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櫛形山ヘアヤメを見に行った
服部 寛之

山行日 1990年7月15日
メンバー (L)服部、大久保、石田、佐々木、石山

 櫛形山アヤメ見物の一番楽チンなコースは、池ノ茶屋林道の終点まで車で行き、1時間足らずで最高点の奥仙重(2051.7m)に登り、そこからアヤメ平まで稜線の道をチンタラ往復するのがお手軽であるが、実はこのコースは2年前中沢氏の例会で行った。その時は6月の中旬で、アヤメ平はシーズンオフの休業中であったが、フト見るとアヤメ平の片隅に出入口の階段の朽ちかけた小さな避難小屋があり、フト中に入ると備え付のノートに白いオバケの目撃談の数々が或るものはイラスト入りで綴られていたので徒然なるままにじっくり読んで帰って来たのであった。以来、
(1)アヤメの大群落の大開花を見る
(2)白いオバケの実地検証
の二つが今後の課題として残っていたので、今回例会を組んで行ってみることにしたのである。
 今回のコースは、県民の森から中尾根登山道を登り、アヤメ平まで稜線の樹林帯を歩き、北尾根登山道を下りて県民の森に戻るというもので、前回の池ノ茶屋林道からのコースが「裏門チョンボコース」とすれば、今回のは「正門正々堂々コース」なのでありますね。「裏門コース」は頂上のすぐ下まで車で登ってしまうので「山岳会」としてはややウシロメタイ気分が伴ったのであるが、今回は一応1000m位の高度差を上り下りするので「山岳会」としては正々堂々の部類に入ると思うのであります。しかし本当のところを言えば、前回は、
「えっ、もうピーク? なあんだ、アハハハ」などというワザとらしい余裕の発言とは裏腹に、
(あ~、楽ちんで良かったな、助かったな!)
という安堵的本心が根強くあったのでありますが、今回は、
(え~っ、1000mもあるの!? ウヘッ、しんどそう!)
というカッタリーナ的本心が濃厚に存在しているのも否定できない事実なのであります。従って、以上をまとめると、正攻法を貫くべし、だけどチョンボもいいなあ大好きだなあ、という高い倫理観と易きに流れる人間の赤裸裸な心情との板狭みに苦悩する若きリーダーの姿というものをそこに見ることができる訳であります。(ちょっとオーバーかな?)
 7月14日(土)夜11時頃、旧中沢号改め新HATTARI号にて県民の森に到着し、キジ場近くの駐車場の奥に車を止めその脇に幕を張り、ひとしきり宴会ののち寝る。(初めての場所で勝手がよく分からなかったが、天幕設営中に文句を言いに来た管理人のおばさんによれば、駐車場に隣接する広場を横切った森の中にキャンプ指定地があるそうです。しかし早朝徹収するとの条件で許してくれた。)
 翌朝、目が覚めると共に雨がパラパラ降り出す。傘をさして7時10分出発。ヒノキの林の中を登って行くと50分程で櫛形山林道に出た。櫛形山東面の中腹を横切っている林道である。さらに尾根道を登って行くと、急に森の様相がガラリと変わった。ブナやカラマツの混じる美しい森でサルオガセがあちこちに下がり神秘的な雰囲気が漂っている。参加者のひとり石山さんは、櫛形山山頂の森はフェアリーランド ― つまり、妖精のくにですね ― のようだと何かの本に書いてあったと言っていたが、本当にそんなかんじがする。森の雰囲気が変わり楽しい気分になると、じきに傾斜が落ちて広い稜線に出たことがわかった。南尾根登山道との合流点からすぐ外れた所に水場があり、そこで一本取る。水量豊かなうまい水で、すぐそばに4~5人用一張程のテントスペースと小さなトイレが整備されていた。
 そこからアヤメ平へ向かう。小降りになったり止んだりといった雨の状態なので、アヤメ平へのコースからは外れている奥仙重のピークと白峰三山の展望地裸山は割愛する。樹林帯(フェアリーランド)の中のアップダウンをアヤメ平へ近づいて行くと『⇒アヤメ祭り 櫛形町』の看板があった。
(櫛形町もふるさと創生にぐぁんばっておるな、うーむ、感心かんしん。屋台が出ていたらわた飴かお好み焼きを買おう)
と決めて行ってみると、『アヤメ祭り』の会場アヤメ平には屋台の影も形もないのである。ふつう『お祭り』といえば、『大祭役員席』などと書かれた大テントの下で浴衣にうちわといういでたちの年配のおっさんが5~6人パイプ椅子に座って白地に紺の水玉模様の公民館から持って来た風湯呑み茶碗で渋茶を渋い顔してすすっているか、ヒマそうに右手の拳で机の上をトントンたたいていたりするのだけれど、そこには役員はおろか、お祭り関係者らしき人はだあれも見当らないのである。屋台も出ていなければ、商店街の風船を配る人もいないのである。
(なあんだ)
と僕はやや気落ちしてしまったのだけれど、全国どこにも出没するあのオバサン勢力はこの山の上のお祭りにもしっかり進出していたのでありますね。アヤメ平の入り口に立って素早く全体を観察してみると、ファミリーハイキング風やらおじさん山歩き風やらねえちゃんが3~4人つるんでるのやら様々なグループが50人位いたのだけれど、全体の約三分の二を占めるオバサン軍団がその場の空気を圧倒的気迫で支配しているといったかんじなのである。そして恐ろしいことに、全員が座ってことごとく弁当を広げているのである。まだ時間は10時20分なのである。そして肝心のアヤメの群落の方にはだあれもいないのである!
 どういういきさつでそういう事態になったのか、僕は目撃しなかったので正確なところは分らないけど、たぶん腹を空かしてドタドタやって来たオバサン軍団がここに着くなり、
「あー、お腹へったわね、ここでお昼にしましょうよ」
「そうね、まだ10時過ぎだけれどもういいんじゃない、お昼の時間よ、山じゃ」
「ちょうど雨も上ったし」
「そうよそうよ」
「ちょっとォ、ここなんかいいんじゃない、あまり濡れてなくて」
「あっ、そうね、そこにしましょそこに」
などと周囲をはばからぬ大声でわめき、有無を言わせぬ気迫でその場の雰囲気を「お昼の時間」にしてしまい、数少ない「お弁当適地」に一斉に突進・占拠する挙に出たので、不幸にしてその場に居合わせてしまったヒトビトもあわてて自己の陣地を確保し、その場の空気に流されるまま弁当を出すハメになったのではないか、と思うのでありますね。きっとそれらのヒトビトの中にはゆっくりアヤメを見物してから食事にしようと思っていた人達もいたんじゃないかと思うけど、実際、集団のオバサンのわめきというものは、強烈な気迫で他人を威圧・気後れさせ、その場の磁力並びに空気の流れを変える程のパワーがあるものなのでありますね、社会党の例を見るまでもなく。
 僕らは、お花畑の方には人がいないのをこれ幸いとばかり、オバサン軍団の放つ毒気に当てられぬよう素早くその場を通り抜け、一面を緑と紫に染めて咲き乱れるアヤメの原野をゆっくり見て回ったのである。群生するアヤメが一斉に開花している様というのは、文字で表すと、
 アヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメ
 アヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメ
 アヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメ
 アヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメ
 アヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメ
という位どこもかしこもアヤメだらけで、こうなると「きれい」をとおり越して人の鑑賞許容限度を超えてしまうのでありますね。アヤメはやはり一本だけで、ないしは少数のお仲間と一緒にいるとこを見るべき花なのでありますよ。しゃがんで群集の中の一本を眺めていると、アヤメにはどこか清楚で奥床しい和服の日本女性的な雰囲気が感じられるように思うのだけれど、むこうで大地にしっかりと弁当を広げて食っているオバサン達を見ていると、「いずれ菖蒲か杜若」という表現が同じ民族文化の所産であるとはちょっと信じ難い気持ちになるのでありました。そしてその文句が最上級の褒め言葉であるということも、よおっく解ったのでした。
 アヤメ平のどんづまりに少し小高くなっている所があって、僕らは静かなそこで昼食にした。アヤメ平の入口に戻ってみると、もしかしたら会うかも知れないと聞いていた今村さんご一家がいて挨拶を交わし、僕らはそのまま北尾根登山道を下りた。櫛形山林道を過ぎると雨はざんざん降りとなり、車に戻った時はやれやれという状態だった。
 ところで、白いオバケの実地検証の方はどうなったの? と聞かれれば、残念ながら今回は時間がなかったのでパスなのでありますよ、ハハハハ。あの避難小屋はその後手が入れられたようで段階は修復してあったけど、あそこに泊まるとなると・・・・・・。
 だからこれは必然的に次に行く人の課題ということになります。
 えっ? ならない!?・・・・ゴメン、許して!

〈コースタイム〉
県民の森グリーンロッジ前駐車場(7:10) → 中尾根登山道・櫛形山林道出合(8:00~05) → 祠頭(水場)(9:17~25) → アヤメ平(10:20) → 昼食(10:35~11:00) → 北尾根登山道・高尾伊奈ヶ湖林道出合(12:35) → 駐車場(13:00)

 昭文社の『山と高原地図10 甲斐駒・北岳』裏面の櫛形山の地図では、北尾根登山道はアヤメ平からストレートに高尾伊奈ヶ湖林道に下っているように記されているが、実際には櫛形山林道から下に続く登山道は林道を北に200m程ずれている。


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