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アルプス日記(中) ツェルマット編
服部 寛之

 1987年8月のアルプス旅行記を当初上下2編に分けて書くつもりでしたが、なんとなく長くなってしまいましたので、3回に分けて掲載させていただきます。
 尚、文中の乗り物の料金は、半額旅行カードでの値段です。

 8月6日(木曜日) 晴れ
 今日はツェルマットへ移動する。
 グリンデルワルト9時48分発インターラーケン・オスト行きの電車に乗り込む。ほぼ満席に近い混み具合。これで見納めと車窓から見上げたアイガーは、巨大な胸壁を誇らしげに空に向かって突き立てていた。その姿は、この山に憧れて遥々やって来た人間の思いなど全く意に介さない巨人のようであった。どっしりと構えて悠久の時の流れを見つめる自然の大きさと、その間に一瞬のきらめきのごとく現れては消えていく人間の小ささ。
 13分の待ち合せで、インターラーケン・オスト10時39分発にて次の乗り換え駅シュピーツへ行く。4日前の往路を20分程引き返すことになる。この時乗った車両には驚いた。一両の半分が一般席で、残りの半分が幼児向けの遊戯室になっている。カーペット敷きの中央にらせんばね式の木馬、一方の隅にレゴのテーブル、もう一方の隅にはオモチャの公衆電話が並び、中央両サイドの窓には大きなクマさんのシールが貼られている。数人の幼児がレゴのテーブルの周りに座って、それぞれの製作に夢中になっている。仲良く遊んでいるように見えて、やっていることはバラバラだ。一番幼い2才位の男の子には、母親らしい婦人が付き添っている。こういう設備があれば、長いことじっとしていられない子供達も飽きないだろうし、親達も子供を長時間宥めすかして座席に縛りつけておく苦労から開放されるだろう。僕は、片側に設けられた狭い通路から低い仕切り越しに子供達の遊ぶ様子を眺めながら、こういう形のサービスもあるのかと感心した。その車両には、遊戯室のデッキ側に隣接して赤ん坊のおむつを取り換える小室も設けられていた。日本のJRもこれを見習って、一部露天付きの展望風呂車両を普通列車につけてバンバン走らせてもらいたいものだ。
 シュピーツでは1時間程時間があったので、駅の外に出てみた。ホームから階段を下りたところの通路は、そのまま外の道路に通じていた。改札口が無く途中下車できるというのは、便利なものだ。シュピーツはトゥーン湖の南西岸中央付近に位置する町で、眼下に見えるハーバーまで住宅街をブラブラ歩いてみたが、路上には犬のフンも紙くずも無く、どの家の庭もきれいに手が入れられており、静かで豊かな生活が察せられた。
 シュピーツからは南下し、ベルナー・オーバーラント山群の中央を長いトンネルで横断してブリークへ行く。シュピーツを出た列車はカンデルタールという大きな谷に入り、徐々に高度を上げて行く。山がでかいので、結構なスピードで走っても風景はゆっくりしか動かない。同じ山の風景でも、中央線の方が変化があって楽しいと思ったのは、テレビのコマーシャルよろしく物事の目まぐるしく変化する生活様式に慣れてしまっている故か。最初のトンネルでは、車掌が電気をつけるのを忘れたのか、しばらく真暗になってびっくりした。日本ではこういう時「失礼しました」とか何とか放送が入るものだが、この列車の車掌は何も言わない。勿論、言っても解らない。中間のカンデルシュテークという駅を過ぎると、長いトンネルに入った。抜けるのに10分位かかったと思う。今度は電気がついたので良かった。トンネルを抜けると再び広い谷を俯瞰しながら、列車はブリークに向けて山腹を下りて行った。シュピーツから65分でブリークに到着した。
 ブリークで登山電車に乗り換え、ツェルマットへ向かう。満員で、僕らは仕方なくデッキに立つ。ふたつ目の駅を過ぎると、電車はマッタータールという谷に入って行く。ツェルマットはそのどんづまりにある。この電車からの風景は素晴らしかった。両側に高い山が連なっており、特に右側は高差5~600メートルで立ち上がっているので、顔を窓辺からぐっと上に向けないと空が見えない、見上げていると、所々小規模な氷河の灰色の末端が山腹から空中にせり出して止っており、迫力ある景色が展開して行く。ツェルマットのひとつ手前のテッシュは、駐車場の中に町があるといった風だった。ツェルマットに行く人は、ここのバカでかい駐車場に車を置いて行かねばならないそうだ。ツェルマットは空気を清浄に保つためガソリン車を規制しており、事実、その後数日観察した限りでは、走っているのは電気自動車と馬車と犬と人間だけ。タクシーも、ゴミトラも、郵便の車も牛乳屋の車も、全て電動。農作業のトラクターまで電動で、気の弱い僕などはカラキジをうつのもはばかられる位、空気には気を使っている。
 ツェルマット(標高1600m)に14時44分着。駅前のインフォメーションのあんちゃんにNaturfrend haus.の場所を聞く。徒歩15分、町外れの森の中。安宿は、多少の立地条件の悪さはガマンしなくてはならない。実は、この宿はグリンデルワルトの宿のオバチャンに頼んで予約を入れておいてもらった。この『自然の友の家』は、パンフレットによればスイス国内に100ヶ所以上あり、備えてある設備(駐車場、シャワー、食事、自炊施設等の有無)はまちまちだが、週末・休暇時の家族旅行等に安く利用できるとある。ユースホステルと関係があるらしく、国際ユース会員証の提示を求められた(僕らは全員出発前に会員になっておいた)。ここは一人1泊朝夕2食付きで36Fr(1スイスフランは約100円)。自炊はできない。与えられた三人部屋はまだ新しく(外壁は工事中だった)ベットの他に洗面台、机、及び三人分のロッカーがあり、使い易く快適だった。トイレは3部屋に男女1室づつあり、シャワーは同じ階に四つあった。
 宿に荷物を置き、中沢氏とガイド組合の事務所に行き、マッターホルン登山の情報を仕入れる。ガイド組合の人の話では、マッターホルンの今年は雪が多く、ガイドはあまり行きたがらないとのこと。もうどこか4000メートル峰にアイゼンをつけて登ったのかと聞かれたので、登ったと答えると、ならばヘルンリ小屋(3260m)とメッテルホルン(3406m)まで、それぞれ1日かけて登って高度に慣らしてからまた来い、マッターホルンの登山はそれから相談しよう、但しガイドの都合上しばらく順番待ちしてもらわなくてはならない、と言われた。英文のマッターホルン登山についてのパンフレットをもらって事務所を出る。このパンフの情報は、今後行く人の参考になると思われるので、要点を記しておく。

 ガイド組合事務所に行ったついでに、その裏手の山岳博物館を見学する(3Fr)。ここでマッターホルンの初登頂者ウィンパーのピッケルを見た。文字通り、歴史を刻んできたピッケルである。スイスに来る前に彼の『アルプス登攀記』(岩波文庫・赤239-1&2)に目を通しておいたので、ピッケル初め彼の残した品々は、歴史の持つ重みと迫力を実感させてくれた。また、アイゼンの基本的形が昔から変化していないのは、驚きだった。

 8月7日(金曜日) 曇時々雨又はあられ後晴れ
 結局、マッターホルンのピークは断念することに決めた。マッターホルンには是非とも登ってやるぞと意気込んで来ただけに、本当に残念無念である。でもまだスパッとあきらめるのはフンギリがつかず未練べっとりであるので、今日はヘルンリ小屋まで行ってみることにする。
 断念した理由は三つ。雪がついていて難しくなっており、ガイドもあまり行きたがらないことが一つ(実は、マッターホルンは昨日からずっと雲の中で、まだ実際には雪の付き具合は見ていない)。これから数日トレーニングをしてからさらにガイドの順番街ということになると、日数的に次のシャモニが問題になることが二つ。そして最大の問題が6万円を超える料金。払って払えないことはないが、あとが非常にキビしくなることは必至の情勢。以上の理由から「今回は涙を飲もう」と自分に言い聞かせた。
 宿を8時30分に出発。ロープウェイでシュヴァルツゼー(2582m)という湖まで行く(10.5Fr)。ロープウェイを降りると、小雨が降っていた。一緒にきた高校生みたいなグループは、湖のほうへ下りて行く。ガイドブックのきれいな写真から想像していた大きさより、かなり小さく、湖というより池と言う感じ。『黒い湖』という意味だそうだが、その名のとおり今日は暗い感じなので、僕らは湖へは下りる気がせずそのままヘルンリ小屋への道をたどる。道は岩場のしっかりした道である。しばらくしてヒルリという岩峰の下に出ると、道はマッターホルンから北東に細長く延びているヘルンリ稜下部に沿って登って行く。途中のトラバースの箇所には、まだ新しい鉄製の階段が取り付けられていた。地図では左手に広大なフルク氷河が見渡せる筈であるが、今日は雲が低くてその一部しか見えず、雨も次第にみぞれ模様になってきた。マッターホルンは勿論厚い雲の中である。最後にジグザグ道を登り詰め、ヘルンリ小屋に到着。湖から2時間かかった。入口の横の壁には、C.A.S(スイス山岳)SECTION MOUNT-ROSA HORNIHUTTE 3260MUMと刻まれたプレートが埋め込まれていた。結構な降りとなった雪を避けて、中へ入る。狭い入口の突当りと右側の小部屋がアイゼンやピッケルの置き場となっている。左手の階段を上りドアを開けると、大きな木製のテーブルが幾つか並べられた食堂のような部屋で、右手奥がキッチンと事務所になっているらしい。山屋の格好をしたグループが2~3組。僕らも窓際のテーブルについて、行動食を広げる。天候待ちで何日かここで頑張っているのだろうか、ヒゲの伸びた若い兄ちゃん達のグループがフランス語で何か議論している。入口横のボードには、北壁を登るパーティに対して、7月中旬に北壁で墜死したイタリア人二人パーティの遺体発見協力を呼びかける貼り紙があった。
 降りが弱まって来たので、小屋の先の取り付まで行ってみる。小屋の後ろは200m位尾根が平らになっており、ヘルンリ稜はその先から急角度で頂上へ延びている。小屋までは雪はほとんど積もっていなかったが、この平らになった地点には10~2、30センチ積っていた。取り付きの岩は、濡れて冷たかった。上方の厚い雲の切れ間に見える稜線の岩は、やはり白い。「やっぱり、登れそうにないや」と、ここで何とかあきらめをつける。中沢氏も、取り付きを少し登ってみて「手、冷たい。ヤメヨー」と言っている。記念に取り付き点をバックに写真を撮る。そして、そこの岩を拾ってポケットに入れた。このマッターホルンの一部は、今の僕の部屋で聳えている。
 帰路は往路を戻らずに、途中から北へ下りた。しばらくは崩れ易い歩きにくい砂礫の道が続くが、やがて草原となり斜度も緩やかになってきた。すでに天候は回復して、薄陽も射している。雲がどいてくれれば北壁が眺められる筈なのに、雲は居座ったまま。標高2,200m付近に適当な岩を見つけ、腰をおろしてパンをかじる。小屋から1000メートルも下りているのに、風景がでかいせいかそれ程の高差は感じない。この僕らが下りて来たマッターホルン北側の谷は、ツェルマットから西へほぼまっすぐ延びている谷で、地図では西からツムット氷河が入り込んでいるが、氷河は地図よりも後退している様だった。谷のむこう側(北側)には山並があるのだが、やはり上部は雲に隠れており、垂れ落ちている氷河の下部だけが見えていた。
 そこから下ると、すぐ林道だった。トラックでも通れる程の幅がある。しばらく行って道が森の中へ入る手前もう一度振り返る。マッターホルンは最後まで姿を見せてくれなかった。この森の中の道は気持ちが良い。岩と氷河の風景の後で見る緑は、気持ちを和やかにしてくれる。やがてハイカーと合流。今朝見たシュヴァルツゼーから下ってきた人達だ。道はまっすぐ行くとフーリというロープウェイの中継駅へ出るが、僕らは左に折れて渓谷(ツムット川)を渡り、ツムットという村経由で帰ることにする。
 ツムットは素朴な小さな農村である。昔ながらの木造の家屋が寄り添うように建ち、道端の畑にいる老婦人の服装も、この辺りに伝わるものなのか、地味なブラウスに地味なロングスカートである。細い道なりに集落の中へ入って行くと、ハイカーが一人外のテーブルで目玉焼を食べていた。その後ろの建物は外見からでは想像もできないが、食堂をやっているらしかった。そのすぐ先には、白壁の小さなチャペルがあった。手入れの行き届いたきらびやかな祭壇は、カトリックのものである。村人の厚い信仰心が伝わってくるようだ。世界各国からの観光客で賑わっているツェルマットの町のすぐ近くに、こんなにも素朴な、こんなにも静かな、そしてこんなにも頑固な生活があるとは驚きを越してショックですらあった。日本全国ツツウラウラまで均質の近代化を図る日本では、考えられないことである。
 そこからツェルマットまでは3キロ弱の楽なハイキング道であった。宿帰着17時30分。夕食後、洗濯。乾燥室には大きな脱水機があってありがたい。部屋が洗濯物で華やぐ。
〈コースタイム〉
宿出発(8:30) → シュヴァルツゼー駅(9:25) → ヘルンリ小屋(11:22~13:05) → 2200m地点(14:10~15:00) → ツムット(16:30) → 宿到着(17:30)

 8月8日(土曜日) 曇り後晴れ、山は晴れ
 今日はブライトホルンへ登る。ガイドブックでは易しそうな山なので、井上さんも連れて行く。ブライトホルンというのは『幅広山』という意味で、先にも書いたように同名の山はスイスに8峰もあり、グリンデルワルトでのハイキングでもブライトホルンという山があった。今日登るのが、その中でも一番高い、4,164mである。
 7時からの朝食を手早く済ませて、7時45分に宿を出る。ツェルマットは雲が低くたれこめており、上での展望が心配だ。ロープウェイを3台乗り継ぎ、クライン・マッターホルンへ向かう。ツェルマット←→クライン・マッターホルン(往復34Fr)。クラインというのは小さいという意味で、ピーク(展望台になっている)は3,884mであるが、ロープウェイ駅は3800m付近の岩を掘って作られている。ロープウェイはでかく、100人位乗れる。観光客の他にスキーヤーと山屋も結構いる。スキーヤーは首から顔写真入りのパスをぶら下げている人が多いが、パスを利用する程長期間こういう所に滞在してスキーができるなんてうらやましい。顔写真は面白いことに、スマイルしているのが目につく。国民性の違いは、こういうところにも出るのだろうか。ロープウェイは雲の中をぐんぐん上り、吐く息も白くなってきた。クライン・マッターホルンに近づくにつれ、雲が切れ青空がのぞいてきた。しめた、上は晴れている。
 出口で仕度をして8時55分出発。ブライトホルンはクライン・マッターホルンの東隣りの峰だが、稜線上にスイスとイタリアの国境が走っており、南のイタリア側はなだらかで女性的な雪の斜面だが、北のスイス側は二つの氷河を急角度で1,500mも落としており、男性的な感じだ。クライン・マッターホルン氷河を挟んでいるので、南側へ大きくU字形に迂回して行かねばならない。すでに先に出発した人達が、小さな点となって氷河のむこう側の雪原を進んで行くのが見える。クライン・マッターホルンの南側には広大な雪原(プラトー)が広がっていて、スキーのゲレンデになっている。西の方には何本かリフトがかかっており、僕らもしばらくTバー(スキーで立ったままおしりにひっかけて上る)の流れに沿って歩いて行く。途中で左折し、トレースを辿って氷河の上部を捲く。トレースは徐々に北へ曲って、前方にブライトホルンを仰ぎ見るようになる。上天気で、ルンルンの雪原歩きである。やがて斜度が増してきて、ふと頂上を見上げたら驚いた。空の色が暗い。濃紺をさらに黒くしたような色だ。こんな空の色は初めてだ。空気中のチリが少ないヒマラヤの空は昼間でも黒っぽいというのを以前何かで読んだことがあるが、こういうものをいうのかも知れない。ガイドブックにはベルクシュルントがあると書いてあるが、今年は多雪のためかそんなものはどこにも無い。下から上まで一面の雪の斜面である。本格的な登りとなってきたので、アイゼンをつけ、アンザイレンする。初めてアイゼンを履く井上さんは、コケても大丈夫なように真中に挟み、上(服部)と下(中沢氏)で確保する。下山してから皆で、ポチみたいだったねと笑った。幾つかのパーティに交じり、ジグザグのトレースを辿って登高する。雪は陽射しのためかやや湿ってはいるが、まずまずの状態だ。先行する賑やかなイタリアのパーティが止ったので山側から追い越して行くと、小学生の男の子にオシッコさせていた。順調に登り10時45分、頂上着。すでに3パーティ、10人程いた。展望はさすがに素晴らしい。青空の下、北側には東西に大きなゴルナー氷河が横たわり、その向こうにゴルナーグラート稜が見える。銀色に光っている点は、登山電車の終点ゴルナーグラートにある天体観測のドームだろう。上空は晴れているのだが、残念ながら3,300m付近に雲が一面に浮かんでおり、ゴルナーグラート稜の向こうは見えない。左手西方も同様で、上にはきれいな青空が広がっているのだが、肝心の山の部分は雲が覆っている。マッターホルン(4,478m)もその南側に見える筈のダン・デラン(4,171m)も雲の中だ。山体に沿って、雲が山の形に盛り上っている。南側も眼下には広大な雪原(ブライトホルンプラトー)が広がっているが、そのむこう側及び南東方向は厚い雲に覆われている。だが、東方向の稜線上は見通せ、右手前から左手奥の順にカストール(4,228m)、リスカム(4,527m)そして巨大なモンテ・ローザ(4,634m)の白い峰々が見えている。この氷河と雲海と白い峰々の雄大な景色に、僕らは満足した。「初めて登った雪山がいきなり4000メートル峰だなんて、すごいね」と井上さんをからかうと、彼女も満足そうにニコニコしている。居合わせた人に頼んで、三人揃って写真を撮ってもらう。
 僕らはそこから東隣のピークまで行ってみることにした。ブライトホルンには、実はピークが三つある。東峰(4,139m)、中央峰(4,159m)と、最高峰である西峰(4,164m)である。その三つが直線上に並んでおり、これから中央方へ向かおうという訳だ。細い切れ立った稜線上のトレースを慎重に下り、コル(4,076m)に荷物をデポする。そこから稜線の南側を辿ってピークに向かう。途中で振り返ると、バランスのとれた三角形をした製峰の東肩あたりを目指して、三人パーティが北壁を登攀中であった。一直線になってスタカットで登っている。結構なスピードだ。僕らも順調に登り、11時53分中央峰登頂。西峰ピークから正味35分かかった。地図上直線距離にして750m程離れている。展望は西峰とあまり変らないが、リスカムとモンテ・ローザが良く見える。それに、ここからだと西峰も見える(当り前だ)。大抵のパーティは西峰だけで引き返してしまうようで、こちらのピークは足跡が少なく、雪もぐっとしまってアイゼンのききが良い。風が冷たいので、早々に引き返す。下りぎわ、西峰の右側にダン・デランがピークを現わしていた。
 デポ地からは、西峰の南面をトラバースぎみに下降して、今朝ほどアンザイレンした付近でアイゼン・ザイル等をしまい、午後の日光を浴びながらルンルンルンとクライン・マッターホルンに戻った。途中、裸になって日光浴しているパーティがいた。
 クライン・マッターホルンでは、エレベーターで展望台へ上がってみた。5~6人の男女のスキーヤーがサングラスをかけ、暖かな陽射しの中で、けだるそうにトカゲを決め込んでいた。北側には、木製の大きな十字架象が掲げられており、南西の風が強いのか、その方向に雪がこびりついていた。磔になった上で雪攻めでは、いくら何でもキリスト様がかわいそうだ。ちなみに、ロープウェイで行けるヨーロッパで一番高い展望台とのこと。
 帰りは、隣のトロッケナー・シュテーク(2,939m)でロープウェイを途中下車し、素晴らしい展望をおかずに遅い昼食にする。この駅の屋上は広いテラスでレストランもあるが、僕らは人混みをさけて駅の東側に出て腰を下ろした。南側正面には、今登ってきたブライトホルンが堂々と聳え、その左にリスカム、さらにその左手東側にはモンテ・ローザがでんと座っている。北側は、今はもう雲がすっかりなくなって、ツェルマットの町と、マッタータールがよく見える。その左手上方には、ヴァイスホルンが雲から頭を少しのぞかせていた。
 さらにロープウェイでツェルマットへ下ってきたら、もう16時だった。僕は二人と別れ、街へ行ってハガキと切手を買ってから宿へ戻る。帰路、協会横の墓地に寄り、マッターホルン初登攀時に墜死したミシェル・クロ(ガイド)、ハドソンとハドーの墓を見た。この墓地は色とりどりの花できれいに飾られ、明るい雰囲気である。歩いてみると、この山域で事故死した各国の山屋の墓も少なからずあった。
 夕食を食べ終ったら、マッターホルンがとうとう姿を現わした。「わあ、これは大変だ!」と中沢氏と二人で興奮して食堂から部屋に飛んで帰り、カメラを持って外へ飛び出す。宿は、ゴルナーグラートへ登る登山電車の線路縁に建っているのだが、宿から150m程線路を上がったカーブの地点が樹林がなく展望が良いことを中沢氏が捜し当てた。もう電車は明朝までなく、僕らはそこにゆっくりと腰を据えてマッターホルンを眺める。美しい。やはり美しい、素晴らしい山だ。登れなくて、つくづく残念。だが、命あっての物種だと自分に言いきかせる。東壁、北壁ともに白い。去年はもっと黒っぽかったと、昨年美紀ちゃんと共に、ここに来た井上さんが言う。後日モンブランのテート・ルース小屋で一緒になった日本人の話では、その時点では今年マッターホルンのピークに立ったのは、たった二人で、そのうちの一人はヘルンリ小屋から24時間行動だったそうだ。でもやはり、登れないのはくやしかった。僕は何時間、そこで眺めていただろうか。一緒に来てニコンのカメラでのぞいていたおじいさんも去り、寒くなったと中沢氏と井上さんも引き上げた。僕は一人残り、太陽が山陰に落ちるまで飽かず眺めていた。日没間際、北壁が僅かに茜さした。
〈コースタイム〉
宿(7:45) → ヴィンケルマッテン(ツェルマット南端のロープウェイ駅)(8:05) → クライン・マッターホルン(8:55) → アンザイレン(9:40~50) → 西峰頂上(10:45~11:03) → コル(デポ)(11:15~30) → 中央峰頂上(11:53) → コル(デポ回収)(12:25~35) → クライン・マッターホルン(13:33) → トロッケナー・シュテーク(14:30~15:15) → ヴィンケルマッテン(15:55)

 8月9日(日曜日) 曇り
 今日は、昨日ブライトホルンから眺めたゴルナーグラートへ行く。ツェルマット8時発のゴルナーグラート行き登山電車に乗る(片道13Fr)。割合すいており、日本人の団体ツアーと同じ車両に乗り合わせた。電車は僕らの泊っている宿の脇を通り、ゴトゴトとゆっくり登って行く。団体ツアーの添乗員のあんちゃん(30代半ばみたい)が慣れた口調で説明する。こりゃ丁度いいやと、僕らも耳を傾ける。聴くのはタダだ。残念ながら今日は曇っていて、あまり景色は良くないが、マッターホルンは見えている。あんちゃんの口調に合わせ、日本人のお客はカメラを撮ったり、ビデオを撮ったり忙しい。若いギャルも、若くないギャルも、初老の夫婦も、立ったり座ったりご苦労さんである。あんちゃんがマッターホルンを指して言う。「左の壁が有名な北壁です」ウソこけ、ありゃ東壁だ。確信に満ちた断定的な説明に、ウンウンと嬉しそうに頷きながらビデオを回しているオッサンを見て、僕は訂正するのを思い止まった。オッサンにとっては、どっちが北壁だと同じこと、添乗員の説明は正しいものと信じ、最後まで楽しく旅行を終えるのを良しとすべきだ。ここで口を挟んで自信に溢れたプロの添乗員氏の権威を傷つけ、お客に不安感を抱かせてはかえって親切ではない、そう考えたからである。更に添乗員氏宣ふ。「エーデルワイスはこーゆー低い所には見られず、もっとずっと高所の岩場などに自生しています」ふうん、そうかいな。サウンド・オブ・ミュージックで聴いたエーデルワイスの歌は素敵だったので、花もさぞかし素敵なのだろうと思っていたが、宿に貼ってあった保護植物の一覧ポスターの写真で見る限りでは、ボオッとした感じのあまり見栄えのしない花のようだ。でも一度本物を見てみたいと思っていたので、このあんちゃん添乗員氏のご宣託にはがっかりさせられた。
 ゴルナーグラートに8時43分着。今にも降り出しそうな天気。団体ツアーより一足先に展望台へ上がってみる。どっちを向いても雪だらけ。南側に見える筈のブライトホルンもカストールもリスカムもモンテ・ローザも厚い雲の中。申し訳程度にゴルナー氷河の一部が雲の下に見えているだけ。ゴルナーグラートの展望は山好きにとってはアルプスでも屈指のものであると聞いていただけに、ガッカリである。団体ツアーは、ここでトンボ返りのようで、とうとうポツポツ来たためか、展望台まで上がって来そうにもない。僕らは下の氷河まで下りてみることにし、展望台から少し東進して、稜線から南側に下りる道を下った。当初見た感じでは、30分もあれば下まで行けると踏んだのだが、実際はその倍かかった。でかい景色に目が騙されてしまう。この下降の途中では、野性の山羊の群れに会った。全部で12~3頭、茶色っぽく、小さいのもまじっている。母親が子供を連れて歩く姿は、どんな動物でもほほえましいものだ。また、氷河上に動く点を発見。双眼鏡でのぞいてみると、どうやら人間らしい。たぶん、モンテ・ローザ小屋から下りてくる人達だろう。そのあまりの小ささに愕然とする。物の大きさに、僕らの感覚がついて行けない。
 氷河へ下りるには、氷河沿いの道を東端まで行かねばならない。東に行くにつれ道は大小の岩石のゴロゴロした中を通って行く。そこでマーモットを見た。ネズミの仲間かと思ったらリス科に属するそうだ。意外と大きく、体長50~60センチはありそう。剽軽な顔つきで、ずんぐりしているがすばしっこい。20~30メートル先で顔を出すのだが、望遠で撮ろうとして少しでも近づくと、すぐに岩の下に隠れてしまい、結局うまく撮れなかった。
 道は大きな岩の先から氷河上へ続いていた。氷河の上にはところどころに目安となるポールが立てられているのが、ガスに見え隠れしている。その中からヒゲ面の男が二人、手にストックを持ち、ザックにアイゼンをくくりつけて現われた。先程双眼鏡で捕えた人達だろう。氷河歩きの経験のない僕らは、よくこんなガスの中をクレバスに落ちずに歩いて来れるもんだと感心する。ここで見ている限り、氷河とガスの境は区別がつけ難く、ホワイトアウトになったらヤバイと思うのだが。
 そこから引き返しリッフェルゼーに向かう。道はゆるい上り坂だ。途中で何組かのハイカーとすれ違う。氷河上は相変らずの雲。だが動きは速く、山腹がちらちら見える。やがて、とうとうブライトホルンが姿を見せた。昨日見たのと印象が違う。雲がまつわりついていて、より雄々しく見える。あのピークに立ったんだと思うと、ルンルンで登れてしまった山でも、嬉しいものである。この道の途中で、エーデルワイスを見つけた。僕は初めそうとは信じられなかった。あんちゃん添乗員氏の言葉があったからだ。だが、中沢氏と井上さんはきっとエーデルワイスだと言う。宿に帰ってからポスターの写真を見たら、やはりエーデルワイスだった。エーデルワイスは、結構低い所(そこは2,700m位)にも咲いてるんじゃんか。僕らは翌日のハイキングでも、決して多くはないが、エーデルワイスが群生しているのを見た。きっとあの添乗員氏は、幾度となくツェルマットへ来てはいても、一度も自分の足で歩いてみたことがないのかもしれない。でなきゃ、あの有名な北壁が東側にあるのだなんて言わないだろうし、エーデルワイスの件だってしかりだろう。それにしても、あの団体ツアーのように、乗り物で行って見てくるだけの旅って何だろう。家でビデオ見てるのと大差ないじゃん、と思ってしまう。このツェルマットでも、グリンデルワルトでも、この後行ったシャモニでもそうだったが、町では日本人の姿がどこにでもあるのに、一歩町を出てみると、ハイキングしている日本人というのはめったにいない。山の町に来たのならハイキングして当然と思うのだが、そうは思わないのだろうか。乱暴な言い方かもしれないが、現代の日本人は自然とのつき合い方がヘタだ。文明は自然を否定するものだと誤解しているのではなかろうか。人間は自然と共に生きているのではなく、自然の中に生きているのである。生命とは、そういうものだ。土をはなれて文化(カルチャー)はなく(Caltureは耕すの意)、自然を忘れた文明の中に人間性はない。列島改造論を振り回す日本人の態度とこういう日本人旅行者の行動パターンとは同根であるように、僕は思えてならない。
 リッフェルゼー(2,757m)でブライトホルンを見ながらお弁当にする。リッフェルゼーは、湖面に逆さのマッターホルンの映る景勝の地として有名だが、肝心のマッターホルンは雲をすっぽり被っており、湖面の色も雲が映っては、さえなくて残念である。お弁当といってもいつも同じで、パンにバター(本当はマーガリンだがバターと呼ぶ)、ジャムにチーズとソーセージ、それにコーヒーと、カモシカで買って来たチューブ入りのコンデンスミルク、それにデザートの果物、今日はネクタリンである。スーパーをのぞいても、この位しか僕らのおごった口に合うものはない(高いものは初めから度外視)。ムシャムシャやっていると、湖の向こう側から10数頭の羊の群れが姿を現わした。大型で、体は白いが顔と四肢の先がこげ茶色をしている。放し飼いらしく、背中に持ち主の印なのか、赤いマークがつけてある。好き勝手にブラブラと、食っちゃ寝、食っちゃ寝のおまえ達がうらやましいよ、と思わず言いたくなる。
 天気はずいぶん回復して、陽が射してきた。まだ時間は早いが、宿に引き揚げることにする。連日の疲れがたまっている。湖の近くのローテンボーデンという駅から乗車してツェルマットに戻った(11Fr)。
 駅からの帰り道、僕は二人と別れ、町外れの古い家並みを見に行った。教会の南西の一角は、今も昔ながらの造りの建物が並んでいて、アルプスの山村の雰囲気をかろうじて保っている。この辺りは平らに剥がれる石材が取れるのか、円盤状の石を高めに作った土台の間に挟んでネズミ返しにしてある。また、同じ様な石材をもっと薄くしたものを屋根に葺いて、瓦として使っている。地味な色調ではあるが、多様な色を持つ石の瓦は建物によくマッチし、高台やロープウェイから見下ろすと大変美しく、メルヘンチックである。
 宿に帰ったら、14時30分であった。連日の行動の疲れが出たのか、以前痛めた左膝が少し痛み出した。おまじないの秘薬を塗って、ぐっすりと昼寝した。
〈コースタイム〉
ツェルマット登山電車発(8:00) → ゴルナーグラート着(8:43) → 氷河沿いの道に下りる(10:00) → ゴルナー氷河(記録なし) → リッフェルゼー(12:00) → ローテンボーデン(13:15) → ツェルマット到着(13:50)

 8月10日(月曜日) 晴れ
 「おい、寝てる場合じゃないぞ、マッターホルンが見えてる」。
 息急き切ってドアから飛び込んできた中沢氏はそう言うと、カメラを持って再びドタドタと飛び出して行った。「えっ、そりゃ一大事!」と、僕もガバチョと起き上がり、シャツのボタンを掛けるのももどかしく、ザン靴を引きずりながら例の線路脇の場所へと急ぐ。今日はドピーカン。真青な空に、白いマッターホルンが、今朝は一段と美しく屹立している。さすが、アルプスのシンボル。何度見てもいい山だ。この位置からだと、伸び上がったオットセイのように見えなくもないが、朝日を浴びて立つその姿は、なんとも清々しい。
 今日は、昨日行ったゴルナーグラートの北隣の尾根に登ってみる。朝食後少しゆっくりしてから、スネガ・エクスプレスの乗り場へ行く。これは、ツェルマットとスネガ(2,300m)を結ぶ地下の登山電車である(往復8Fr)。改札口から長いトンネルをくぐって電車に乗り込むと、体格の良い5~60才のオジサンが座っていた。仕事着らしいセーターに長靴をはき、そばに長い柄のついた大鎌が立て掛けてある。いかにも善良な農夫といった感じである。僕らは、彼が日本語を解さないのをいいことに、彼のいでたちや車内のポスターについてあれこれ言う。彼にしてみれば、変な東洋人ハイカーが訳のわからんことをしゃべっておるといった感じなのだろう。丸い目をクルクルさせて居心地悪そう。
 6分でスネガに到着。この先、途中ブラウヘルト(2,601m)を経由してウンターロートホルン(3,103m)までロープウェイが架かっているのだが、取り敢えずプラウヘルトまで歩く。スネガから大きな犬を連れた中年の夫婦の後について尾根道を登って行くと、いつのまにか雲に包まれてきた。振り返ると、一面の雲の中、左手上空の思わぬ高さにマッターホルンのピークだけがぽっこり浮かんでいる。その前を、ロープウェイのゴンドラが雲の中から現われては僕らの頭上を越え、また雲の中へと静かに吸い込まれて行く。道は次第に尾根の右側を捲くようになる。右手はゴルナーグラート稜との間の広い谷。雲は切れて下にフィンデルアルプと呼ばれる草原地帯を眺める。犬には鎖などつけていない。主人を先導したり、ちょっと道草を食ったり。アザミに似たピンクの花を食べたのには驚いた。本当に道草を食った! こちらでは、よく犬を連れて歩いているのを見かけた。ホテルなどでも犬を預かってくれるようだ。家族の一員として見なされているのだろう。だからよく躾られている。混み合った電車やバス等でも、おとなしく座っている。日本のガキより、よほどマナーは良い。
 ブラウヘルトまで登ってみると、3千メートル付近を棚引いている雲の上にマッターホルン、オーバー・ガーベルホルン、ヴァイスホルン等の4千メートル峰が軒並み姿を見せている。すっかり嬉しくなった僕らは、これは是非ともウンターロートホルンまで上ってみようということになった。ブラウヘルトの北東に500mの高さに聳えるウンターロートホルンに登るには、歩いたら2時間位はかかる。となればロープウェイを使おうと、僕らは素直に考えた。ところが、ここで重大な問題が露顕した。お金がない。ここのところ手持ちの現金が少なくなっていたが、昨日は日曜日のため銀行で換金できなかった。皆、お互いのサイフを当てにして、何とかなると思っていたのである。切符売り場の前で、全員サイフとポケットを総動員して小銭をかき集める。切符売り兼運転手のおばちゃんは、そんな僕らを見て笑っている。幸い、皆でロープウェイに乗れる位の額がかろうじて揃った。汗をかかずに上まで行けると思ったら、乗り込む前から汗をかいてしまった(片道5.6Fr)。
 ウンターロートホルンからの展望は、山好きにとっては三ッ星レストランである。ほぼ360度、4千メートル峰がぐるりと取りまいている。まず目につくのが、何と言ってもマッターホルン(4,478m)。南西側、谷の向こう側にヘルンリ稜を中央に左に東壁、右に北壁を見せている。キリリとしたこのピラミッドは正に山の貴公子(プリンス)、山の姿の理想像である。ここから見ると、この山は大地にしっかりと根を下ろし、まるで地球から滋養分を吸収しながら今も成長しているかのような躍動感がある。その右に目だつ三角がダン・ブランシュ(4,357m)の南東壁。この"白い歯"はアルプスに落とした巨人の親不知。その右に伸び上る三角塔とその峰続きのドームはオーバー・ガーベルホルン(4,062m)とヴェーレンクッペ(3,903m)。ガーベルホルンは"熊手山"、ヴェーレンクッペは"波形の円頂"。後者は厚い白い帽子を被っている。高い一点へ集中する線を持つ動的な前者と、どっしりと静的な後者の組み合わせは、さながら近代の前衛彫刻。その右の秀峰はチナールロートホルン(4,221m)。ロートホルンは"赤岳"で、チナールは山の反対側(ツェルマットの西側)の地名。きっと向こう側から見た方が格好いいのだろう。そしてその右手、マッタータール西側に並ぶ連峰右端の一際大きい壮麗なピラミッドがヴァイスホルン(4,505m)。その名の通りの白い峰だ。
 首をぐっと右へ振って北東を向くと、隣のオーバーロートホルンの稜線越しに四つのトンガリピークが並んで見える。左奥から右手前にデュレンホルン(4,035m)、ナーデルホルン(4,327m)、ドーム(4,545m)それにティシュホルン(4,490m)である。更に右を見る。東へ延びる尾根の向こうにリンプフイシュホルン(4,199m)、シュトラールホルン(4,190m)、アドレールホルン(3,988m)がかたまっている。アドレールホルンの右側には厚い氷河がモンテ・ローザとの間の広大な地域を覆っている。氷河という氷の海だ。白く波の高い荒れた海だ。そこからゴルナーグラート稜との間に長い舌のようにフィンデル氷河が入り込んでいる。そして南東から南にかけてゴルナーグラート稜越しに見えている白い連峰が、昨日は雲に隠され見られなかったモンテ・ローザ(4,634m)、リスカム(4,527m)、カストール(4,226m)、ポリュックス(4,091m)そしてブライトホルン(4,165m)の峰々である。巨大なモンテ・ローザは実は穂高のようにたくさんのピークから成っており、最高峰はデュフールシュピッツェと呼ばれている。このモンテ・ローザには、どの峰だかは不明だが、1511年にかのレオナルド・ダ・ビンチ(当時59才)も登ったらしく、その時の彼の手記が残されているそうだ。その右隣のリスカムもモンテ・ローザに劣らない程の幅を持っている。カストールとポリュックスは小さいが、猫の耳のように一対になって極めて印象的な形である。そしてその右手には、堅牢な城壁のようなブライトホルンが構えている。
 こうした素晴らしい峰峰を眺めるのには時間がいくらあっても足りないが、望遠レンズでひとつづつのぞいて写真を撮っていると、中沢氏がやって来てもう行こうと言う。もうちょっと居ようよと言おうと思ったら、井上さんと二人でスタコラ行ってしまったので仕様がなく後を追う。広い山道を下って行く。樹木が無いのできれいな景色は見通しがきく。時折放牧されている羊の群れがカランカランと鈴の音を響かせて現われる。色とりどりの小さな花たちが緑の谷間を飾っている。エーデルワイスも咲いている。ハイカー達の足取りは軽い。中には重そうなのもいる。シュテリゼーという細長い小さな湖(2,536m)で昼食にする。マッターホルンを湖の対岸に見る灌木の岩の斜面に腰を下ろし、EPIで湯を沸す。絵のような景色の中でのお弁当はVSOP。即ち、ベリー・スペシャル・ワン・パターン。でも確実に腹はへっているのでおいしいのだ。食後、井上さんと中沢氏は仲良く岸近くの大きな岩へ飛び移り、はしゃぐ二人の写真を当てられっぱなしの僕が撮る。僕は水中の岩に飛び移ると必ず落ちるので、飛び移るのは止めにする。いくら二人が熱くても、服を乾かすにはまだ充分ではないからだ。シュテリゼーからはスネガを目指してなだらかな坂道を下っていく。天気はいいし、景色もいいし、ルンルンハイキングである。フィンデルンの集落が下に見え出した所で右折し、ライゼー(2,232m)に出る。シュテリゼーより幾分小さく、湖岸には大勢のハイカーが休んでいた。スネガの駅はそのすぐ北側の斜面を登った所にあった。
 ツェルマットに下りて早速銀行へ行き、ひと安心。リッチになったところで土産屋をのぞいてまわり、屋台でシトロン味のアイスクリームを買う(1.5Fr)。思ったより小さくて、味わう間もなくあっけなく終わってしまう。だが、井上さんはしぶとく舐め続ける。脱帽!! 宿に帰り、明日のシャモニへの移動に備えパッキング。
〈コースタイム〉
スネガエクスプレス駅発(9:20) → スネガ着(9:26) → ブラウヘルト(10:15~10:40) → ウンターロートホルン(10:47~11:35) → シュテリゼー(12:30~13:40) → スネガ(14:40~15:00) → スネガエクスプレス駅(15:06)


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