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天神平・雪洞訓練
服部 寛之

山行日 1989年3月18日~19日
メンバー (L)服部、荒川、石田、佐々木、(加藤)

 雪洞訓練に行くことになった。突然ではありますが、ヒトは何故雪洞訓練に行くのか?という深遠なる問いをカント哲学の視点に立脚し弁証論的に400字以内で述べよ、と問うならば、
 「おじさん、世の中の殆んどの人は雪洞訓練なんか行かないよ。何の儲けにもならないのに、なんでそんなムダなこと考えるの、アタマ悪いんじゃないの」
などと、当世のこまっしゃくれたガキどもはそう言うに決まっているのだ!しかしよく考えれば、「世の中の殆んどの人は雪洞訓練なんか行かない」というのは正しい命題のようであり、「そう言えばそうだな」と思ってしまうオレはやはりアタマが悪いのであろうか。しかしそうは言っても、実際に行くことになってしまった世の中の殆んどの人からモレてしまったオレとしては、やはりそれなりに考えなくてはならないと思うので考えた。
 オレはまだ雪洞技術というものを実践的に使用したことがない。それは即ち、雪山でビバークせざるを得ないようなヤバイ状況に陥ったことがないということであるが、なるべくならばそういう状況にはお会いしたくない、ご遠慮申し上げたい、敬遠しておきたい、端的に言うと、「そんなのいやだいやだいやだ」と思う気持ちが色濃くあるのである。そりゃあ誰だってそうでしょう。ビュンビュンに吹雪かれて行動不能となって閉じ込められてしまったり、岩のルー卜から何とか稜線に這い上ったものの日はとっぷり暮れてしまい岩壁からは冷たい雪まじりのガスが孤立感をそそるような風の音を伴って吹き上げてくる中メットでカリカリ硬い雪をほじくりながら、ね、とりあえずそのキットカット半分コしようよ、ね、ね、などと言わなくてはならない状況というのはもう圧倒的に心細く不安であろう、と思うのだ。そういう時はまず充分な装備など無いであろうから、大いに不自由を忍ばなくてはならないだろうし、何よりも、「オオ、サムソーッ!」と思うのである。そして恐らく、「あー、湯豆腐が食いたい。おでんもいいな。ゴボウ巻きとかでかいジャガイモとか二つに割ってカラシをつけてホカホカしたのをこうガブッとやって、アヂアヂなんてあわてて器に半分落としたりしてフッハフッハ言いながら食うの、あーたまんねえなあ、あー、くそー、それにしてもさみいなー。下に下りたら何食おうかな。そうだ、あそこの食堂で鍋焼きにしよう、あれうまいんだよな。そうだそうだ、よおし、絶対鍋焼き食ってやるぞ!あー、鍋焼うろん鍋焼うろん、あー、くそー、ケツが冷てえな、ちっくしょう」
などとむなしくつぶやいてみたりするのである。従って、実践的なビバークの雪洞というのはつらいだけで楽しくも何ともないであろうと思うのだ。やはりオレとしてはそういうのは「いやだいやだいやだ」ときっぱり申し述べておきたいし、絶対鍋焼き食ってやるぞ! などと悲壮な決意を固めるよりも、実際におこたに寝っころがって鼻の穴などほじりつつ畳の上でずるずる汁など飛ばしながら鍋焼きを食っていたい、と強く思うのである。
 では何故訓練ならば行くのか?と言うと、それには名目的理由と実際的理由と二つの理由があるように思うのだ。
 名目的理由とは、まあうちの会は一応冬の3千メートルに行く山岳会であると標傍している団体なので、そういう技術は一応使えるようにしておいた方がいいんじゃないかなと、まあ漠然と思う訳なのである。言うなれば会としての恰好だけは整えておこうという寸法なのであるが、オレとしては先に述べたとおりその実践は固くご辞退申し上げたいと常々思っている訳なのである。しかしこの技術は知っていると将来ひょっとして大いに役立つのではないかとも密かに思っているのである。つまり、例えばフトした出来心で手をつけてしまった会社の金の穴埋めにサラ金から借りた金をもしかしたらなどと期待したのが間違いで大井の競艇場で全部スッてしまいサラ金に追われるハメになってしまった場合とか、そうとは知らず手を出してしまった女がヤクザの親分のスケでベンツに乗ったこわいおにいさん達から追われる悲しい運命のヒトになってしまった場合など、まあいずれにせよ捕まっちゃったら嬉しくないなと思える立場に立ってしまったら、世の中の殆んどの人がまず考えそうもない雪山に逃げ雪洞に隠れちゃおうというのである。サラ金やヤクザのおにいさん達が借用書をピッケルに持ち換えベンツから輪かんに乗り換えて雪山に入ったという話は聞かないので、この手はかなり安心できると思うのである。しかしこの手は山に雪が無いと使えないというのが唯一欠点なので、そういう立場に立つに当ってシーズンを選ばなくてはならないのがちょっと難しいポイントになっているのである。
 ここで図らずも、雪洞技術というのはどういういきさつで使用するにせよネガティブな状況下で、つまりヤバイ時に役に立つ技術であるということが暴露されてしまったが、かと言って雪洞技術というものはそういう暗い運命を荷なって編み出された技術でしかないと思うのは事象に対する多面的視座を欠いた浅墓な判断であるのだ。おっと、ここに来て表現に力が入ってしまったが、言わんとしていることはそう大したことではないので元の文体に戻って言うと、つまり雪洞技術はヤバくない時にも使いようがあるということなのである。言い替えれば、雪洞技術の積極的活用法ということなのである。どういうことかと言えば、例えば初めから雪洞を利用するつもりでテントを持たず荷を軽くして雪山縦走に挑むことができる。しかしこの場合は、毎日やたら穴ばっか堀っているためこれじゃテント持って来た方がずっと楽だったぜよと後悔することにならないとは言い切れないが、しかし道路工事のバイトに備える基礎体力作りトレーニングとしては正に理想的であるし、それに雪洞に入ってしまえばあとはいくら吹雪こうが中にいるぶんにはへーちゃらのヘーなのだ。こういう場合テントだと結構寒いし、ぶっつぶされないようにしょっちゅう外に出て雪掻きしなくてはならないので大変なのだ。
 積極的活用法のその二としては、遊興的利用というのがある。ハードボイルド路線をひたすら突っ走っているオレとしてはイメージが崩れるのでナンだが、この際大事なロッテ雪見大福をかじらせてやるような捨身的決意で激白してしまうが、今回の訓練も実は半分以上は遊興的利用なのであったのだ。つまり名目的理由に対する実際的理由というのがこれだが、どういうことかと平たく言ってしまえば、基地作って中でいろんなことするのっておもしろいもーん、それにゲレンデの近くにタダで泊れちゃうんだもーん、どーだ、いいだろー、うっふん、あっあっ、ということなのでえす。
 オレは絶対そうだと信じてるのだが、人間年を取っていくら眼がにごって来ようがソリコミが激しくなって来ようが伸びた鼻毛を気にしなくなろうがそういう子供のような遊びゴコロって程度の差はあるにしても誰しもが持っているものだと思うし、恐らくそういう遊びゴコロは子供の頃の延長といったものではなく人間性そのものの中に本来備わっている好奇心とか冒険心とかいったものの顕れであると思うのだ。思えばオレがガキンチョの頃、今でこそみんな宅地になってしまったが当時はまだ広く拡がっていた畑や空地で、そこいらから集めてきた板切れや段ボールや木の枝で基地を作り、拾てられていた子猫を拾ってきてみんなで育てたものであった。その子猫は1週間程したら死んでしまい基地も暴風雨で壊れてしまったが、その記憶は充実した想い出としてオレの中にしっかり残っているのである。実は3年程前に明氏リーダーでやはり天神平で雪洞訓練をやり翌日はゲレンデスキーという例会に参加したことがあったのだが、それが結構面白かったので今回も同じことをやろうという訳であるのだ。だからオレは今回リーダーとして準備に当り冬山技術の本を引っぱり出し第五章雪積期の露営その二雪洞のあたりをあちこちひっくり返して検討を重ね、快適な雪山宴会基地大建設計画を練り上げその大設計図を完成させたのである。そしてそれのコピーを隊員の人数分作製し電車の中で仕事の手順及び段取並びに進行過程といったもの(みんな同じか)を説明しくれぐれも安全第一で作業に当るよう厳重に指示したのであった。オレの計算ではコトが万事順調に運べば遅くとも翌日午後には天神平に突発的に出現した白亜の小規模大宴会基地の落成を祝い、その夜はシアワセな雪見の宴(上下前後左右東南西北360度全部雪)に興じるハズであったのだが、コトはそう順調に運ばず、完成予定時刻であった午後1時頃から作業を開始し、圧倒的に積雪の少ないザラメ雪の斜面に何とか日没までに穴ぼこ状のものを二つ堀り、堀り出した雪の塊にやけくそぎみにコキジをぶっかけ、色だけはしっかり白亜の積み上げただけの雪の壁に触らないようにして穴にもぐり込み、その夜はぐっちょりシュラフに包まれてミジメな雪穴の一夜を過ごしたのであった。
 実は、ほんの導入部にするつもりで何故雪洞訓練に行くのかということを書き出したのだが、何の展望もないまな成り行きにまかせて書いていたらやたら長くなってしまったのである。だからメーンの部分になる筈だった実際に行った時の経過はいっそ省略してしまおうかと思ったが、それでは山行報告になりにくいと思い、良心的に考え直してその話はあとがきに書くことにする。

 あとがき
 18日。前夜からの猛吹雪のためロープウェイが動かず、これ幸いと急遽温泉訓練に切り換え電車で水上に戻る。駅近辺のホテルの風呂はどこも掃除中で共同浴場も今はぬるすぎるという話であったので、以前オレが行ったことがある諏訪の湯温泉センターという所へ行くことにする。徒歩で15分位で行くと思ったら何と1時間もかかってしまい、隊員からぶつくさ突き上げを食らったがこれも訓練であると軽く一蹴する(内心はタジタジであった。だって美女(A)(B)(C)のコンニャロ眼光線がそれぞれ1300ガウス位あったんだもん)。温泉訓練第一ラウンド終了後ロープウェイ駅に電話すると何と運行中! 急いでタクシーを呼び急いで水上駅へ寄って荷物を回収し急いでロープウェイ駅に着き急いで天神平に上ったが、やたら急いだ割には(?)天気は悪く上は吹雪であった。天神峠へ上がるリフトの下を過ぎトレースを外れると腰までのラッセル。荷物を一旦そこに置き、スコップを持って樹林帯に入り田尻尾根の北側の急斜面を荒川セーネンと堀り進む。その間美女(A)(B)(C)はトレースを辿って荷物の運搬に当ったが、トレースは次に通る時はもう消えている程の降雪の激しさであった。2メートル程堀ると何ともう地面が出てきてしまったので急遽計画を変更、ブロック式のを二つ作ることにする。ひっちゃきになって堀ること4時間! 5時過ぎに当初の完成予想図とは大幅に違った雪洞というよりは雪穴といった感じのが二つできた。大き目の雪穴の方で食当の美女(A)の指示のもとスパゲッティーを製作しすべからく摂取する。今年は暖冬のためか雪積が少なく(当時天神平発表で3.6メートル)、しかも新雪の下の硬い部分はザラメ状であった。濡れたヤッケが乾かず不快で、美女(A)(B)と、オレ・荒川セーネン・美女(C)の二手に別れてふてくされぎみに寝た。
 翌朝は情れたら頂上に行ってみる筈であったが、4時に外を見ると吹雪いていたので引き続き寝る。朝食後ウダウダして8時過ぎ雪穴を出、スキー場でスキー組と合流し、以後行動を共にする。オレと美女(B)はスキー、荒川セーネンは尾根まで上り、美女(A)(C)は引き続きぐったり休憩していた。1時半ごろそこを引き上げ、田原号で湯ノ小屋温泉へ行き温泉訓練第二ラウンドを行なう。水上駅前で中華風細長食物摂取後スキー組と別れ、電車で帰京した。

谷川岳ロープウェイ 0278-72-3575


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