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編集後記

 柿ではありませんが、今年の三峰は結婚の当り年のようで、4月から12月迄すでに七つの結婚式がありました。その内の4組が会員同志のゴールインでした。色々と言いたいむきもおいでだったかもしれませんが、けとばし会という安全弁を設けたのは三峰の先輩方の長年の知恵なのでありましょう。これによって☆§×?などカラリ忘れて共にヨロコビ、シュクフクするというのが三峰の伝統なのであります。
 所で、いつぞや朝日新聞にこんな記事が載っていました。『妻の呼び名の「山の神」について岩手県古文書学会員、上里太喜男さんのお便り、「当地方では山の神は女の神で、みにくい顔をし、とてもやきもちやき、おこらすと怖い神様と言われております。そんなところから、やきもちをやく怖い女は山の神。転じて自分の女房を呼ぶとき用いられたと思います。山の神は春には里におりて田の神となり秋に収穫を終えれば山送りをし、冬中山にこもります。]』「うちの山の神がね・・・・」という言い方をするのは、たいていある程度年令のいった結婚生活の長い亭主のようです。ういういしいニイヅマは亭主にとっては正に天使、のような可愛く輝かしい存在なのだろうとご想像いたしますが、その天使がいつのまにやら神様に昇格なさっちゃうというのだから、アナマコト不可思議にして恐ろしきかな! 変容は虫の世界の話だけではないのです。この変容は結婚後どの位で始まりどの位で完成するのか、大いに興味のそそられる所です。
 変容の速度と共にその程度、激度も問題です。即ち三峰の例に照らせば、問題となるのは妻が山屋出身であるか否かです。前号のこの蘭でご紹介した『山女』の真実を考え合せると、前者をツマとした輩は後者をツマとした輩よりも大いに形勢不利であり、よって困難な環境を生き抜くための技量に人一倍秀でていなくてはならないと言えましょう。つまり、亭主たる者、常日頃から山に行き己のサバイバル・テクニックに常に磨きをかけておく必要があるという訳です。なぜなら、山の神に対処するにはやはりその出身地たる山で実践をつむのが一番、これなくしては良き家庭は保ち得ないと言っても過言ではありません! これを裏返して言えば、ツマたる者、(将来の)自分の力量に見合うに足る技量を亭主につけさせておけば家庭は安泰ということであります。ですから、サバイバル・テクニックを心得ている山屋を亭主にもつ妻は人一倍幸せだということであります。
 以上のことから、次のような命題が導き出されます。
(1)新妻天使はいずれ山の神に昇格・変身なさる。
(2)亭主は山の神に対処するための技量を常日頃から山で磨いておかねば苦境に陥り家庭の平和は保ちがたい。
(3)カミサン即ち山の神にとって山行は言わば里帰りであり、亭主と同様いやそれ以上に山に行く資格を有する。
 即ち結論。
 『良き家庭は良き山行から、良き山行は良き家庭から』
 めでたし、めでたし。


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