山行日 1989年2月5日
メンバー (L)服部、菅原、大泉、日野、堀田
西沢溪谷は美しいと言う。素晴らしい溪谷美だと言う。風渡る緑の梢、白い花崗岩、そして滝や淵を清めるコバルトブルーの流れ・・・。その流れが氷結した姿もまた美しいと言う。そう聞けば、誰だって絵のような溪谷や繊細な美しさを持つガラス工芸のようなブルーアイスの景色を想像してしまうではないか、単純ならば。
そして僕は単純だった。あまりにも一途に想像の景色を信じてしまった。僕のイメージでは、西沢溪谷は和服の似合う日本女性のような、流れるような美しい曲線で造られた白い川床に、ある時はゆるやかに、ある時はきびきびと流れる流れはあくまでもコバルト色に清く澄み切り、溪谷全体に穏やかで心落ち着く雰囲気を醸し出しながらも、どこか堅固で神秘的な力を秘めているといった、そんなたたずまいでなくてはならなかった。だが・・・。
市川さん差し入れのワインだけでは足りず菅原君持参のワインももう1本空けて仕上げた僕らは、寝過ごすことなく2:39AM塩山駅に降りた。小さな待合室は既に氷のパーティに占拠されていたので、通路で仮眠する。寒くて6時頃には起き、メシを食い、タクシーで西沢溪谷に向かう。7時20分不動小屋前に到着。気温零下10度、けっこう冷え込んでいる。仕度をして7時30分出発。眼下の無料駐車場には氷のパーティのものと思しきテントが2~3張。林道は途中から雪が出てきて、町営の西沢山荘(冬期休業中)前から細い山道に入る。吊橋を渡り、東沢の左岸へと下って行く。踏み固められた道の雪は凍っている。沢は流れの両側に付いた氷の上に雪が積って、水は見るからに冷たそう。時間が早い為か、陽が差さない谷は暗く、一層凍てついた印象が強い。しばらくアップダウンを繰り返したところで軽アイゼンを出す。実はこの時点で僕は、ここはまだ西沢溪谷へのアプローチだろうと思っていた。だが、地図を広げて驚いた。もうとっくに西沢溪谷なのである。吊橋を渡ったところからもう西沢筋なのであった。
「なんだ」と思った。これがあの素晴らしいと言われたら西沢溪谷なのか?あまり綺麗だと感心するでもないただの凍てついた沢じゃないか!思い描いていた姿(イメージ)とのあまりの違いに、ボーゼンとチョコバーを喰う。理想と現実の差は、チョコバーほど甘くない。(これは自分の女房となった女性に対する認識(イメージ)が、結婚を挟んで劇的なまでに変化してしまうことに類を見ると思う。)ロマンチックしすぎるのが僕の悪いクセなのだ。僕はリーダーなので、そこでオロロンと悲観に泣きくれる訳にはいかず、決然と前進する。軽アイゼンのお陰で足元にさほど気を取られる必要がなくなったので、少しは好意的かつ積極的に沢の美観を評価しようと努力してみるが、どうもあまり感心しない。断続的に続く小さな滝は、なるほど、あちこち凍りついてはいるが、ガラス工芸には程遠い。ところどころ沢に落ち込んでいる大きな滝も、一面にどうということなく凍りつき、これじゃ流れている方がまだましだ。一番釈然としなかったのは水の色だ。水はコバルト色だと聞いた。ガイドブックにも、白い花崗岩にコバルト色の水が映えて、と書いてある。僕はコバルト色にすごくあこがれていたのだ。キョンキョンを見るよりも西沢のコバルト色を見たいと思っていたのだ。それがなんだ、フツーの沢の水と大差ないではないか! なるほど、ところどころにある釜や淵を覗くと冷たく透き通った青色をしている。だが、フツーの沢の水だって、溜まれば青くなる。僕は水自体もっと青いと思っていた。少なくとも無くなりかけたブルーレットくらいは青いと思っていた。(あの使用開始直後の青色は、あまりにも毒々しい。)だから、その水が凍りついた滝はブルーグラス(C&Wではない)の美術品のように美しいと思っていた。だから、コントラストも鮮やかに、白い雪の間を青い沢が流れているのだと思った。だから、海の水が青いのはそのせいなんだと、そこまでは思わなかった。
そんなこんな思いながら歩いているうちに、あっけなくフィナーレの七ッ釜五段の滝に着いてしまった。この滝は堂々と凍りついた一大氷の芸術といった感じで、一見したとき[オオッ!]と思った。「やったね、来たかいがあったね!!」だが、正面からよくよく眺めてみると、自然の滝では絶対水が届きそうもないようなとんでもない虚空に氷が盛り上がっており、人工的に造られたインチキ自然美のようであった。地元のオッサンだかがホースを引っぱって氷を作っていると言っていたのはこれかなと思った。何だか最後まで夢が裏切られたような感じであったが、リーダーたる僕はこんな所まで皆を引っぱって来てしまった責任上、メンバーの志気を鼓舞すべく、[すごいじゃん」と積極的な評価を下し、コーヒーを沸かしながら滝を[鑑賞]した。確かに、綺麗なことは綺麗だ。ドーナッツを食っていると、後続のパーティがやって来た。高校生らしき3人組であった。それまで誰とも会わなかったので、今日西沢に入ったのは僕らが最初のようであった。
その先は通行止となっていて、ラッセルのようだったので、帰路は往路を引返した。今度は評価のグレードを下げ、沢のより一層積極的な鑑賞に努めたが、なるほど、美しいと思えば思えなくもない。だが、所々に置かれたすべり止の砂を詰めたビニール袋が、雪の白に興醒めであり、凍結した道にすべり止の砂を撒く親切も沢の景観や保全を考えるとどうかと思うが、その砂を採るために道の脇の崖を削っているのは誠にもって愚かしい。美しい景観に寄りかかっている地元関係者自身がその景観を壊すなんて、はっきり言ってアホである。途中で大勢のハイカーとすれ違ったが、中年のオバサン勢力とかじっちゃんばっちゃんが多い。幼児を連れた家族連れもいた。こんな足元も足回りも不確かな人達が、凍結した細い沢筋に入ってくるのには驚いた。厳冬期の沢の景色を楽しみたいとここを訪れる人達を誰も止めることはできないが、入溪する以上は予想し得る危険に見合った格好をしてくるのが当然だと思うのだが。自分の為にも、他人の為にも。地元の関係者も、砂を撒くのは見物客の安全を考えてのことなのだろうが、景観を害し溪谷自体を傷つけるようなことはすべきではないし、またいつまでも続けられることでもなかろう。長期的に考えるならば、溪谷の美しさをそのまま保つことが、地元にとっても将来の見物客にとっても益となることは明白なのだから、地元関係者の見物客に対するサービスは道の除雪だけで十分である。そして、美しい氷瀑の写真を強調して観光客を呼び込むならば、都会に住んで凍結した沢の様子など想いもつかない人々に、足元の危険性と足回りの大切さをも同じように宣伝すべきである。
西沢山荘に出る手前で、遅れて来た堀田さんにお会いした。五段の滝の少し先まで行って、山並みの写真を撮って帰られるとのこと。すごい差し入れをいただいた。どうも御馳走様でした。帰りは不動小屋からタクシーを呼び、塩山温泉に寄った。汗をかく前にハイキングが終ってしまったので、温泉で汗をかく。仕上げは、駅前の食堂の鍋焼きうどんで決めた。皆さん、御苦労様でした。沢、キレイだった、でしょ!
後日談
実は、僕の職場の人達が僕らの行った前日に西沢見物をしていたので感想をきいたら、「すごく綺麗で良かったわヨ、感激しちゃったわヨ」と一様に言っていた。それを聞いて僕はびっくり。年中山を歩いていると、風景慣れてしまって感激も薄くなってしまうのかナ? そうかもしれない。だが、本当に美しい景色がどういうものなのか判ってきたからじゃないのか? ――― そう思っておこう。
〈コースタイム〉
不動小屋(7:30) → 五段の滝(9:00~10:00) → 不動小屋(11:25)
費用
JR線 新宿―塩山 1800円×2
タクシー 塩山駅→不動小屋 4300円
不動小屋→塩山温泉 4220円
塩山温泉(塩山駅徒歩15分)
宏池荘(銭湯形式・風呂はきれい)300円
◎塩山タクシーでは、駅のそばにカーペット敷きの無料仮眠所(30人程度)を設けており、朝タクシーで入山の際にはどうぞご利用下さいとのこと。
塩山タクシー 電話 05533-2-3200