたので貰ったオムスビを1個食べる、うまい。
 雲の流れがいくぶん速くなったようだ。灌木に囲まれた水たまりが中ノ池、春にはモリアオガエルが産卵するとの事である。これからが石のゴロゴロした、まるで沢の最後のツメのような急登である。笹平が近くなった頃、下の方から堀田さんと思われる声でモートのコールが聞こえたので、こちらもモートを返したが、これに対しては返答がない。しかし下からのコールが尾根筋からか、鋸岳の谷の方からか判断がつかない、でも元気な声を聞いて安心した。
 笹平に着いたのが12時30分、笹平は名の如く笹におおわれた明るい尾根で灌木が紅葉して美しい。眼前にはドーム状のどっしりした雨飾山がすばらしい。右へ行けば雨飾山、左手は鋸岳へ続く尾根である。小谷温泉に向うのか、今朝先に出発した新ハイの一行が連なって行くのが見える。さあ、どっちにしようかと迷っていたが、情報を信じて鋸岳への道を選んで歩きはじめた。少し行った処で原口さんのモートーが笹平分岐のあたりで聞こえたので、あわてて引返す。聞けばタクシーで来て登山道入口付近で仮眠を取ったので梶山温泉に着いたのが9時30分、宿の人の話では8時30分頃に出発したとの事で、後を追って来たそうだ。それにしても堀田、藤居組がまだこないよと言えば、先ほどモートの声がしたから元気で登ってくると思うから、雨飾山へ行きましょうと言う。
 雨飾山は1963m、頂上は二つに分かれていて、右に石仏や石祠、左は三角点の標石がある。展望は良く戸隠山、噴煙を上げる焼山、少しかすんでいるが北アの白馬三山などが印象的だ。原口さん持参のラーメンを作っていると、笹平から雨飾山へ向っている二人組を目ざとく見つけた原口さんがモートコールをすると返答があったのでニッコリ。ラーメンが出来上がるころようやく全員が揃ったので乾杯。堀田組は途中で道を間違えて、沢に入り錆びた鎖を使って滝を登ったが、藤居さんが恐くなり、これは通常のコースではないとさとり、引返したので大分時間をロスしたとの事。"バカタレ"。人に心配をかけて。
 山頂を14時30分に出発、笹平まで戻り、更に尾根を行くと荒菅沢に沿ってつけられた下山道に出る、最初から急降下の連続で膝にガタがくる頃、荒菅沢を渡り小休止。ここから尾根を登り返す、途中で原口さんがガサガサやっているのを追いつくと山ブドウを取っていた。一つもらって食べてみたがすっぱくて吐き出してしまった。聞けば焼酎に漬けるとの事である。すぐ出発したが足の遅い私は一人で後を追う様になってしまう。途中で雨が降り出すやら、暗くなるやらで広河原に着いた頃は一人ぽっち、指導標をさがしたが見当らないので感で右折、小川に沿って40分ちかく歩くと鎌池林道の登山入口で皆が待っていてくれたので合流し、雨中を小谷温泉に向けて出発するが、疲れと膝の具合が悪いので遅れがちとなり、又もや一人ぽっちトボトボと歩くこと1時間、やがて下の方から灯りが見え出したが、中々近くにならない、ようやく村営雨飾荘に着いたのが19時近くになっていた。皆はお茶を飲んでから風呂に入っている人や、すでに風呂から上がっている人や、藤居さん、田保さんはこれから風呂に行くところで、廊下でパッタリ、どうしてこんなに遅いのかという顔されてガックリ。
 雨飾荘は立派な建物で、温泉も熱く、少しはなれた処に大きな野天風呂がある。夕食はセルフサービス、思ったより料理は良かった。藤居さんは明日の予定である新湯の村上市へ鮭料理を食べに行くので、電車の時間とか料理屋さんに電話をかけている。私は鮭がきらいなので一人で帰ることにし、電車の時刻をメモする。
 10月4日、今日は晴天、窓から白馬三山が朝日にてらされて良く見える。私は一番のバスで皆に見送られて出発する。平岩から南小谷、信濃大町、松本と乗り換えて、あずさ号で帰京した。後に残った連中は、原口さんが風呂に入った時、土地の人か又は漁師さんかに話のついでに村上市の鮭料理の事を聞いたらしく、その時今年は日本海の鮭は不漁で、北海物の冷凍鮭ですよと言われたので、急に変更し富山市近くの鱈料理を食べに行ったそうだ。旨いかどうか、聞きもらしました。


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