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涸沢定着
その1 穂高岳に恐怖の鶏肉が吹き荒れるの巻
山本 信雄
山行日 1989年8月10日~15日
メンバー 10日~15日 (L)山本(信)、今井、別当
12日~15日 斎藤、飯塚、石田、秋場、秋場の友人
13日~15日 荒川

 久し振りの夏の穂高、河童橋には人があふれ上高地はいつものにぎわいを見せている。そんな人の群をよそに、重いザックを背負い木もれ日の中を横尾へ向かう。一度でいいから、デイパックかなにかでルンルンとこの道を歩きたいね、と3人で話しながら歩いて行くのでした。
 横尾には予定どおりつき、いつのまにか3人で根っ子をおろし、ビールを飲んで、1時間半近く休んだあと、ようやく決心して出発。
 涸沢につくとさっそくテント場をさがしテントを張りおえると、営林署のバイトのお兄ちゃんが、そこは今年は残雪が多いから落石がくるかもしれないからテントを移動してくれという。もっと早くいえばいいのに。ブツブツ。
 11日、昨日は移動しなかったテント場を移動しやっといい場所に張りおえると、時計はすでに8時30分をまわっている。テントの中をかるくかたずけて出発。北穂の南稜をまだ半分もきてないのに昨日の疲れがのこっているのか、3人とも、カタルイ、カタルイの連発。別当が「ゲンさん明日は休養しよう」には、大賛成でした。やっと滝谷についたのだが、今いちおもい体にムチを打ってドーム中央稜をかるく一本登り、涸沢へ下山。
 12日、涸沢にて休養。さて朝メシを食べようとでてきたのが、焼ソバ。私は、ソースと鳥肉はだいのにがてなのです。山本は一人淋しく醤油焼ソバを食べました。今日は3人夜メシをもって入山です。日も暮れ、さて夜メシでもつくりますか。なんと石田がもってきた夜メシは鳥肉シチューなのです。山本は鳥肉を見て鳥肌がたち今にもとんで行きそうでした。
 13日、(山本、斎藤、飯塚、石田、別当、今井)
 今日は、三峰の美女3名、美男子2名を北尾根へご案内。6時20分、五・六コルにつき、朝ごはんを食べられなかった斎藤はコルで行動食を食べたせいかすっかり元気になり、まずまずひと安心。五峰は簡単に登れたのだが、四峰まであと100メートルまできた時でした。4名は簡単に登っていくのだが、なぜか足が前にでない斎藤は高度感がでてきたのか立ちすくんでしまう。ここから斎藤をアンザイレンし前へすすむ。四峰まであと40メートルまで来たときである。先行パーティがおとした落石が別当の首に当たったが、別当は首にザイルを巻いていたせいか一命をとりとめた。
 三峰ではまだ先行パーティがおり、まつこと2時間をまわってしまった。三峰の1ピッチ目でも4名は簡単に登っていくのだが、斎藤は、「ゲンさんホールドがない、足の置き場がない」といいながら、登っているのです。3ピッチ目の3級のクラックはみんなで軽く登り、あとは二峰のガレ場を登り、やっと前穂高岳へ到着。山頂では今まで緊張していた顔も笑顔がもどりみんなにこやかだった。笑顔がもどっていないのは、ゲンだけ。夜メシは鶏肉カレーがまっているのです。ふ、と考えてしまった。
 予定時刻どうり白出小屋についたのだが、下山に時間がかかりヘッドランプのお世話になり、2時間50分もかかる下山でした。まだ、山を初めて3ヶ月半の、飯塚、斎藤はよくガンパって北尾根を登ったものだ。私が会長だったら、会長表彰をあげたい。
 涸沢へつくと今日入山の荒川がきており、恐怖の鶏肉カレーはできあがっていたのである。恐怖の鶏肉カレーの味はなんとも言えませんでしたね。
 14日、雨のため休養です。
 15日、天気、雨。上高地へ下山。


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