トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ272号目次

八ヶ岳(阿弥陀岳・赤岳)
日野 愛子
山行日1989年12月16日~17日
メンバー 山本(信)、勝部、安田、大泉、斎藤、飯塚、井上(博)、小林(勝)、石田、日野、金子、飯島、服部、(今村)

 12月15日深夜、新宿0時1分発の列車に乗ることになっていた。しかしながら例によって、時間にルーズな私。新宿へ向かう電車の中、時計とにらめっこしながらザックの中の豚肉と味噌がなかったら、明晩の豚汁はどうなってしまうのか(・・・・・・?!)と、頭の中に渦が巻く。私が車輛に飛びこんだ時には、なんと出発3分前。辛うじて間に合った列車に乗り、清里へ忘年旅行に行くとおぼしき学生の一団に小淵沢まで眠りを妨げられながら、明けて16日、茅野で下車。バスで美濃戸口へ向かう。バスを下りる頃には、もうすっかり蒼空が明るい。美濃戸小屋のオジさんがおととい(14日)降った雪だから、雪崩に気をつけるように、と言ってくれた。行者小屋までの道は長くて、だるい。沢辺りで一ヶ所凍って滑る以外は、柔かい雪と明るい日差しで、眼がチラツいてくる。白河原まで来ると、背後に雪を被った山なみが見えてくる。あれはどこだろう・・・。
 行者小屋で休憩、テント設営後、夜行で調子の悪い石田さん一人だけ残し、全員で阿弥陀岳へ向かうはずだった。しかし、何しろ大所帯、旗を立てて"三峰御一行様"ともいかず、出発から足並みが揃わない。沢沿いの樹林帯を登っている途中、パーティの末端で何やら声がする。井上さんがいない。パーティの先頭寄りの方の私がBCを出る時、確か井上さんはアイゼンの調子を気にしながら遅れて行くと言っていた。追いかけて来てはぐれたのか、はぐれたとすれば小沢の方へ延びているトレースヘ進んだのか、コールをかけても返事はない。パーティ後部を歩いていた勝部、安田両氏がBCまで戻ることにする。私たちは気にしながらも、夏道コースを進み、阿弥陀・中岳のコルでアイゼンを着ける。富士山がきれいだ。阿弥陀の登降は山頂のごく直下まで雪が少なくアイゼンでは歩きにくい、歩きにくい道も一頑張りして着いた山頂からの展望は抜群。無風快晴。夏と違い、雪の山肌の起伏が驚く程よく見える。富士山、北岳、木曽駒、御岳、乗鞍、穂高、槍、鹿島槍。白河原から見えていた、あの山なみは穂高だった。阿弥陀・中岳のコルからの下りは、夏道コースより一本中岳寄りの沢を進む。新雪が吹き溜った谷の中、私は雪まみれで下りていく。BCでは、壊れたアイゼンを持った井上さんが待っていてくれた。
 翌17日、地蔵尾根~赤岳ピストン組(服部、安田、石田、井上、小林、日野)と、岩のぼり組(山本、大泉、斎藤、飯塚)、それに遅れて日帰りで来る金子さん、飯島さんと一緒に文三郎道~赤岳ピストンをする勝部さん、と各々分かれて行動、天気は昨日ほどではないにしろ、晴天。地蔵尾根の鎖場にも雪がついていない。稜線に上っても風はあるものの雪はない。
 この山行に参加する時から私は2年前の12月に赤岳に来た時のことがオーバーラップしていた。天気は、今回とは違って、時には吹雪くほどの曇天。雪ももっと多かったように記憶している。往路の地蔵尾根では、鎖場あたりか、アイゼンの爪を突くにも登れず、ようやく引き上げてもらった。復路の文三郎道でも、アイゼンをつけていながらも転がり落ちるように滑り落ち、鎖通しのボルトにしがみついてやっと止まったり・・・・・・。赤岳からの展望は皆無。正直言って赤岳に良い印象は持っていない。今回も合宿前のトレーニングという義務感で参加した山行だった。
 今日の赤岳からは富士山も麓の小海線の方も見えている。南面の日だまりは風が遮られ、気持ちがいい。BCに戻ったのは11時頃、ちょうど勝部さんら3人が出発しようとしていた。日帰りの2人を車に乗せて、足慣らし(?)に行者まで来た今村さんも幕場に到着。雪の上とはいえ、風はなく天気はいい、まぐろの様にみんな憩っていた。昼食、昼寝、テント片付け。いつしか周囲のテントも一つ減り二つ減り、ありがたいお日様も阿弥陀岳のかげに隠れると、そこはやっぱり冬の山。今日の出発前に決めていた行者での集合時刻2時には、幕場を出たい、暗くなる前にバス停に着きたい、アイスバーンの暗い車道を歩きたくない・・・・・・皆が首を長くして待っていた岩登り組が戻って来たのはちょうど2時。出発前は北峰主稜でも登ると思う、というリーダーの話だったが、実際には南峰に登るコースを取ったらしい。帰り仕度をしているうちに後発の3人も戻って来て、全員揃って下山。バス停に着いた時もまだ明るかった。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ272号目次