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皇海山
内藤 尚登

山行日 1988年1月15日~16日
メンバー (L)勝部、植村、小泉、竹内、内藤

 これまで何度かチャンスはあったものの、なんとなく行きそびれていたけれど、皇海山って名を知ったのは、あの「日本百名山」でだと思う。名の由来もいろいろ書かれていたと思うけど、スカイと聞けば、SKYを思い浮かべるのは僕だけじゃないはずで、北関東の空にそびえる立派な山をイメージするはずだ。
 新宿スバルビル前に22時集合。とっておきの恐い話を車中でしながら、関越高速道を北上し、その夜は、かじか荘前のベンチでビバーク。翌朝は晴天、林道を車で行ける所まで入り、9時前、「こりゃ雪がまるでないぜ」(だって雪と遊びに来たんだモン)と文句を言いつつ歩きはじめる。私は正月の北岳で挫いた左足首が治りきらずオイッチニイという感じ、オッチャンとチカチャンは暑いネェとゆったりマイペース、カッチャンとタケチャンがスタスタと歩いて行く。
 庚申山荘の少し手前で、やっと雪が出てきてスパッツをつける。庚申山荘は建て替えられてとても立派になっております。結構な急登をエッチラオッチラ登る。昔からの信仰の山らしく岩をうがいて道がつけられていたりする。庚申山頂近くまで来ると、傾斜もゆるくなり、雪も膝ぐらいまでとなる。ここで下山してくる3人パーティと会う。なつかしい前橋のJAZZ喫茶「木馬」のステッカーのジープの人達だ。「日光まで行くの」「皇海山までピストンです」「若いから今日中に行って来れるネエ」「えッ!?」という会話。そうこうするうちに、庚申山頂、南側はやや展望があるものの、いつ頃からか雪がチラつき出して、皇海山らしきものが見えるが、判然としない。なだらかな尾根を約1時間行った所で幕を張る。それにしてもここらの立木は鹿に皮をずいぶん食べられている。差し入れのにごり酒が冷たくておいしかった。
 16日、5時出発。あたりはまだ闇の中。オッチャンとカッチャンのルートファインディングに従って庚申連山をひとつづつ越えて行く。それぞれのピークに薬師岳とかなんとか名前がついている。少しづつ空が白み始めて、鋸山の少し手前あたりから、皇海山が見えはじめる。けっこう遠いナァと思う。ところどころ鎖場があるがゴボウで通過。鋸山頂からは上越国境の山々が美しく見渡せた。富士山も見える。日本人って富士山を見るとはしゃぐのはどうしてだろう。大きく鞍部に下りて、倒木の多い斜面をラッセルを続けて、皇海山頂に9時着。展望はなし、快晴。剣が一本宙に向けて建立されている。
 あとはひたすら下山、17時前に車までたどりつき、その日は、かじか荘のお風呂にどっぷりとつかったのでありました。

〈コースタイム〉
1月15日 林道発(8:45) → 一の鳥居(9:15) → 庚申山荘(10:55) → 庚申山(12:50) → 幕場(14:00)
1月16日 幕場発(5:00) → 鋸山(7:30) → 皇海山(9:00~9:30) → 鋸山(10:45) → 幕場(12:10~12:40) → 庚申山(13:35~14:30) → 庚申山荘(15:20) → 車着(16:50)

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