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編集後記

 昨年の結婚ブームに続いて、今年の三峰はベビーブームのようだ。先日のトアル昼下がり、或る若い人妻Cと密談していたら子供を産む産まないの話になってしまい、それはまあそれとして、フト数えてみたら、ナントもう今年になって三峰関係では7人も生まれているのである! これにはちょっと驚いてしまった。
 ま、トーゼンと言えばトーゼン。アーなったからコーなった訳で、コーなったからアーなったなんてケースも中にはあるかもしれないけど、あえて出産日から逆算したりすると、ブームにとり残された男のヒガミ眼みたいに思われるから、(ヒガミ眼だけど)、そんな気配はオクビにも出さず「メデタイこっちゃ」とつぶやきつつあちこち見学に行ったのである。
 そしたらこれがもう何と言いましょうか親の縮小コピーないしは縮小まぜこぜコピーといったかんじで、「ケッ」としか思えない親の特徴も不思議とかわいらしく縮小アレンジされているのである。これを炊き込みごはんふうに言えば、具の配置の仕方も見本の写真と同じようにできているのとか、具やごはんの盛りつけ方に個性的工夫が窺えるのとか、いろいろある訳なのである。いずれにしても、材料は素朴なものでしかないはずなのに、造形の妙と言うか、奇跡的なかわいらしさに、思わず、
 「よくこんなかわいい子が生まれたね!!」
と言いかけて慌てて言葉を飲み込んだ次第であった。
 しかし、まあ、よく考えてみれば「子供をつくる」などと言っても、子供の誕生の過程で実際親が頭でキチンと理解しているところなぞ、それこそ最初の汗ばむ部分と最後にヘソの緒をチョン切る部分ぐらいで、肝心のその間の過程は親はおろか現代医学でもよくは分かっていないのである。親とは言っても、目のタレ具合はおろか性別さえも自由にならないのである。これでは「つくる」などと言うのはオコガマシイのであって、やはり子供は「授かる」と考えるのが正しいのではなかろうかと思ってしまうのである。「妊娠」にしろ「出産」にしろ、そのきっかけとなった「胸のトキメキ」にしろ、神秘的なところがあるからイイのであって、全て化学式で説明されてしまったら、浪漫など消え失せてしまい、ちっともおもしろくなかろうと思うのだ。ハーレクインロマンスやベルばら(ちと古いか)、モーツァルトのオペラや、やたら北へ帰ってしまう演歌などの存在意義は、やはりそのあたりにあるのではないか・・・・・・。

 こうして人に子が生まれ、そしてその子が親となり、季節が廻り、人生が廻る・・・鳴呼、我が人生は何処へと、みかんむきつつ問う空に、浮かぶあの雲ふかしいも、ゆげが恋しいいでゆです!
 どうしてオレはこういう方向に思考が行ってしまうのであろうか?!

(服部)

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