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日留賀岳
勝部 辰朗

山行日 1989年3月4日~5日
メンバー (L)勝部、小林(勝)

 GOGO山行も大詰め、日留賀岳、鹿又岳、大郎山の三山を残すのみとなった。今回はその内、日留賀岳と鹿又岳を目指して行く。
 小林(勝)さんと、ローズウッド前にて待ち合せをして、小林さんの車で塩原へと3月3日の夜出発する。カーラジオの天気予報は、大荒れで海山には行かないようにと言っていた。でも僕らは行っちゃうんだよね~と言いつつ高速道路を進むが、車は風でかなり横に流されるのがわかる。車は塩原の温泉街を抜け、日塩もみじラインヘと入り、小塩沢のパス停のプレハブ小屋に着き、その中で寝た。
 翌2月4日、もと来たもみじラインを下り、自戸の部落に入る。農家に車を置かせて貰い、その家の裏手から登りにかかる。比津羅山を巻く辺りで雪も深くなり、また平担な地形となったため迷う。地図とコンパスと地形とにらめっこしながら進み、正規のルートに出てまたひたすら登る。雪はしまって来ているとは言え、くるぶしの上までもぐっての長い長い登りが続く。延々7時間の苦闘の末日留賀岳のピークを極める。風はビュービューで視界もない。小林さんと交代で記念写真を撮って、ピークより少し下った所で幕を張った。テントは個人の夏用テントだったため、朝入口のチャックがパリパリに凍りついて開けるのに一苦労した。
 予定では、鹿又岳までピストンをかけるつもりだったが、この先はヤブルートでもあるし天候も悪く、行けば帰りが相当遅くなるか、今日中に帰れなくなるかもしれないので、断念して元来た道を下る事とする。下りかけにチラッと鹿又岳が見えた。
 今回断念したので、もう鹿又岳は2月中に落とすことは出来ないのでは・・・との思いが脳裏をかすめる。みんな1年間一生懸命にやって来て、54座しか登れなかったのでは、55山行の企画はなんにもならない。55と54の一つの差は大きい。でも、くやしいけれど今回はこのまま下るのが正解だ。次回を考えよう。
 また長い下りをかけおり、車の所に戻って、後はひたすら温泉を目指す。上塩原の木ノ葉石の近くにある露天風呂で汗を流し帰京した。
 私は運転が出来ないので、行き帰り小林さんにお疲れの中運転していただき、おまけに私の自宅まで送っていただいた。どうもお世話になりました。


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