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木曽駒ヶ岳集中山行
その3 「聖職の碑」コースからの交信
今井 敏樹

山行日 1990年9月15日~16日
メンバー (L)今井、石田、阿部、別当、(松田)

 「モートー、モートー、こちら菅原、感度ありましたら応答願います・・・」
 9月15日午後2時半、やっと初めてトランシーバー交信がとれた。それは、黒川溪谷の荒川隊からではなく山の反対側の菅原隊だったのは意外だった。
(今)「こちら、今井。菅原さん聞こえますか」
(菅)「はい、今、どちらでしょう?」
(今)「現在地は、大樽小屋で、タタシーを降りてから約2時間歩いたところです。12時前には着きました。ところで菅原さん、沢は遡ったんですか?」
(菅)「いやいや、こんな大雨の中じゃ登ってません。増水して危いから。木曽福島Bコーネを登りました」
(今)「すると、金子パーティと一緒ですね」
(菅)「いいえ。金子パーティはヤブをこいで福島Aコースを登ったようです」
(今)「またやったんですか。好きですねェー」
(菅)「まァまァ、でも今は一緒に七合目の小屋にいます。快適な小屋で全員元気ですよ。そちらの様子はどう?」
(今)「ええ、みんな雨の中、よくがんばってくれてます。でも小屋があって本当に助かりました。何しろ寒くて小屋の中にテント張ってます」
(菅)「そうですか。ところで黒川溪谷とは交信とれましたか?」
(今)「全然入らないんですよ」
(菅)「じゃあ、今井君の方でとってみてよ、こっちは入りそうもないから」
(今)「はいはい。やってみます。それじゃあ、今日、我々はここに泊まりますから、ヨロシク」
(菅)「我々も、このまま七合目の小屋に泊まります。明日は6時半から2時間おきに交信したいのですが、よろしいでしょうか」
(今)「了解しました。これで今日、菅原隊との変信を終わります」
 その後、黒川溪谷隊との交信を試みたが、ついに入らなかった。
 翌16日、6時30分、雨は上がっている。
(菅)「モートー、モートー・・・・・・」
(今)「こちら今井、我々は5時半頃小屋を出まして、現在胸付八丁の上の方にいます」
(菅)「我々は6時に小屋を出て現在地は××××」
(今)「もう一度お願いします」
(菅)「(ザーという音)。・・・・・・次は8時半にお願いします。これで交信を終わります」
(今)「しょうがねぇなぁ」とブツブツ。
 胸付八丁(名前だけ)を過ぎると森林限界となるが、西駒山荘付近で雨がパラついてくる。やがて交信時間だ。今度はよく入った。
(今)「現在地は馬ノ背付近です。どうぞ」
(菅)「我々は山頂に着きました。集合の場所を千畳敷山荘に移したいと思います。」
(今)「了解しました」
(菅)「それと、交信は1時間おきにしたいと思います。頑張って下さい」
(今)「はい。了解しました。あと一頑張りします」
(菅)「これで交信を終了します」
 9時25分、木曽駒山頂着。ガスっていたが、一瞬、ガスが晴れ、大展望が広がる。
(今)「今、ちょうど木曽駒山頂に全員、到着しました」
(菅)「えっ早いですね。我々は宝剣岳を登っています」
(今)「じゃあ、あとは千畳敷山荘で会いましょう。それにしても黒川隊からは交信が入らないなァ」
(菅)「とにかく千畳敷で待ってますョ」
 てな訳で一路、千畳敷めざして、山頂を後にした。黒川隊は途中で会って一安心。びしょびしょ、ぐちょぐちょになりながらも無事山行が終了したが、山頂で集中できずに残念だった。尚このコースは雨の割には滑りにくく、また傾斜もゆるくて歩きやすい。下りに使うには静かでいいコースではないだろうか。尚、遭難記念碑「聖職の碑」はいつ通りすぎたのか誰も気がつかなかったようだ。


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