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「事故報告」
剣を見に行った顛末記
植村 隆二

山行日 1987年9月12日~13日
メンバー 勝部、安田、植村

 今年の剣は事故が多かったという。例年になく積雪量が少なくて、雪崩と共に落ちて浮石などきれいになるはずが、そうでなかったのも一因だそうだ。お恥ずかしい話だが我々もその多かった事故者の一員となった。以下はその顛末である。
 「剣はいい山である」常々小生はそう思っているので、今回の話にもなんのためらいもなく乗った。いつものように、成り行きまかせにルートを決めて剣を見に行くことにした。
 初日、先に入山している勝部氏と雷鳥平で合流、別山平でテントを張る。翌日は、天気が良ければ八ッ峰を縦走して三ノ窓まで行くことになっていた。本来ならば今回のハイライトになるはずであったが、ここで事故に遭遇した。八ッ峰を縦走するには通常1・2のルンゼをつめて稜線に出る。我々もこのルートを登っていた。久し振りの山行のせいか、このルンゼがこんなにシビアに感じられるとは、以前は別に何と言う事はなかったと思う。自分の登り方がへたくそになったのと、砂礫を刺激するのか小石がよく落ちる。
 時々ザイルを使いながら、コルまで50mぐらいまできて、あと少しで稜線だという時、自分の2mぐらい横の石がくずれた。直系で50cmはあっただろうか。すぐに「ラクッ」と叫んだが、後続の安田、勝部の姿は見えない。聞こえたのは安さんの「ラクッ」という声と「アーッ」という落ちていったような声だけだ。なまじっかだれもいないルンゼから響くだけに恐ろしい。この瞬間に、石に当って落ちる姿が頭の中をかけめぐる。「あかん、やられてしもうた」と実際に思った。
 しばらくの沈黙のあとコールをかける。二人から応答があった。よかった生きている。安さんからは「足をやられて動けない」。勝ちゃんのはコールだけ聞こえる。「さて、どうするか」。とりあえず荷物を置いて安さんのところまで降りる事にする。彼の顔を見る、一安心、かろうじてルンゼの根っこみたいなところで止まっている。足首と腕に落石を受けて出血しているが、何とか動けそうだ。とりあえず、ザックをはずして安定した場所にうつしてから、勝ちゃんにコールをかける。何と「頭をやられた」という。
 姿が見えないのでアプザイレンで勝ちゃんの処まで降りる。顔を見たとたん顔中血だらけで悲愴な姿だがあとはしっかりしている。ザイルをフィックスして安さんのところまで上げる。ここからコルまではすぐなので二人ともしんぼうしてもらって登ってもらう。
 1・2のコルにはちょうどいいビバーク地があって、そこで応急処置をする。落石を受けてから1時間ぐらいたっただろうか、ここが11時半頃だったと思う。稜線にはいるものの、さてこれからどうするか場所が場所だし、二人の怪我からするとすぐには降りられない。あっさり、ヘリコプターを呼ぼうと決めた。クラブの名を出したくないが仕方あるまい。腹ごしらえをすまして、二人に日没までにヘリがこなければビバークするように言って、救助要請に下山する。どのルートで降りるのが安全で速いか思案し、3・4のコルを下降して真砂小屋に行くことにした。
 小屋に着いたのが13時30分頃だったか、剣沢の県警に無線で連絡する。事故者の氏名、住所、場所、保険の有無、など必要なことを報告してヘリを要請する。
 ヘリを待つ間に真砂の小屋番さんが今年の剣での事故の模様を話してくれた。例年になく異常に多かったとの事である。15時30分頃、ヘリが来たがいつものフライトコースとは違うそうで、一緒にコルまで行く予定が先に救助して、後で迎えにくることになった。あとで聞いた話だが、コルから2峰のピークでホバリングして救助したそうだ。
 さすがにヘリは速い、あっという間に我々を乗せて富山市民病院まで運んでいった。20分ぐらいか。
 二人が診察を受けている間に、東京に事故連絡を入れて後始末にかかる。翌日、県警本部、上市署、ヘリ会社にお礼と、事故証明を受け取りに行って済ます。幸い、怪我も大きくはなく、勝ちゃんの入院も2日ですんで東京に移送することが出来た。
 羽田には播磨さんたちに迎えに来ていただきありがとうございました。クラブの皆さんにも心配をおかけした事を誌上を借りてお詫びします。又、山岳保険も請求通り全額おりましたのでご報告しときます。保険については今回で一層ノウハウが蓄積されましたが、あまり使わないことにしましょう。何だか尻切れトンボになってしまったが、今は笑い話にもなった剣を見に行った山行です。詳しく知りたい方は個別に教授します。


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