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平成二年度春山合宿・槍ヶ岳
その6 ベース隊停滞報告
石田 淑子
山行日1990年5月3日~6日
メンバー 3日~6日 (L)勝部、石田、佐々木、(西沢)
3日~5日 川田、小菅
3日~4日 植村
4日~6日 伊藤、富岡、川又
5日~6日 中村

 プランニングは、あまり人の入らない霞沢岳登頂を含む、勝部リーダーの特徴色濃いものでした。この方は、とても愛らしいところがあって、幕営中人間がいないとみると、月に向かって、狼のように吠えるのです。ま、そうしようと誘惑する方がいらしたのですが。(それは野田さんです。) 二日目霞沢岳、三日目西穂高岳という予定で(ちなみに到着日は上高地散策でした)、勝部リーダー以下川田さん、植村さん、新入西沢さん、佐々木さん、小菅さん、そして石田。全員松本で食料準備をし、ゆっくりと上高地入りしました。この日の天候は曇りでしたが、雨は降っていませんでした。小梨平にテントを張り、私達女性は、いつもは通り過ぎてしまう大正池と田代池とを訪れ、帝国ホテルのラウンジでお茶とお菓子をしたため、多少の優雅を体験、夕食のキムチ鍋へと心を集中しました。この献立は、リーダーが「テレビでやってて旨そうだった」との一言で決定したものです。この日の夕食の雰囲気は、希望に満ち、明日の霞沢岳へ思いを馳せ、例のように早く就寝しました。・・・・・・
 目がさめると、テントをたたく雨の音。当然リーダーは起きません。あたり一面眠っています。私も仕方なくその状態を保ちました。ようやく8時近く、みんな起き出し、朝食。「テントの中にいても仕方がないから行くか!」という訳で、車道を歩いて、八右衛門沢より9時30分雪渓を歩き始めました。見かけよりは長い道のりで、稜線まで約4時間。晴れていれば、そこはどんなにか素晴らしい眺望かと思われましたが、霞ならぬ霧が満ち満ちて、強い雨の中を傘をさして登ったのに、山の名前を霧沢岳と間違えてしまいそうな光景でした。そこからピークまで行ってみたところで、仕様がないだろうという判断で下山。所要時間1時間。その夜の夕食はカレーだったと思います。なぜかお酒が充分すぎる程あったのでその夜も西穂への登頂に多少の希望をつないで皆で飲み、好天を祈りながら寝みました。
 翌朝の強い雨足。昨日と同様皆ひたすら眠っています。昨日のようにひどい雨で、暗黙の了解はゆきわたり、勝部リーダーが結び方教室を開設しました。エイト結び、テープ結び、インクノット等々エバンスまで教えてもらったり、又雨の中の散策に出かけたりしてやむをえぬ停滞をやり過ごしていると、中村さん到着。(午前中に川田さんと小菅さん下山。この時川田さんに大鍋を持って帰ってもらいましたが、川田さんは御自分の山靴を御忘れになりました。)そして江村さん、菅原さん、鈴木さんの北鎌スキー縦走組が帰って来ました。その時の皆のよろこびようは、美しかった。三人ともとても空腹との事で、勝部さんの特別調理の酢の物で一杯やりながら、双六岳での一日停滞の寒さ、風の強さなどなど、楽しそうな苦労話をひとしきり聞きました。伊藤さん達のグループも集まって、大変なにぎわいでした。皆が引き上げてからの、我停滞組の夕食は『手巻きずし』これはおいしかった。具は生物は無理なので、梅じそ、胡瓜、ツナ、チーズ、メンタイ、そしてオオバを沢山。なぜか食べ易く、こんなに夕食がすべて売り切れたのを、入会以来、私は初めて見ました。勝部さんは、朝から夜までテントの中でずーっと飲酒を続けていたので、その頃はもう目はウルウルとしていました。
 翌朝は、何とピーカーンだったのです。下から見上げる穂高連峰は、少し淋しい気がしました。あの岩を踏むことなしでは・・・・・・。やっぱりあそこの稜線から上高地を見おろさなくては・・・・・・。雨に降り込められた春の合宿でした。この日帰省。
 尚、会友の田中美紀さんが3日、ひょっこりベースに顔を出しました。3日~4日にダンナとその友人と三人で横尾に幕営していたとのことです。


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