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木曽駒ヶ岳集中山行
その1 福島Bルートヘ変更組の巻
佐藤 明
山行日 1990年9月15日~16日
メンバー A隊 (L)菅原、井上(博)、鈴木(章)、作田、飯島
B隊 (L)大泉、飯塚、川又、牧野、佐藤(明)

 明日から敬老の日の連休を控えているというのに、0:01発上諏訪行きの鈍行列車に登山者の姿はまばらだ。大型台風が中部東海地方へ上陸せんとしている時にあえて山へ行く物好きなぞそういようはずもない。新宿駅の6番ホームには、赤い傘の疲れた表情のオネーサンばかりではなく、赤い顔の酔っぱらったオジサン、他のサラリーマンと口論している登山者なども見うけられる。
 その中でも特に異常な趣の20名超の団体が南口階段下にたむろしている。ビール片手の頭の薄くなったオジサン、重いでしょうから私が持ちますわよなどと荷物の振り分けをしているご婦人など、敬老の日の山行としてはなかなかお似合いと思って近くによったら、何と我がグループだったのには驚いた。
 今回の敬老会木曽駒集中登山は伊那谷からと木曽谷からの計5パーティで行われる。上諏訪駅にて、ここで朝ブロに入ってから入山するという伊那谷側の聖職の碑(いしぶみ)の今井パーティ、及び黒川溪谷の荒川パーティと別れ、我々木曽谷側より正沢川細尾沢を遡行予定の菅原、大泉の2パーティ、及び福島Bコースを登る予定の金子パーティの計3パーティは、更に辰野で乗り換え一路木曽福島へと向かう。
 東京では小降りだった雨も台風に近寄るにつれますます激しくなり、時おり薄暮を思わせるほど暗くもなる。しかし今夜は宴会と思うと雨もまた楽しとなるから不思議である。大泉リーダーごめんなさい。
 木曽福島からタタシーに分乗し、木曽駒高原スキー場上部の福島Bコース登山口まで入る。まずここで当初よりこの福島Bを登る予定だった金子パーティと別れる。彼らはすぐに登山を開始した。そして我々正沢川遡行組2パーティはしばし状況調査となるが、雨は相変わらず強く沢の水量もだいぶ増えている。このままでは宴会開始が遅れてしまうという事で金子隊と同じ福島Bに変更とのリーダーの声。えー、行かないんですかー、と飯塚さんの鈴のような声。やっぱしねー、と牧野さんのどらのような声。私は口をきっと閉じいかにも残念という表情に徹しようとするが、思わずでへへとなってしまった。彼らの後を追い、出発9時15分。
 このように予定変更を決断する時のリーダーってつらいものなのよね。メンバーは皆無責任な事を言うし、かといって事故でも起こされたら困るし・・・。それにしてもメンバーだと気楽だね。本当は行きたくないのに、予定変更で残念って顔をしてればいいんだもの。さらには、こんな経験をすることでますますリーダーは強くなるんだよなんて全くもってイイカゲンなことこのうえない。これを読んでるあなた、そんな事、身に覚えない?
 10分ばかり登ると金子隊がスキー場上部の樹林帯へ突入しようとしているところが見える。おかしい。登山道は我々のところから左へ入るようになっているのに。こちらがルートだと大声で知らせるが、分かった旨の手振りをしてそのまま薮の中へ消えてしまった。例によってさっそくルートを間違えてしまったようだ。何でもこのままヤブコギを何時間も続け、結局1本南側の尾根の福島Aコースに登りつき、このコースをたどってきたとの事だった。雨の中の薮こぎごくろうさまでした。
 さて我々福島B変更組は傘に溪流たびといういでたちで、忠実にBコースの尾根をたどる。途中、突然井上(博)のオニイサンがついて来れなくなった。 ヘラヘラ川又氏が一人今登った所を引き返すが(彼はなかなかやさしい)、大丈夫とのこと。なんでも急にズボンを脱ぎたくなってしまったらしい。暗いところでならまだしも、このような白昼堂々とはなかなか大胆である。皆の制止を受け、とりあえずパンツの上にカッパズボンをはいたが、その後パンツも脱ぎたくなったが無理にこらえたと、本人が秘かに漏らしていた。カッパとズボンがぬれて付着し足が上がらなくなったためズボンを脱いだ。またパンツはゴムが切れてしまったためと本人は主張しているが、タイミングが良すぎる感もあり真相は不明である。
 12時15分着の今夜の宿泊場所の五合目避難小屋は思いもかけず快適だった。三階建てでストーブ付き、マキも燃してしまう(あたりまえ?)程沢山あり、木曽御獄山も真正面の大展望。中も明るく、寝場所も広く、もひとつおまけに無料ときている。北アルプスや関東周辺では近年このような山小屋はとんとお目にかからなくなった。ここに泊まるだけでも価値アリのゼッタイお勧めの小屋なのです。別荘気分であなたもドーゾ。その後金子隊も我々に遅れること約2時間でここに到着し、例によって合同大宴会となる。
 翌9月16日、天候くもりの中、6時出発。登るにつれてまた天気が悪くなり、玉の窪小屋手前で雨になる。小屋で全員カッパ着用し、木曽駒ピークを目指す。石像や錫仗、大きな剣などが立ち並ぶ所を通過すると、信仰の対象として長い間登られ続けたこの山の雰囲気に、軽率な私など畏怖の念さえ覚える。六根清浄、お山は晴天とよく言うけれど、女性は五根ってことになるのかな。とか、白たびの代わりに溪流たびでも清浄効果はあるのかな、など考えているとますます風雨が強くなったが、程なく頂上についてしまった。8時半。ここで深々とほこらに向かって頭を下げ、今までの邪心を吹き払った事にする。
 一息入れているうちにトランシーバーの交信時刻となり、いつもニコニコ元気一杯の赤まむしドリンク菅原氏が各隊をコールする。しかし、聖職の碑ルートの就職の足踏み今井氏のかろうじて元気な声は聞こえるものの、黒川溪谷ルートは相変わらず入感なし。予定では昨夜から頂上直下の天幕場に居るはずなのにと不安がよぎる。さては酒の弱い田原隊員や勝部隊員あたりが飲み過ぎてダウンしたのではないかとも思ったが、まあこれはいつものことだという事で木曽谷混成3パーティは頂上を後にした。
 千畳敷への途中、我々15名は体力的年齢順におじさんグループと若手グループとに別れ、ヘトヘトおじさん組は、そのまま下山へ、ギンギン若手組は風雨の中、宝剣岳ピークヘと果敢にもアタックする事になる。私は後者である事は、ここであえて言うまでもない。先頭きって登りだすが、途中キジ打ちなどをしているうちに抜かされてしまい、岩場で引き離され、結局頂上到着はすっかりビリになってしまった。
 宝剣岳ピークは高さ3メートル程の岩になっており、その最先端は50センチ四方しかない。しかも両側がスパッと切れており高度感は十分なのだ。まず我がリーダーいつもニヒルな大泉氏がこの絶頂に登り立ち、片足ケンケンなどをしている。おそろしやー。次はフィルターコーヒー飯島氏の番。選んだのは岩峰右側のバチアタリルートだ。これは正面壁中央バンドより右テラス上に設置してある切妻型屋根付きさい銭箱の頂上稜に足をかけ、最後はマントルでピークに登り立つものである。彼は登りも下りもこのルートを使ったものだからくさり気味のさい銭箱が大きく変形し、テラスから滑落しそうになってしまった。これはヤバイとのことでこのルートからの登はんを以後禁止とし、オニギリをそなえ、さい銭箱をわからないように安置しておく。私は潔白です。バチアタリは飯島氏だけです。
 そんなこんなしているうちに遅くなり、我々も下山開始。途中千畳敷でロープウェイで登ってきたという黒川溪谷ルート荒川組とすれ違う。以外にも皆しらふだった。 ロープウェイ上駅着、10時。その後下駅のしらび平で全パーティ合流しごくろうさまとなった。ずっと雨に降られたが、全員無事下山でき、それなりに大成功の集中登山だった。


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