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かばさん求めて三千里
「男鹿岳・加波山・足尾山」(GOGO山行)
勝部 辰朗

山行日 1988年9月17日~18日
メンバー (L)勝部、植村、今井、市川

 第1915回例会山行である。日留賀岳、鹿又岳へ向うべく、集合場所の新宿スバルビル前へ、9月16日21時30分集合した。が、そこでGOGO山行参謀会議を開いた結果、行き先を男鹿岳に急きょ変更することになった。
 理由は今回車で行くので、雪の降る前に大川林道を効率よく使って、ヤブ山の男鹿岳をつぶしておく事。日留賀岳は登山道があり、塩原から登れるので、雪が降った後になっても登頂可能であると思われたからである。
 17日午前1時30分深山ダムに車を止め、車中で仮眠をし、7時頃出発。大川林道を会津田島へ向けて車を走らす。今回の植村さんの車のような一般乗用車では、ちょっとつらい道である。
 男鹿山系を越える1259mの鞍部に車を止め、男鹿岳への稜線を南へと登り始める。相変わらず雨は降り続き少し肌寒いぐらいだ。
 登山口より少しの間、道はわりと良い。後は踏跡程度のネマガリ竹のヤブとなる。男鹿岳のピークは展望はあまりきかず、明大ワンゲルのリーダー養成山行のプレートがたくさん打ちつけてある。明大ワンゲルは毎年のようにここへ、リーダー養成に来ているようだ。記念写真を撮って、そそくさと来た道を引き返す。さすがに下りは速い、車の所へ戻り、那須の大丸温泉目指して車を走らす。
 大露天風呂の中で、又も参謀会議を開き、明日もう一日あるので、車を駆使してGOGO山行の山をつぶすべく検討にかかった。その結果、茨城の加波山・足尾山に行こうという事になり、今夜行ける所まで車で行こうという事にあいなった。
 予定もしてなかったので、当然地図もなければ、登山道の下調べもない。あるのは古ぼけたドライブマップだけが頼りである。
 東北自動車道の佐野藤岡インターで降り、国道50号を走り岩瀬市を抜け友部の部落で南へ入る道へ行く。街灯もなく、ヘッドライトを消すと漆黒の闇となる。大塚の部落より西へ折れ加波山のやや南の鞍部の一本杉を目指して行く予定である。ではあるが、道路も最近どんどん変わり、古いロードマップとはずい分ちがう。一本杉の鞍部へと飽くなき闘志を燃やせども悲惨な道を登り、そして行き止まっては下り、又別の道を通り採石場で行き止まったりで、また下ったりのくり返し。そんな事をしているうちに、たかが700mぐらいの加波山に行くのに合計3000mは登ったのではないかと思うぐらい彷徨する。とうとう23時半であきらめ、適当な所で幕を張って寝てしまった。
 翌日、6時頃目を覚ますと、目の前には栗の木が規則正しい間隔でならんでいる林であった。大きな栗が拾ってくれと言わんばかりに落ちていたので、ご要望にお答えして心ゆくまで拾ってさし上げた。
 その後、地元の人に道をたずねたりして、またも悲惨な道を植村号は登れども、とうとう雨でえぐれた溝に落ち込み立往生してしまった。車をジャッキで上げ、石をつめこんでやっと動き出す始末である。苦労の末、一本杉に出ると此処は素晴らしい舗装道路である。本来の道は我々が登った大塚の部落からではなく、反対側から登るのであって、そちらは非常によい道であった。
 加波山の登山口で車を止め、ピークまで歩いて15分、下りは5分であった。たかが700mの山へ登るのに、正にかばさん求めて三千里の旅でありました。
 そこから又車を走らせて、となりの足尾山へ向かい、登山口からピークまで5分、下り2分でやっつけてしまった。足尾山から少し南の稜線では、ハングライダーの飛行場となっており、たくさんの鳥人たちが翼を広げ飛び立つ準備をしていた。
 帰りに千代田村の市川さんの実家によって、めしを食わせてもらった。ついでに市川さんのめいっ子たちに遊んでもらった。
 今回の山行で、GOGO山行の中でも最難関である男鹿岳、加波山、足尾山を消すことが出来たし。めでたし、めでたし。

〈コースタイム〉
大川林道1259m鞍部(8:30) → 1701mピーク(10:05) → 男鹿岳(11:00) → 大川林道1259m鞍部(12:30)


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