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MITSUMINE HORROR DATA
ホラー出た

 あなたにもきっと、ゾットした経験がおありでしょう。

 でも、こうしたことはたまたま気づいたこと、たまたまあったこと。あなたの周りにはあなたの気づかない不思議でゾッとすることが、まだあるのです。
例えば、

 ここに収録した四編は、そんな日常の中の異常にたまたま気づいてしまったり出合ってしまった人達の、実際にあった、体験談です。

 そうそう、ひとつご注意を。くれぐれもお休み前にはお読みにならぬよう。もしかすると今夜あたり、枕もとであなたの顔をのぞき込んでいる人影に気がつかれるかも知れませんよ。


摩訶不思議
升田直子

 子供の頃から"お化け"に悩まされてきたのに、未だにそれから解放されず、寮で毎夜不安な時間を過ごしている。呪われた少女のノンフィクションを、これより年を追って、みなさんに読んで頂くことにします。
 物心ついた頃から夜寝ている時、枕もとに人の気配を感じていた。目をつぶっていても上から覗きこむように私を見ている。髪の長い、白襦袢姿の女の人がこわかった。当時は誰かいるという気配だけだったのが、実感として恐怖を体験するようになったは、現在住んでいる大船寮にきてからだ。
 ★21歳の11月★
 朝の6時前、防火用カーテンを取り付けている部屋は、一切の光を通さず、冬ということもあって室内は真暗だった。同室の人は、ディズニーランドへ行くと言って5時過ぎに出掛け、私一人が布団の暖かさから抜け出せず未練たっぷりにゴロゴロしていた。シーンと静まりかえった暗い部屋は、わたしの霊感を働かせるには充分な環境だった。その時男性の声が頭上で大きく響いた。寮には男性は居ないと考えたその時、掛布団の右側がまくれあがり、パタンと元に戻ったと思ったら上から押さえつけられた。かなり重かった。恐怖でジーッと目をつぶっていたらいつの間にかひと眠りしていたようで、再び起きたのは7時を回っていた。我ながら太い性格にあきれた。それでも相変らず暗い室内のどこかにさっきの声の主がひそんでいるようで、決死の覚悟で二段ベッドの上から猿のように階段を降り、大声でわめきながらカーテンを開け、ドアを開け、あげくの果てに隣室の人をたたき起こした始末。その晩、同室の先輩は"あんたねぇ・・・"と、取り合ってもくれず、会社中、寮中に言っても同じ結果で、寮監には"寮生に悪影響だから誰にも言うんじゃないよ"と口止めされたけど、その時はもう遅かった。
 ★相手もいないのに22才の別れの年だと言っていたある日★
 会社から帰って和室の電気をつけ、なつかしいパーマンを見ながらパジャマに袖を通した時、電気のヒモにぶらさげている人形がビシッと動いた気がした。この人形は、同室の人が先輩からもらったという、千代紙で出来た着物をきた日本人形である。振るとカランカランとちょっぴり寂しい、人恋しい音がする。気のせいかなと思いその日は終り。
 ★同じ22歳、忘れもしない12月31日、大晦日の夜★
 いつもなら31日に帰省するのに、この年は元旦に帰るつもりで寮に戻った。他の寮生は帰省して寮内は三人だけ。いつもスリッパのパタパタという音がうるさくってしょうがない寮も、この日はガランとしていやに寂しい。わたしは紅白歌合戦を見ようとテレビをつけると、森昌子が涙を流して歌っているところだった。その時、例のカランカラン人形が目の前で三回も上下運動をした。眼は人形に釘付け。腰が抜けたようにその場から動くことが出来なかった。しばらくは時間とテレビだけが流れていた。その後は言うまでもなく、同階にいる同期の部屋に布団持参で元旦をむかえた。
 ★23歳の夏★
 二段ベッドの上は蒸し風呂の如く暑いので、下のカーペットに寝ていた。朝方明るい時間に人の声で目が覚めた。正確には、頭の機能は働いていたけど目はつぶっていた。どんな会話をしていたか今では思い出せないけど、当時は、はっきりした口調で、男の人と女の人が枕元で話をしていた。女の人が何か言ったあと男の人が部屋のサッシを開けた。二人とも出て行ったようだった。この部屋にはわたし一人になり、動かないで目だけキョロキョロさせたけど別に変わったことはなかった。もう過去に何度もこんな経験をしているので変な免疫がついて、この時にはあまり恐さを感じなくなっていた。そのうちまたウトウトしはじめた頃、さっきの二人がサッシを開けて戻ってきた。何かまた会話をして帰っていった。一体何者だったのだろう・・・・。
 ★去年の10月★
 日光に一人でキャンプしたときのこと。霧降キャンプ場より丸山~大山のハイキングコースを歩いていた。有料道路を横切って一気に下る雑木林を鼻歌まじりにどんどん下っていった。下手の横好きで、聖子ちゃんの赤いスイートピーがお気に入りで、TPOは全く気にせずどこに行くのにも常に口ずさんでいた。余談になってしまうけれど最近、ベイブの I don't know!! と Give me up! もレパートリーに加わった。今でも、山行のたび歌いたいけど、日光のサルも木から落ちる程の音痴なのでやっぱり一人雰囲気に酔いながら歌っているのが一番良いかなと思う。話は戻って、下って奥へ入って行くたび、腰まで茂っている笹の葉と、木々が空をおおうため辺りはだんだんうす暗くなって行った。長い間、黙々と歩いていたけれど誰とも会わず、あまりの静寂さと暗さに耐え切れずダッシュした。案の定、笹の葉で隠れていた気の根っこにつまずき、顔面からスライディング。必死で速歩きして大山に着いたけど時間もなかったので来た道を折り返しにした。下って来た分今度は登りである。苦しかったけど恐さも手伝って足が速くなりいつの間にか走っていた。途中四人のハイカーとすれ違い、大山までのコースと時間を聞かれた。会話はそれだけでまた一人の世界になってしまった。聖子ちゃんの曲も歌う余裕がなくなって後ろを振り向き振り向き恐々登っていたその時、熊の様な大きなうなり声がぐわーんと雑木林の中に響いた。一瞬足を止めて様子をうかがった。熊はたまたま出ると聞いて来たのに、鈴を忘れて来たことに気がついて、これは死んだ振りをするしかないと考えた・・・・が、その考えも、最近の熊には通用しないと思いすぐ取り消した。さっきのハイカーを追いかけて下ろうか、あと30分登って車道に出ようか迷った。辺りは相変らずうす暗く笹の葉の重なり合う音だけがカサカサと聞こえてくる。今にもさっきの聞こえた声の主が出て来そうな雰囲気だったので、車道に出ようと決心した。決めたらあとは無我夢中である。結局、何だったのかわからないままだったけど、いくらハイキングコースとはいえ、一人で歩くのは当分ひかえようと思った。日光の山も、誘われるのは別として自分からは行こうとは言わないと思う。
 ★そして今年の6月★
 サッシを網戸にしても無風で、蒸し暑く、朝の2時に目が覚めた。ウチワでパタパタしながらゴロンゴロン寝返りをくり返していた。私は小さい頃から胃を下にして寝る癖がついていた。この時も胃を下に横向きに寝ていたら左の肩胛骨に霊がピトッとくっついて来た。いつもと違って悪霊だと感じて目をつぶってじっとしていた。左の首筋にフーッと息を吹きかけてきた。いやらしい霊だと思いながらも、もしこのままエスカレートしてしまったらどうしようとわけのわからない事を考えてドキドキした。事は大事に至らなく、ゆっくり肩胛骨から離れて行った。完全に消えた時、枕元の時計はジャスト3時を指していた。まだ首に息のなま暖かさを感じながら6時の目覚ましまでひと眠り。やっぱり自分の大胆な神経を疑ってしまう。
 ★エピローグ★
 最近寝ている時霊は感じない。その代わり、寮の廊下を歩いている時、洗濯場にいてふと、人の気配を感じて振り返る。すると必ず白い服を着た子供の霊がいる。私が振り向くと隠れんぼでもしているようにサッと身をひそめる。幽霊の声は耳にしていたけど、実際に見たのはこの子が初めてだった。恐さは感じなかった。
 渡欧する前に服部さんから言われた。
 "今月の標語" 守ってうれしい原稿〆切。
 が仕事中も頭の中にチラついて集中出来なかった。ルームに行けばいつもニコニコ優しい千恵子さんに"直ちゃん、レポートまだだったよね"と言われ、しっかり管理を千恵子さんに引き継いで行った服部さんに一本やられてしまったと思った。その服部さんも明日、帰国してしまう。今更焦っても仕方ないけど、とりあえずこのレポートだけは書き終えようと頑張った。現在の時刻は、草木も眠る丑三つ時。2時20分だ。同室の子は私の敷布団に片足占領してみごとな体勢で寝ている。お手洗いに行ってから寝たいけど、このレポートを書いた後だけに行く勇気がない。いくらなんでも"赤いスイートピー"を歌いながら行くわけにもいかないので今晩は岩壁に取り付いているつもりでガマンしよう。


白樺尾根無人小屋
川田 昭一

 土・日の混雑をさけてわざわざ勤務の「宿直明け」を使って、昼ごろ土合駅に降りた。6月始めのむし暑い日だったせいもあって、寝不足気味の体には湯檜曽川沿いの新道歩きも楽ではなかった。最後の白樺尾根の小屋までのきつい登りも終えて無人小屋に着いた時はヤレヤレと思った。
 小屋の中は整理整頓され簡単なイロリも切ってあった。薪をくべながら「サントリーレッド」の安いウイスキーを空ける。ラジオからはビートルズの「イエスタデー」が流れていた。狭い8畳ほどの小屋は自分一人だけの貸切りになるはずだったが・・・・。
 しかし先客がたくさん居たのを知らずシュラフに入った。適量のアルコールのため眠りは深かったが「用たし」のため目が覚めたのが真夜中だった。その時何か動き廻る気配が胸元にせまっているのを感じた。次に静けさを破って聴こえるかすかな「メラメラ」という普段あまり耳にしない連続音が迫るように近づいてくるが、頭の中でそれが何物であるか思いめぐらすが一向に浮かんでこない。ただ狸や狐のような動物ではない事はたしかである。
 手元のライトを照らすか照らすまいか迷う。照らした途端、頭や手をガブリとやられるのではないのかと恐怖の思いが頭の中を駆けめぐることしばし・・・・。
 明りに映し出された生き物が何であるか確認した瞬間、背すじに冷たいものが走りトリ肌が立った。それは蛇の群れだった。青大将が一匹や二匹ではない、胸元や床の上を我が物顔で這っていて、そのたびウロコを動かす音が「メラメラ」と周りが静かなだけに聴けるのだった。
 さらに気味の悪いことに、青白い蛇の目がライトの照らす範囲から外れた暗やみに点々と光っている。ライトの強い光が走るたび蛇はその光をさけて逃げまどう。まるで映画の収容所脱走シーンを見ているようだ。
 ローソクを立て明るくした為か自分の周りを這っていた青大将は光の届かない所へ避難してくれた。蛇騒動は一段落したが夜明けまで4時間もある。寝なおす気にもなれず、薪をくべ火を大きくして火番のつもりでゴロ寝となったが、いつの間にか寝込んでしまった。
 6月の夜明けは早い。うす暗い中を4時30分、むし暑さを恐怖で吹き飛ばしてくれた「蛇小屋」を後に蓬峠へ向かった。
 この年の秋、朝日岳からの帰り、思い出の白樺尾根避難小屋に立ち寄った。真新しいペンキの字で「蛇に注意」と入口にカンバンが取り付けてあった。そのせいか小屋の中は6月に来た時より余計に整理整頓されていた。この話は昭和43年頃のことだったと思う。


窓枠の人物
服部 寛之

 あれは、昭和60年4月末のことだった。大学時代のゼミの温泉仲間で作っている『幾山河探湯会(いくやまかわたんとうかい)』は、その春の寄り合いを那須の三斗小屋温泉で行うことにした。この会は、峻険なる峰々を打ち越えて秘湯に赴き、自然を謳歌すると共に酒酌み交わしてバクチを打つという男のロマンを実践する会であり、三斗小屋温泉の大黒屋は度々訪れている馴染みの宿である。その時の参加者は、三峰の会員でもある大久保氏と那須岳のふもと地元黒磯在住の中川氏、それに小生の三名。仕事の都合で1日遅れる中川氏を残して、大久保氏と小生は一足先に三斗小屋温泉へと向かったのである。
 茶臼岳に架かるロープウェイ駅を過ぎ、道を詰めたところの駐車場に車を止める。ここから峠に位置する峰ノ茶屋(1725m)まで30分の登りである。展望の開けたゴーロの道で、右手前方に朝日岳(1896m)が立っている。始めて来た時は、ヒーハー言いながら途中で何度も休み大汗かいて登った此の道も、今ではほんのひと呼吸で峰ノ茶屋に到着である。ここは昔から風の難所であるが、峠のむこうは様相が一変し、眼下に広がる樹林のむこうには山並が幾重にも重なっている。この時は、残雪が葉の落ちた木々の間を埋めており、山々の頂きもまだ白かった。この峠から温泉までは1時間。森の中の気持ちの良い小道で、大きな起伏はなく、全体としてゆるやかな下り坂となって三斗小屋まで続いている。湯船を想うと、雪を踏みしめる足取りも軽やかだ。
 大黒屋に着き、玄関のすぐ上の部屋に通された。部屋は入って正面と右側が窓であり、右側のすぐ下は玄関である。入口左手にはしみの浮いた古ぼけた掛軸が掛り、やや波打った畳が古さを感じさせる。事実、この建物は明治期に建てられたもので、時に磨かれて黒光する手摺や廊下が渋い雰囲気を醸し出し、量感ある太い梁が全体に風格を与えている。嬉しいことに日はまだ高く、湯殿通いの時間は十分にある。しかもすいている。やはり温泉に行く時は、早着きがよろしい。さっそく湯殿に赴き、湯を愛でる。部屋に戻り、おこたに当たる。これを何度かくり返し、健全な温泉生活に励んだ。やがて日も暮れ、「もう一度行こう」ということになった。この頃になると、自分だけで湯殿を独占という訳にはいかなくなる。そのラウンドは大久保氏が先に上がり、小生はしばらく湯船に浸かっていた。一足先に部屋に戻った大久保氏は、部屋の片隅で自分のザックをゴソゴソやり始めた。炬燵の上に吊るされた電灯の黄色い光が深い物影を畳の上に押しつける。窓ガラスには、痛い程の冷気が闇を突いてしんしんと迫ってくる。遠くに発電機の低い音。「冷えるなあ」と、大久保氏は内側の障子窓を閉めた。その時である。背後に人の気配がした。「あいつ、もう戻って来たのか?」と振り返るが、誰もいない。なんだ、気のせいかと、そのことは気にも留めず忘れてしまった。小生は、ややふらつき気味で風呂から上がり、キジ場に寄っていい気分で部屋に戻った。そして夕食のおかずと友人の話を肴に、本腰を入れて飲み始めた。お膳を回収される前に、メシをコッヘルに移しかえて確保する。これをぬかりなくやっておかないと、長い夜が苦しくなる。やがてバカ話にけりをつけ、もうひと風呂浴びて布団に潜った。
 翌日、打ち合わせどおり峰ノ茶屋で中川氏と待ち合せ、朝日岳へと向かった。そこから更に北上し、清水平を経て三本槍岳(1917m)へ。まだ大きな雪の斑点が所々に残り、風もなく、楽しい春の雪山ハイクであった。三本槍の手前では、甲子の方から縦走して来たという女子高山岳会の一行と出会った。みな大きなキスリングで、ご苦労さんである。当然、小生らは彼女らの列の後ろにつき、ぐんと眺めの良くなった景色を楽しみながら三本槍頂上を目指した。そこからは西へ転じて、流石山との間にある大峠(1468m)へ下りた。この峠から北へ下りる道は会津落合へ通じており、風化した何体かのお地蔵さんが昔の往来を偲ばせている。小生らは南側に下りて、三斗小屋に戻った。
 宿の玄関前でスパッツを洗い、靴に付いた泥などを落としていると、先程途中で会った単独行の小柄な中年のおばちゃんが挨拶してきた。話し好きで、さっぱりした感じの人である。大黒屋に泊まろうと思ったが満室なのでどうしようかと考えているとのこと。それなら、僕らの部屋でよかったらどうぞと言うことになり、その夜は幾山河探湯会は臨時女性会員を加え盛り上ったのであった。部屋と湯殿を何度か往復したことは言うまでもない。発電機が止まり、廊下のランプに火が入ってからも、カイ電の光の下で小生らの話題はつきない。各自勝手な方向に敷いた布団にもぐり込んでからもしばらく話し込んでいたが、やがて大久保氏と中川氏の話し声が途絶えた。小生はおばちゃんともう少し話していたが、やがて話が途切れ、おばちゃんも寝息をたてはじめた。小生はカイ電を消し、寝つかれないままに上を見つめていた。静かな闇の中に、三人三様の寝息が聞こえてくる。その時である。小生は天井近くで何かがうごめいているのに気がついた。だが、闇の中で物が見える筈がない。目の錯覚だと思い、目を閉じ、そしてまた開けてみる。やはり、何かいるようだ。凝視すると、艶やかな緑色をした無数の点からなるもやもやしたものが、アメーバみたいに絶えず形を変えながら天井近くに浮かんで見える。おかしなものもあるものだと、この不思議な浮遊体を見ているうちに、酒がきいてきたのかいつの間にか眠ってしまった。
 帰京後しばらくして、品川の大久保氏のアパートに行った。「おい、これを見ろ」と言って差し出されたのが、出たばかりの山渓85年6月号の読者のページ。『小屋でのスナップに不思議な人影が』と題されたその記事には、投稿者があの大黒屋の玄関前に立って写っている記念写真が掲載されており、その頭上には小生らの泊った部屋のガラス窓が写っている。そしてそのガラス窓の左側の1枚の下端に、人物が小さく明瞭に写っているのだ。そのガラス窓は確か120~30センチの高さの筈で、横桟で4等分されているのだが、その人物は一番下の段の左端に、桟までの高さいっぱいに腰から上だけが写っているのである。記事にもあるように、大きさからして部屋の中の人物である筈はないし、また向い側の様子が映ったにしても不自然である。ガラス戸の他の部分に当たる光線の具合を考えると、その人物がガラス戸の反射で映っているようには見えない。また、その時同じ位置から撮った連れの写真の方には、窓枠の人物は写っていなかったとある。その記事は『この温泉で、数年前に殺人事件があったという話を、山で聞いたことを思い出し、背筋が寒くなった』と結んでいた。(殺人事件があったのは泊った大黒屋ではない)
 小生が一通り読み終えるのを待って、大久保氏が口を開いた。「そういえば、あの最初の晩、おまえがまだ風呂から戻らずに俺一人で部屋にいた時、人の気配がしたんでおまえが戻って来たと思って振り返ったんだけど・・・・」。「えっ!!?そ、そういえば俺もその次の夜、カイ電消して寝たら、部屋の天井近くにへんな緑色のもやもやしたものが・・・・」二人は黙って顔を見合わせた。


霧の声
長久 鶴雄

まえがき
 長い間山を歩いていると様々なことに出遭う。それが恐怖であったり、不思議なことであったり、又、幻覚であったりして。しかも或時は偶然にそしてまた予感のようなものが・・・・。
 若い時にはそれ等は全て自己の意識の上にたった幻として来たものでしたが、長い年月、幾多の人々と接し、又別れてくると人はもとより生き物には全て霊の存在を意識せざるを得なくなってくるものだ。只それを感じやすい人と全く感じない人とがあり、それは感受性のある人に向かって忍びより、語りかけてくることが多いものです。たとえその人との因果関係のあるなしにかかわらず。じっと目をつむって過去の出来事を考えてみて下さい。ひょっとすると、君も、貴女も、そうゆう人間かも知れませんよ。
霧の声
 あのことはもう、12・3年も前の事で、峰々にはまだ白い物も訪れず冬山には一寸間がある10月も下旬のことです。私は蒲田川の左俣を登って(今の小池新道)大ノマ乗越に立ちました。里はすでに薄暮が迫り、灰色の枯木が竹ササラを立てた如く、槍と穂高の岩峰は夕日を受けて、それは全く血の色のように赤く見えました。今日は同行のエーデルワイスの若い娘さん三人、小屋番をやってくれるTさん、それに山仲間のKと私の六人でした。娘さんなどのはなやぎとは別に何となくKも私も、それは予感のようなものでしょうか、乗り切れない気持で顔を見合うだけでした。
 双六池はもう半分ほど氷が張っていました。夕暮れの中でTさんがギーといやな音を立てて小屋の戸をあけます。わずかに石油の残ったランプに灯を入れて六人の食事も終り、炊事の火と、ささやかな薪ストーブで暖まり、話もいつしかつきて、寝ることになります。
 Tさんは明早朝、黒部に下り岩魚を取ってきて、夕食のおかずにしてやると言います。「わしは下でねるで、おめーさん方は二階にねるといい、西側の窓の下がぬくいでよー」と言いました。階段を上がると成る程西側は丁度袋のようになったところで北側は尾根の崖が風をさえぎっています。
 小用を足しに外に出てみると、闇の中に一面の霧が双六谷の方から吹き上げて静かに黒部側に流れて行きます。小屋に戻ろうとすると遠くで「オーイ、オーイ」と人の呼ぶような声がしました。あれっと思いしばらく聞き耳を立ててみましたが、それっきりでした。
 小屋に入ってTさんにその事を言いますと「なぁーに、そりゃ霧の声だよ」「霧の声?」「そうさね、静かな時は良く聞こえることがあるで、明日は天気だよ」と申しました。二階に上がってシュラフにもぐると、ドタン、スーの口でした。他の四人はすでにスヤスヤと・・・・。「寒けりゃ戸棚の中に毛布があるでよ」と言うTさんの声も半分夢の中です。
 夜明けも近い頃でしょうか、寒さで目がさめました。不思議な事に二階の一角がポーと明るいのです。そこには小さな灯がもれていました。いつの間に来たのか六人程の人影が、四人はローソクの火を囲み、二人はややはなれて横になっていました。私の動きにKも目をさまし「いつ来たんだろう、大分ぬれている様だけど雨かい!」「イヤ霧が深いだけさ」と言ったものの、先程の「霧の声」の事が気になった。やっぱりあの声はこの人達だったのかと思いました。
 四人は小さなメタ(缶)に火をつけようとしているのですがなかなか火がつかない様子、私は毛布を取りに行きがてらホエーブスとメタを差し出し「どうぞお使い下さい」・・・・ほんとだ・・・・この人達はずぶぬれでした。ぬれたヤッケをぬごうともせずに・・・・「戸棚に毛布がありますよ」。六人は只うつむいたままうなずくのみでした。Kは「えらく愛想のない奴等だなァ」、私は「よほどつかれてるんだろう」。娘達は一向に気付く様子もなくスースーと気持ちよさそうだ。やがてKも私も再びまたねむくなって、もうひとねいりと、シュラフに戻りました。
 東側の窓から日が射し込み、お嬢さん達の賑やかな声におこされ、その日は笠ヶ岳を往復するのみでしたが、Kと私は昨夜の来訪者を期せずしてさがしました。でもそこには既に人影もなく六人がいたと思われる床がしずくでぬれた跡を残し、貸したホエーブスとメタがそのままの所においてあるだけでした。「あんなにまいっていたのに、又馬鹿早いお立ちだなァ」と二人は話し合った。「ゆーべはドーシタのよ、二人でボソボソ! ねられなかったわ」女どもがボヤきましたが、私達は何故か昨夜のことを話す気にはなりませんでした。
 小屋のTさんは、もうとっくに岩魚釣りに行ったのでしょう、私達の他は誰もおりませんでした。その日の笠ヶ岳はそれは良い天気で、いつもあのカタンコトンといやな音はリズミカルにさえ聞こえます。秩父平まで戻りますとまた双六谷から濃い霧がしたしたと這い上がってきます。その日の夕方も昨日にもまして気温は下がり、池もすっかり氷が張りました。賑やかにTさんが釣ってきた岩魚で食事をします。
・私「Tさん昨夜の六人はどうしたの、湯俣にでも下ったのですか?」。
・T「何? 六人? そんなのしんねェ」。
・K「だって、ゆうべぬれねずみで、おそくやって来た奴さ!」。
・T「いや誰も来ねェよ、今朝だってワシ一人で行ったのよ」。
 そんなことはない、たしか六人、それも大変疲れて、びしょぬれだったんだ。Tさんも変な顔して一緒に二階に上がってみる。確かに今朝と同じようにそこがぬれている。あれから1日たった今も今朝と同じ位に乾きもせずに。この時のTさんの引きつった顔を見ている内に、なんだか二人とも、ぞーっと寒気がして来た。女達はもう声も出せず息をのんでしまった。
・T「今夜は皆んなで下に寝よう」。とのことでこわごわ、振り返り振り返り下に降りる。
 Tさんの話すところによると昨年10月の末、双六谷で中年二人を含む六人の登山者が遭難したらしいのだが、全然発見されていないとのこと。Tさんは「きっとあの連中が自分達の居場所を知らせに来たんだろう、小屋の中で良かった。外だったら、おめーさん谷へ引きずって行かれたかもしんねぇ」と言う。
 其の夜はほとんど一睡もせず一晩中ストーブをたき続けたが、また六人が二階に来ていて階段の上り口から下を見ているような気がして恐ろしい思いでした。翌日私達は一目散に湯俣へ下り、Tさんも蒲田へ帰って行った。
あとがき
 後日Tさんの発言で再び遭難者の捜査が開始され、5日目に双六谷の源頭近く六人が発見されたとのこと。四人は岩室の中にかたまって、もうすこしで尾根というところの這松の中で二人、その位置の仕方が私達の見た幻の六人と一致していたことはKと私の他は誰も知らないことです。Tさんとはあれから一度も会う機会もなく、Kはその後、山に行かなくなって仕舞った。私はあれ以来しばらくは山で這い上がってくる霧にあう度にあの「霧の声」がアリガトウ、アリガトウーと聞こえて来てしかたがなかった。


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