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露天と浪漫と天狗岳ラッセル旅
服部 寛之

山行日 1990年1月27日~28日
メンバー (L)服部、大久保、阿部、佐々木

 去年の八ヶ岳の正月合宿が終ってしばらくした2月のある日、NHKで『北八ヶ岳・冬』という番組をやっていた。白い冬の季節を迎えたしらびそ小屋の静かな生活を描いたその番組は、ウィンダムヒル風の空間的なピアノの響きが冬山の冷たく澄んだ静寂な大気を連想させ、落ち着きと温かみのある宇野重吉風のしぶい語りが明るく軽くなりがちな画面をほどよく抑えてNHK的リリシズムを目いっぱい謳っていた。それは言外に「八ツの自然はこうもダイナミックで美しくかつ厳しいものであるのだよ、文明に毒されたおめーらナマクラ都会人にそれがわかるかエッ! どーだ、すごいだろう、すばらしいだろう、まいっただろうエッ!」と言っているようであったので、わたくしはテレビのスイッチを切りながら「むむむむむ・・・・・」と唸ったのである。この「むむむむむ・・・・・」はNHK的リリシズムの世界に圧倒された「むむむむむ・・・・・」では無論なく、実は番組の中に出てきた露天風呂に圧倒された「むむむむむ・・・・・」だったのでありますね。即ちその露天風呂は、番組では小屋番ともうひとり男のみ2名が浸っているだけで、見ている方としてはモデルに不満感が残ってしまうまったくつまらない絵だったのだが、しかしその位置が荒々しくも雄大な硫黄岳を仰ぎ見る場所にあるというところが感激的に良かったのであります。正に露天風呂としては絶好のシチュエーション! 即座にわたくしは、「これは是非行きたい→行かねばならない→ヨシ行くぞ!」という積極的三段活用で力強く決意し、以来この新たなる人生の目標にココロ躍らせながら実行の機会を待ち望んでおったのであります。
 さような行きさつから今回の山行は計画されたのであるから、必然的に本沢温泉一泊ということになったのである。調査の結果、この時期本沢温泉へ行くには松原湖駅からタクシーで稲子湯まで行きそこから入山するのが一番楽だということが判明したので、我々はその朝田舎のツッパリ高校生らの乗る2両編成ジーゼルを松原湖駅に降り立ったのである。ここでわたくしはのっけから驚いてしまった。松原湖の名は昔から有名で知っていたが、その駅はと言うと、ホームから8歩も行くと無人の改札と待ち合い室を抜けて外に出てしまうのである。しかもそのすぐ正面には崖がどおんと立ちはだかっておるというマコト田舎性に満ちた駅だったのである。だがそこは技術商業立国日本のこと、駅前にはキチンと作動する公衆電話とタクシー会社の行先別料金表がセットされておりました。
 稲子湯(水あり)で身仕度を整え、庭先からトレースを辿る。八ヶ岳はこちら側(東側)から入る人は少ないとは聞いていたが、トレースには1~2日前下山したらしき2人の足跡がくっきり残るのみ。青空の下、明るい木立ちの中を辿り、やがて急登を登りつめると薪の燃えるにおいがしてしらびそ小屋に着いた。ここまで稲子湯から丁度2時間。今日の行程の半分ももう来てしまったので、ここでゆっくりお茶を飲んでゆくことにする。しらびそ小屋はテレビの印象よりもずっと小じんまりした小屋で、小屋番のおやじは営業用の愛想も無くとっつきにくい。小屋前のみどり池は一面の雪原と化し、池を囲む森の上にはまっ白い天狗岳が輝いていた。お茶受けに出たかりんとうは少ししけっていたが美味かったのでわたくしはみんなの分までしっかり食い、おかげでおなかがゲポゲポになってしまった。
 しらびそ小屋からは中山峠へ突き上げる道を右に見送りしばらくトラバースぎみの道を行く。相変らずのあまり踏まれていないトレースをのんびり行くと、やがて地形は下がって林道にぶつかり、右折して沢を渡ると本沢温泉はすぐであった。時計はまだ12時半を回ったところで、これは素人目には早すぎる到着と思われるかも知れないが、温泉は早着きが良ろしいという我が経験上の真理に照らせば早すぎず遅すぎず絶妙のタイミングなのでありますね。タイミングは良かったのであるが、しかしここの宿はやたら寒いのである。廊下の寒暖計はマイナス13度を平然と指しておるのである。取り敢えず通された広い部屋は、通常のホテルならばロビーと言うのだろうが、こういう場合は何と言うのであろうか。薄暗く、タオルの万国旗の下、ストーブの周りにはちゃぶ合、テレビ、ラジカセ、ギター、ポット、爪切り、湯飲み、その他諸々が雑然と置かれているのである。お茶をすすりながら応対に出たあんちゃんの話を聞くと、収容人数300名の当館の従業員は目下あんちゃんともうひとりのおっさんのおよそ2名のみ、今夜の予定客はうちら4名だけ、それに火のある部屋はここだけ、というウスラ淋しい状況であることがわかった。肝心の風呂は?と聞いてみると、不安的中、本館の大風呂は源泉から引いて来る途中で湯が冷めてしまうので使用不可、現在入れるのは玄関の正面50mにある小さい湯殿だけだと言う。では本命の露天は?と祈るような気持ちで尋ねると、入って入れないことはなかろうが夏道5分のところ今はラッセルして15分位だろうということで、一応最低線は確保でき安心する。あんちゃんは男女混合比2対2のうちらを見て何を思ったか、「今夜はお客さんたちだけだろうし、混浴を禁じている訳じゃないから好きなように入ってくれて構わないよ」と親切に言ってくれたが、悲しいかな、こういうことは思ったように行ったためしがないというのも経験上の真理なのでありますよ。腹がへったのでラーメンを食ってから露天に行くことにしたのであるが、ここで何とO氏が意外な発言をしたのである。
 「オレはいいや、ズルズル(注=ラーメンをすする音)、どうしても雪の露天にズルズル、入りたいって訳じゃズルズル、ないしな、ズズルン、ズズーッ(注=フィニッシュ)」
 何たる精神の弛緩! 何たる根性の衰退!
 真摯な温泉探求人にあるまじき発言ではないか! 確かに氏の体調はいまいちのようではあるし、寒さも予想以上ではあるが、しかしわたくしは氏の口から左様な発言を聞いた時、これまで幾歳月共に露天のヨロコビもカナシミも分け合って来た必殺湯煙り仲間として誠に悲しくも淋しい思いにとらわれたのでありました。しかし黙々とスパッツを着け準備する美女2名にわたくしは救われたのであります。さすが三峰の美女! ナミのシティギャルなど及びもつかない気高い気概の持ち主なのでありますね。しかるにわたくしは美女2名を伴い、過度の期待は控えよという経験上の真理を知りつつも若干の期待は禁じ得ず、雪深いトレースを露天に向かったのであります。7~8分行くと「右夏沢峠、左野天風呂」の標識があり、右は峠に向かうトレースが続いているのだが、左手のすぐ先は崖になっており、30度強の傾斜の雪のまっさら斜面が左手遥か下の沢まで続いているのである。「あれ、おかしいな?」しかし辺りには芳しい硫黄泉の匂いが漂っており、目ざす湯船は近い筈である。3人でしばらくウロウロしていると、美女Sが雪の斜面の木に小さな矢印を目ざとく発見。腰までの雪を蹴散らしながらわれわれは果敢に斜面に突入、恐る恐る交替でラッセルして行くと、見よ、30m程下、沢に臨んで四角い湯船がぽっかりと雪の中からうれしそうに笑顔を覗かせているのでありますね。駆け下りてやさしく周りの雪をどけると、木枠の脇には小さなスノコまで健気に控えているのでありました。白濁した湯に手を入れてみると、「オッ、いい加減!」美女A及びSもしとやかに微笑みつつ、露天風呂に対するヨロコビと期待を胸に待機しておるのであります。しかし湯船の底の方は冷たいかもしれないので、まずわたくしが入ってみることにしたのである。2人の美女がちょっと目をそらせている間にすばやく湯船に飛び込むと、いやー、マコトにいい湯加減なのでありますね。雄大な雪景色に青い空、硫黄岳の勇姿を抑ぎつつ美女2名をはべらせて(立ったままだけど)、いやーもう最高! 湯はよく温まる湯で、零下10度で少し風があってもぜんぜん寒くないのであります。あー、いい湯だ!
 さて、これでこの露天は誠に具合が良いことがわかった。モンダイは2人の美女がそこでどうしたか?という事である。ムロン2人共一糸まとわぬ姿で入浴したのであるが、はたしてこの場で如何にして?というところに皆さんの興味があることぐらいわたくしも重々承知しておるのである(このスケベが)。この場合、2人の美女が進むべきコースは次の四つがあった。
 (イ)2人共オレと一緒に入る。
 (ロ)ひとりずつオレと一緒に入る。
 (ハ)オレは出て、2人で入る。
 (ニ)オレは出て、ひとりずつ入る。
 オレはこの時、人生の重大な時点に立っていることをはっきりと認識していた。2人の美女を伴って他に誰もいない、しかも人を大らかな気分にさせる露天風呂に来るなんぞ、千載一遇にも等しい幸運を、ウヒウヒ、手にしたのである。これまでの我が経験上の真理は果たしてイカに?どうなったのかはここには書かないのである。オレがナニを見ナニに触り、おっといかんいかん、そんなことは誰にもおせーないのである。それは苦労して同じ湯に浸かった3人の甘く楽しい秘密なんだもんね!
 それから宿に帰って夕食となり、宿のあんちゃんとおっさんも交えてしばらく飲みながらダベり、二階の零下の4人部屋で豆タンのあんかを抱いて重い布団に埋もれて寝た。オレは離れの湯殿に行って温まってから布団に潜ったが、それにしても恐ろしく寒い夜であった。
 翌日も上天気。ラッセル覚悟で夏沢峠に上がり天狗岳に向かう。宿を8時過ぎに出発、昨日露天へ往復したトレースを辿る。露天への分岐の先は疎林部分50m程が吹き溜っていたが、その先樹林帯に入るとさほど踏まれてはいないがトレースがあった。4人で先頭を変替しつつ1時間20分程登り一本取って出発すると、夏沢峠はすぐであった。峠のこまくさ荘は閉鎖中。こまくさ荘の建物の北側に出ると展望が開けて箕冠山南面のなだらかな樹林の斜面が雪を被って美事である。稜線まで出ればトレースはバッチリだろうと思っていたが、予想は見事はずれた。峠までのトレースは硫黄岳へは向かっているが、天狗方面の道はまっさらである。しかしまあ荷物は軽いし天狗までなら距離もそれ程でないし天気も上々だし何とかなるだろうと楽観して樹林帯のラッセルに突入する。膝上から股ぐらいのラッセルで、正月のものと思われるトレース部分を足で探りながら外さずに行けば、腰まで潜ることはない。道は明瞭で、赤テープもあった。4人でラッセルを交替しつつしばらく北進すると、道は平担な箕冠山ピークに向け西に折れる。途中、ラッセル交替で脇にへたりこんだ折に後ろを仰ぐと、硫黄岳の稜線に夏沢峠に下りる人影が二つ点々と認められた。箕冠山ピークの手前で一本取る。峠からここまで約1キロ。1時間25分かかった。道はそこからまた北へ折れており、ラッセルは浅くなった。箕冠山から樹林のない根石岳との鞍部に下りてやっとラッセルから解放される。しかし今度は15m位の強風だ。風の通り道になっているのか、地面一面にエビの尻尾が西向きに成長している。根石山荘が背を低くして強風に耐えていた。アイゼンを着け、5Om程登ったピークが根石岳(2603m)であった。先程樹林帯から時折頭が見えていた天狗岳の両ピークも、ここまで来てやっと全体が見えるようになった。どちらのピークにも登山者の姿がある。東側を見下すと意外な近さに本沢温泉が見えて、かいた汗の量を思うと少々がっかり。根石岳から稜線伝いに鞍部に下り、東天狗岳に登り返す。この稜線は多少ラッセルがあったが、実際天狗岳から南進する人はこの時期殆んどいないようで、東天狗のピークに着くまで足跡らしきものは見えなかった。東天狗からすぐにトレースを辿って西天狗(2646m)に登った。両ピーク共一面まっ白だが、西天狗の方は丸っこくてでかいマシュマロのおばけといったかんじだ。西天狗のピークは風が強く、展望を楽しむのもそこそこに写真を撮って引き揚げる。東天狗に戻り、中山峠に向かう。天狗からはもうトレースがバッチリで、却ってあっけなく中山峠に着いてしまい、そこを左折すると5分で黒百合ヒュッテに到着。そこでアイゼンをはずし、渋ノ湯まで駆け滑り下りる。渋御殿湯で汗を流し、今回の山行のシメを充実させた。そこからタクシーを呼んで茅野駅に出、普通電車で帰京したが、今回の温泉訓練付天狗岳の旅は前半では露天風呂の浪漫を激しく追究し、後半では適度なラッセルも展望も楽しみ、また冬の八ヶ岳の静かな裏口の様子も覗けて幸福な充実感の残った良き山行でありました。

〈コースタイム〉
27日 稲子湯(8:40) → 休(9:45~52) → しらびそ小屋(10:40~11:07) → 本沢温泉(12:30)
28日 本沢温泉(8:20) → 休(9:40~55) → こまくさ荘(10:02~05) → 箕冠山ピーク手前(11:30~40) → 根石岳(12:20~30) → 東天狗岳(12:54) → 西天狗岳(13:11~21) → 黒百合ヒュッテ(14:25) → 渋御殿湯(15:20)

JR都内 → 小淵沢 2880円
小淵沢 → 松原湖駅 800円
(JRは都内 → 小淵沢/小淵沢 → 松原湖と買った方が都内 → 松原湖より安い。)
タクシー 松原湖 → 稲子湯 4120円
タクシー 渋御殿湯 → 茅野駅 5420円
本沢温泉・1泊2食付 6800円


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