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鳳凰三山
升田 直子

山行日 1987年9月19日~20日
メンバー (L)升田、庄野

 今回の計画は、入会して初めて企画する山行だった。最初は日帰りハイキングにした方が良かったんじゃない?と心配してくれる人もいて一時考えてしまったけれど、頑固な性格は意味もなく鳳凰三山にこだわっていた。慌しく寮を出て、途中屋台のラーメン屋のおじさんと"行ってくるねぇ""おーう気い付けてなあ"と毎回同じパターンの会話をする。
 9月19日、新宿発0時1分発の上諏訪行きを待つ人たちは思ったほどいなかった。計画当初のメンバーは7人だったのに、当日は庄野さんと二人という寂しい山行になってしまった。この日は、安田さんと日野さんが差し入れを持って来てくれた。とても嬉しかった。持つべきものは食料・・・・もとい、持つべきものは友である。車中では知らないおじさんにポッキー2箱もらい"寝るから立川で起こしてくれ"と頼まれ、食べ物につられ、立川の少し手前で起こしてあげた。以前は、駅のホームでボーッとしていたら3人組の山ヤに話しかけられ、何故か350mlのビールをもらってしまった。物もらいの場所として新宿が気に入った。
 3時AM、甲府駅ではタクシーで行く人を確保するため待合室に行き、"夜叉神まで行かれる方いらっしゃいませんかあー"と大声で言ったら注目をあびてしまい赤面してしまった。そんなことをしていると、客引きのタクシーのおじさんにつかまってしまい、無理やり広河原へ行く人達の所へ便乗させられてしまい、ミイラとりがミイラになってしまった。タクシーの運ちゃんは、髪をオールバックにしてポマードでテカテカさせていたけど、見かけによらず親切で、日中の料金1500円にしてくれた。親切ついでに、実体験の幽霊の話までしてくれて感激もひとしおであった。
 4時20分AM、夜叉神入口に着いた。先行パーティが数人懐電をつけて樹林の登りにかかっていたけど、情けなくも私は、さっきの幽霊の話が頭から離れず、明るくなるまで寝ていようと庄野さんに頼みこんでしまった。結局、別のタクシーの運転手さんと話し込んでしまい、5時51分、寝不足のまま歩き始めることになった。
 夜叉神峠までの道は割合に広く、整備された歩きやすい山道だった。すぐ上は、山が切れて青空が見えていたけれど、かなり巻いているらしくなかなか峠に出られない。涼しい樹林の中をのんびり歩く。6時22分、五本松を過ぎた所で上着をぬぐ。この時、賞のさんが水を一気に500ml程飲んでしまった。峠の手前に水場があったけれど、一人2リットル持っているのでそのまま峠に足を向ける。6時51分雄大な展望で知られる夜叉神峠に着く。生憎の曇り空とガスがかかっていたため視界は殆ど利かなかった。ガイドブックを読んで期待して行っただけに残念だった。ここでも庄野さんは水を随分と飲んでいた。私の地図(日地出版)では入口から峠まで1時間40分、庄野さんの地図(昭文社)では1時間30分と記してある。途中で一本とりのんびり歩いて来たけど、実際には50分位しかかからない。記念写真を撮り、7時に出発する。平らな所がしばらく続き、少し下りとなるが又すぐ上り返す。地図上ではここから杖立峠まではひたすら登りとなっている。朝から庄野さんの水を飲む量が多いのが気になってはいたけれど、大分調子が良くないようだ。本人は大丈夫というけれど無理しているらしく息が荒い。休憩して様子を見る。現在地を確認すると峠はそれほど遠くないようだ。夜叉神峠で一人の男性と会った以外、誰ともすれ違っていない。こういう静かな山行もいいなあと思いながら又、のんびり歩き出す。8時14分杖立峠に着く。夜叉神峠からここにくるまで、杖を立てて休みたい程疲れてしまうというので、この名が付いたそうだ。此処で30分の大休止。クロワッサンとレモンのハチミツ漬、オレンジを食べて、写真を撮る。この峠付近からシラビソの匂いが気になり始めた。お茶のような独特な自然の香りがとっても気に入って、体中で深呼吸してしまう。山火事跡を過ぎる頃、雲が切れて陽が射してきた。白峰三山の一部がのぞいた。気持ち良くって大岩の上に寝そべり庄野さんを待つ。待っている間も何かしら食べてしまうのだった。しばらくすると山火事跡からまた樹林帯の中へのゆるやかな登りとなる。甘利山への分岐を右側に見ると、もうすぐ苺平である。その名の通り野苺でもあるのかなあと会話を弾ませたけれど何もない暗い所だった。そこから南御室小屋への道は、辻山を巻いた暗く、湿っぽい雰囲気があり、一人で歩くなら早く通り過ぎたい感じの道である。下の方で人の声が聞こえてくるとあっという間に小屋に出た。10時45分。冷水が小屋のわきの2ヶ所から流れっぱなしになっていて、早速顔を洗い、水筒に入っている、横浜の水と入れ替えた。この小屋には7人の先客がいて、その中の一組のご夫婦から"あら、あなたは"と声をかけられた。今朝、甲府駅でタクシーをご一緒して頂けませんかとお願いした方だった。話しかけた私が全く覚えてなく、本当に失礼なことをしてしまった。相手の顔を覚えることが出来ないのは、銀行員として失格だと反省してしまう。2回目の大休止のあと11時5分、薬師岳へと再び登る。歩き始めより短くはあったけれど、いきなり四つん這いのちょっとした急登だった。鳳凰は2度来たという服部さんから事前に様子を聞いたとき、傾斜のきつい所はないと言われていただけに庄野さんと"うそつきだ、だまされたぁー"とブツブツ言いながら登った。薬師岳手前の砂払岳では大勢の人でにぎわっていた。中でもハデさで目立ったおばさんがいて、右手に、サファイヤとダイヤ、左手にはパールの指輪をはめていてその石の大きさには驚かされた。おまけに真っ赤な口紅、アイシャドーにマスカラとメイクまで完璧である。その時の会話では"汗でお化粧崩れませんか"、"それが汗かかないのよ""新陳代謝止ったんじゃないですかあ"とあとの会話を続かないものにしてしまった。口は災いのもと。でも、出てしまった言葉に罪は無し。それからは目には目をの精神で仕返しをされた。若い?とは罪なことだ。
 12時30分、薬師岳小屋に着いた。此処で一泊するには時間に余裕がありすぎるし、二日目の行動がきつくなる。庄野さんの体調もなんとか大丈夫ということで、鳳凰小屋まで行くことにした。薬師小屋から山頂まではものの5分と歩かない。そのわずかな時間に、色づき始めた紅葉に目をやる。今年一番の紅葉だ。薬師岳山頂に着くと、砂払岳にいるおばさんたちと、大学生らしい男の人達が"オーイ"と手を振ってくれ、思わず山頂コールに庄野さんと素直に喜んでしまった。ここから観音岳までは稜線漫歩の筈だったけれど、朝からのガスがなかなか晴れず、残念ながら一日目の感動はお預けとなった。13時30分観音岳に着き、50分の大胆な休憩をとった。差し入れにもらったフルーツケーキとミカンを食べながらこれからの予定を考える。地蔵岳までも充分に行ける時間だったけど、病人と身体障害者のコンビが、直接鳳凰小屋へ下る道へと予定を変えてしまった。この道は途中から廃道と化したようにひどく荒れて、急峻でヒザにこたえてしまった。登り以上にペースがかなり遅くなってしまい、庄野さんの歩行をたびたびストップさせることもあった。それにしても本当にひどい下り道だった。
 16時、鳳凰小屋に着く。宿泊客が15人はいたと思う。夕食時ということもあり、みんな外のベンチに座っていた。私達のメニューはカレーライスとサラダである。カレーといっても、リンゴ、レーズン、ビーフも入っているスパイシーカレーなのだ(なんのことはない、ただ暖めるだけのものです)。サラダは、きゅうり、みょうが、ねぎ、わかめを酢みそであえたもので、米子沢で勝部さんが作ってくれたのがとっても美味しく、以来お気に入りのメニューになってしまったのだ。寮とは違って、ジャンケンでの取り合いもしないのんびりした夕食だった。翌朝のオニギリもついでに作っておいた。宿泊は毛布4枚で一人3千円、寝具持参なら2千円である。9月中旬であったけれど、シュラフと毛布が必要なくらい夜は冷えた。
 翌朝は3時50分起床の予定で目覚ましをセットしたのに、目が覚めるともう4時30分だった。最後の地蔵岳をピストンして、ご来光をみて帰る筈だったのに予定が狂ってしまった、というのは下山の時、ヒザが痛くなるといけないので、御座石鉱泉まで3時間30分かかるところを5時間みて、加えて温泉に入り13時のマイクロバスに間に合うようにスケジュールを立てたのだった。寝坊してしまったその時は小屋のコタツに入りながら、
 ◎地蔵に行って、温泉に入らずに帰る。
 ◎地蔵に行かず、温泉に入る。
 ◎地蔵も、温泉も可能にして門限を破る。
以上の三者選択を考えていた。鳳凰三山を計画した時の自分の気持ちを考え、後悔したくなかったので地蔵をピストンすることに決めた。これで鳳凰二山にならなくて済んだ。庄野さんは以前登ったというので、私一人で登ることになった。5時45分歩き方の基本など全く無視して、ただガムシャラに駆け登った。呼吸が苦しくなる。この時頭の中では地蔵に行っても、温泉に入り寮の門限にも間に合うことの両立を考えていた。そのためには頑張って早く山頂に立ち、降りてこなければいけなく、とても焦った。6時15分山頂に着く。朝日を浴びてオベリスクがオレンジ色にそびえ立っている。前日の天候とは違ってとても気持ちのいい朝だ。すぐ下山する筈が、オベリスクから眺められる大パノラマに気をとられて20分も同じ場所に腰をおろしてしまった。近くに八ヶ岳が雲上にカッコ良く頭を出し、遠くは北アルプス連峰の槍の穂先がハッキリ確認出来た。すぐ正面に見える形のいい尖った山を見て、近くに座っている男の人に"あれは北岳ですか"と尋ねたところ"あれは甲斐駒です"と言われて恥ずかしさで、まともに先方の顔が見られなかった。そうそうゆっくりもしていられないので、慎重にオベリスクを降りる。砂道を富士山を見ながら駆け下り7時5分鳳凰小屋に戻った。小屋の経営者細田倖一さんと記念写真を撮り、7時31分御座石鉱泉へと向う。この下山道は広くのんびり歩ける道だった。途中両側が切れている所の手前で一本とり、現在地の確認をする。地形からすると燕頭山のすぐ手前とわかる。足場が悪いとずっと下まで落ちてしまいそうで怖いけど、道幅が50cm位あるので天候の良いこの日は安心だ。5分もたたないうちに一面笹におおわれた燕頭山に着く。樹林の中に山頂があるので景色は全く見られない。これからは等高線がつまっている急な下りになるけれど、思った程急な所はなく、10時28分赤い屋根の立派な鉱泉に着く。ここで一つクレームをつけさせて頂きたい!!
 鉱泉に入り穴山駅までマイクロバスを利用して3100円である。鉱泉を1000円としても、バス代が2100円というのは高すぎると思った。新宿から甲府までの乗車賃と一緒である。おまけに湯船は垢が一面に浮いていて、ため湯である。ジュースも230円、350mlのビールは500円と、ヘリコプターで運ばれる涸沢と同じ値段だった。山の上ならともかく、まるっきり下界である。頭に来た半面自分の下調べの不行き届きにもかかわらず、私の計画に協力してくれた庄野さんに申し訳なく、心の中であやまる次第だった。でもなんとか三山行けたし、温泉に入れたし、門限は余裕だったし、とっても充実した二日間だった。何と言っても初めての山行計画が無事に終えることが出来たのは、心配してくださったまわりの方々の気持ちと、見送りに来てくれた安田さんと日野さんの励ましの言葉と、そして、そして体調が良くなかったにもかかわらず、メンバーが減ったことを考えてくれたのか、無理して来てくれた会社の先輩であり、二日間良きパートナーでもあった庄野さんのおかげだと思います。二人だけの山行ということもあり、随分と勝手な行動をさせてもらい、自分のペースをつかませてもらえたのも、気心が知れている庄野さんの前だったからだと思います。本当にありがとうございました。
―追記―
 地図上での時間と、実際にかかった時間とでは、ゆっくり歩いても地図上に書いてあるほど、時間はかからないようです。南アルプスの場合だけかもしれませんが。
 私の原稿は南アルプスへのアプローチ以上に長く、最後まで読んで下さった方に感謝いたします。


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