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上ノ廊下遡行記
小泉 周子

山行日 1988年8月7日~12日
メンバー (L)植村、勝部、今井、別当、小泉

 「上ノ廊下へ行くョ」
 植村のオイちゃんから誘いがあった。一度断ったけれど、やっぱり行きたい。勝部さんの「行くかい?」に再度、飛びついた。
 春合宿以来たいした山へは行ってないので、メンバーについて行けるか不安。出発前日に千代田のミキちゃんと足を引っぱる話しに花が咲いた。
 あちら方面に行くには矢張り"あづさ回数券"がお徳です。何に乗車するにしても。
 扇沢は寒かった。おまけにメロン四つも重かった。黒部ダムで朝食、荷の仕分けをして走り始める・・・ウソ、歩き始める。だらだら道をダムに沿って。ダムでは1時間に1回の遊覧船が波飛沫をたてて平ノ小屋近くまで走っている。ああ、あれに乗って行ければいいのになあー。ダム沿いの道は所々にアップダウンがあり、更に沢を3~4本渡ってゆく。予定より早く平ノ小屋に着いたのでここで昼食をとってゆっくりする。この日、ヘリがよく飛んでいた。なんでも針ノ木岳から下ってきた筈の御父祖さんが行方不明らしい。黒部ヒュッテへ行く道で気を付けてくれといわれた。
 渡船では乗船名簿に記入し、ほんの10分程で降りる。すぐ急坂を2分ほど登り、さっそく重いメロンを1個片付ける。ヒュッテまでは梯子がかけられた登山道のアップダウンが結構つづく。さっそく私のペースが遅れてしまう。まだかなーあ、なんてブータラしていると東沢を渡って、予定より1時間早くヒュッテへ到着。幕を張って次に大きいメロンを片付ける。"次にはこれを"と皆、自分の持っているメロンを出してきた。カンヅメも二個食べた、お酒も飲んだ。誰もが軽量化に熱を注いでいた。
 今年の沢はまだ水量も多く、50~60パーティ入山したが半分が引返してきたという。1日目に立石まで予定していると告げると、金作沢までも無理だろうと言われてしまった。そして、流されて小屋へ運び込まれた人は皆、コーヒーを飲むとホットして息を引取るのだそうだ。あぁクワバラ、クワバラ。
 翌日はピーカン!ではなかったが、グズってもいなかった。水晶小屋まで行くという2人パーティの他は、のんびりと身支度をしている。我々の他は学生パーティと2人組のパーティだ。7時30分過ぎに出発。水はチャップイ。川幅は流石黒部だけある。渡渉を1回、2回まだ膝あたり。3回目は右岸から左岸へ、けっこう流れは速く膝あたりか、それより上か・・・。向岸にオイちゃんがいる。次の足を早く踏み出そうと思ったら水と一緒に流れていた。水の力は思ったより強く、どんどん流される。ザックの重量を入れて75kg弱はある私でも止まらなかった。水が冷たくて、息も出来なくて、上を向こうとしたら逆にもぐってしまった。兎に角、それでももがいて上を向けた時、手が底に触れ止まった。けっこうな浅瀬だったけれど立上がるのが精一杯で、足がガタガタと震えてしまい歩けなかった。勝ちゃんが助けに来てくれて、再び渡渉点に戻ったけれど、イャーまいった、まいった。オイちゃんがザイルを張ってくれたが、流された所に来ると動けなくなってしまい、再び勝ちゃんに助けてもらい一緒に渡ってもらった。しかし、私にはこの先、遡行を続ける気力がなく、70%は一人でも戻るつもりでいた。が、いつもの"大丈夫、大丈夫"に抵抗出来ず、だが、この後の渡渉は全てザイルを張ってもらい、おまけに誰かと一緒に渡る情けない事となった。それでもこの日は遡行後30分にして10m流されたという事実には大変なショックであり、立直れなかった。
 何度かの渡渉後、下の黒ビンガへ着くが水量が多く泳がなくては無理な様だ。良い捲道も見当らない。日も照っていない。流れもある。オイちゃんがザイルをつけ空身で泳ぐ。しかし、誰もザックを背負ったこの身では後に続かず、捲道をさがす。仕方なく再びオイちゃんは戻ってきて、やっぱり皆で高捲き、久々の肩がらみで10m程を懸垂して河原におりた。更に歩くとやっと口元のタル沢だ。ここで又、又右岸を高捲く。けれど、あぁお腹が空いた!この捲きはけっこうあった。トラバース気味にかすかな踏跡をたどり、やっと途中でお昼となる。その後はガレを下り着いた先の台地で行動は終了となった。この日は先に行っていると思われた2パーティも後から到着。同じ場所でビバークとなった。さっそく焚火をし、夕立の中、オイちゃんと別当君は釣りに出かけ、岩魚を調達してきた。これには皆、はしゃいでいた。
 三日目。初っぱから渡渉点探しで1時間のロス。広い河原をトコトコ歩いたり渡渉したり。今日は昨日程の恐さはないが、不安な時はすぐ誰かと一緒に渡ってもらった。2時間程で雄大な上の黒ビンガが現れる。下の黒ビンガより大きく良い。このゴルジュ帯をザイルを出して渡渉をして行くと、左岸に花崗岩とスダレ状の美しい滝がお目見え。更に雪渓に埋もれた金作谷へと導かれた。このあたりから上ノ廊下から奥ノ廊下へとなる。するとさっそく泳がなくてはいけないかなぁーと思われる深い渕になる。右岸の草付が高捲らしいがけっこうイヤらしいので、意を決してジャポン!思わずキャーキャー言っちゃう。あぁ冷たい!。私は手抜きでザイルをつたってしまった。日が照らないと震えがでてしまう。そしてすぐにまた泳ぎとなる。深緑のプールを左岸へ泳ぐ。一番やせている別当君がガタガタいっている。あんまり寒いので一本とる事にした。が、その後再々度、目の前の急流を泳がなくてはいけなかったが、EPIに火をつけるのにもずいぶん時間がかかった。だって皆、本当に震えていて中気みたいなんだもの。悪いけれど笑ってしまった。私が一番震えていなく、太ってて良かった!と思ったのはこの時が初めてだった。休止後は前途の急流を泳ぎ、核心部を終える。あとは左岸を高捲き台地へ出て今日を終る。夜はまた焚火で濡れた衣服を乾かす。でも、私愛用の5本指の通勤快速はこげてしまい穴が開いてしまった。別当君は2回泳いだ時、あと続けて泳いだら死ぬと思ったらしい。死ぬ思いをしたのは"昨日は私で今日は別当さん、明日は誰かなあ"と言ったら"またチカちゃんだよ"と言われ半分当っている気がして、本気でムッとしてしまった。そして、所がドッコイ!私達は救世主と化すのだった!!この日は対岸にカモシカを見た。
 四日目、夜に雨が降ったが余り水の冷たさは感じない。今日は頑張って薬師沢の先まで行こうと、まず左岸を小さく捲いてきたら、右岸にブルーのカッパが見えた。先行のパーティかなと思い近づいたら小父さんが一人。ゲッ、山靴をはいている。オイちゃんが"どうしたんですか、何でここにいるんですか"と聞いてもあまり要領を得ない。どうやら高天原林道を来て迷い、赤牛沢手前の小さな沢を降りてしまったらしい。2晩ビバークしているという。取り敢えず食べ物とあったかい飲み物を与える。そして、我々も遡行を打切り小父さんが降りた沢を登り返し、高天原林道に出て小父さんが予約していた高天原の小屋まで行く事になった。オイちゃんと勝ちゃんは核心部は抜けたんだからーと言い聞かせるように何度も言っていた。敏ちゃんはニコニコしていた。私と別当君は少しだけ、ほんとに0.005位ホッとしていたと思う。登った沢は丹沢の1級上位で、2時間弱で林道に出た。ちょっと気を付けていれば赤ペンキを見落さずにすんだと思う感じだった。そのまま小父さんは空身で林道を進む。そんなにアップダウンはなく、30分おきに小休止して、やがて見晴しが良くない湿地帯の夢見平ヘ到着。薬師岳がとてもきれいだ。天気も回復に向っていた。そして気が付くと眼下に高天原温泉があった。男性は露天風呂へ、私は対岸の掘立小屋で四日間の汗を流す。その後敏ちゃんとオイちゃんは小父さんを小屋まで送っていった。この日は熊笹のじゅうたんの上で隠れるように夜を過した。
 五日目、今日から縦走だ。沢の方がよかったなぁーなどと思いながら歩く。岩苔乗越までは天気もはっきりしなく、立ち止まると寒く歩くと暑い。乗越から雲ノ平分岐までにある黒部源流で記念写真。本当なら沢をたどってここに来れたのにねえと、ちょっと、ちょっとだった。分岐では20分程休み、最後にちょっと熟しすぎたメロンを食べた。この日は双六岳を捲いて弓折岳幕張りをした。最終日は笠ヶ岳へ登る筈だったが、また足を引張ってしまい大変申し訳なかったが、そのまま新穂高温泉へ下り、松本経由で帰京した。

〈コースタイム〉
8月7日 黒部ダム(7:40) → 沢手前(8:20~30) → 休憩(9:30~10:00) → 平ノ小屋(10:50) → 渡舟場(12:00~30) → 黒部ヒュッテ(14:10)
8月8日 黒部ヒュッテ発(7:35) → 下ノ黒ビンガ(9:35) → 口元ノタル沢(13:00) → 幕場(15:00)
8月9日 幕場発(7:25) → 上ノ黒ビンガ(9:30) → 金作谷(11:30) → 幕場(14:35)
8月10日 幕場発(7:00) → 赤牛沢の手前(8:20~40) → 赤牛沢横断(11:30~12:20) → 夢見平(13:30) → 高天原温泉幕場(13:55)
8月11日 高天原温泉幕場発(6:30) → 水晶池(7:25~30) → 岩苔乗越(9:05~15) → 黒部源頭(9:30) → 雲の平分岐(10:10~30) → 三俣山荘(10:55~11:05) → 双六小屋(13:40~14:15) → 鏡平分岐(15:15~20) → 弓折岳幕場(15:35)
8月12日 弓折岳幕場発(5:40) → 鏡平(6:15~25) → 水場(7:25~55) → わさび平(8:43) → 新穂高温泉(9:45)

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