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塔ヶ岳(GOGO山行)
升田 直子

山行日 1988年4月9日~10日
メンバー (L)安田、升田

 4月9日。ド快晴。チャレンジ55のスタートとして天候も気分もいい。待合わせの渋谷駅では、ピッケルとアイゼンを用意している人を見ながら、スパッツしか持っていない自分が不安になる。連日降り続いた雨で、山はすっかり雪の衣をまとっている。しっとりとした、静かな安らぎを感じる。
 8時45分、大倉入口よりのんびり歩き始める。以前、章子さんに"直ちゃん、あたしと一緒にバカ尾根をボッカしない?"と誘われたことがあった。そんな会話を思い出しながら林道を歩いているとすぐ見晴茶屋に着く。人の気配がない。一本とる。コースタイムより30分遅れ、10時45分、駒止茶屋で15分の休憩をとりスパッツをつける。ここの外のトイレは使用料として20円かかる。しばらく誰も入っていないらしく、雪で戸が埋って開かない。せっせと雪かきをした分10円しか払わなかった。この時、あき缶に入れるようになっていたが、皮肉なことにお金を入れるとカランと結構大きな音がする。10円しか入れなかったので当然一度しか音がしない。思わずその空缶をシェイクしてしまった。ふと、みじめな気持ちになった。この付近より、雪解け水で歩きにくくなる。11時45分昼食とする。のんびり歩いているものの、大倉から既に3時間たっている。花立に着いた時に、安田さんは蛭ヶ岳までの計画を諦めたらしい。申し訳ない気持ちになるが、これでゆっくり展望を楽しむことが出来ると都合のいい方に考えてしまった。登り始めは、どれがどの山かわからないまま写真を撮っていたけれど、高度をかせいで行くと、山全体の雰囲気が少しずつわかってくる。二ノ塔、三ノ塔が目線よりはるか上に眺められていたのに次第に高さを同じくし、花立を過ぎてからいつの間にか見下ろすようになっていた。この高度感があるからつらい登りもガマン出来る。
 14時2分、やっと塔ヶ岳山頂に着いた。本当にやっとだった。山荘をバックにGOGO記念の証拠写真を撮る。時間的に少し無理があるが丹沢山まで行くことに決める。最初の下りでいきなり足が深くもぐる。男性の足で、まして下りとなると勢いで下りるので、歩幅の広いこと広いこと、ついて行くのに苦労する。ものの10分とたたないうちに、丹沢山荘から4時間かけてラッセルして来たという男性とすれちがう。聞くところによると、朝9時30分に丹沢山荘を出て蛭ヶ岳に行ったが雪が深くて断念し、塔ヶ岳に戻ったらしい。身長1m83cm、ガッチリした体型の彼でさえ苦労したところである。リーダーがわたしの存在に不安を持つのが当り前である。わたし自身、途中動けなくなったらテントを張っちゃえ!!国定公園でも不可抗力の事態だ!!と考えていた。すると、時間も遅いし、潔く諦めて塔ヶ岳山荘に戻ろうとあっさり決断を下されてしまった。リーダー様には逆らえません。こうなると夕食までたっぷり時間がある。まずはビールでカンパイをする。山荘の経営者の山岸さんは大久保さんに似ていて笑ってしまった。(ビール350ml 500円、素泊り2500円)このシーズンは、丹沢にしては異常な積雪のため宿泊者が多かった。繁盛、繁盛。夜はベランダから秦野市と松田市の夜景を心ゆくまで眺めていた。山頂で夜景を見たのは初めてだった。樹林の中に建っている丹沢山荘に行っていたら見られなかっただろう。そういえば、行けるところまで行ってみると言って丹沢山へ向かった一人のおじさんのテントの明りが殆どすぐ近くの雪の中に確認できた。やっぱり大雪のため先へ進めなかったのだろう。そうなると、我がリーダー様の判断は正しかった。言うことは素直に聞くものだ。
 9時30分、就寝。女性の方二人と相部屋で安田さんは黒一点となる。翌朝は、予想以上の積雪のため当初の計画を変更して下山することにした。ヤビツ峠方面への下山道は、三ノ塔手前で先に進めず引き返して来た人がいたため、8時30分、イヤイヤながら大倉へのぬかり道を下ることにした。登りとは逆に、三ノ塔が目線より段々高くなって行くのを横目で見ながら、今回の山行が塔ヶ岳ピストンに終ってしまったことを考えた。少し残念だったけれど、私のペースダウンと、雪のため仕方がない。その代り、時間的な余裕が充分にあったので、山荘でのんびり出来た。下山道をはずれ、踏み跡のない所をわざと歩いたり、駆け出して雪の上に投げ出されたりと滅茶苦茶な下り方をして12時42分、大倉へ着いた。山荘泊りだったため、一度もザックから出すことがなかったテントを持ってくれた安田さん、お疲れさまでした。


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