山行日 1990年12月30日~1991年1月3日
メンバー (L)大泉、管原、阿部、小林(健)、佐藤(明)
赤石岳は遠かった。合宿が終った今、そのことしか記憶にない。ほんま、ヨ~歩いた、歩いた。それだけ。
結果的には小赤石岳までしか届かなかった訳であるので、満足することは出来ない。せっかく自分の貴重な時間とお金を使って行くのであるからして、やはり、目的は達成したいものだ。
去年の冬合宿、体調不良のため多大な迷惑を掛けてしまった私は、今合宿で再起すべく短いが長い?合宿前調整にいそしんでいた。(アッコさん、去年はマット本当にありがとう。とても暖かかった。ても、アッコさんはつらかったんですョネ。)
それは、次のようなものである。
(1)合宿前、飲酒を慎む。(去年は、合宿に向けエネルギーの補給だとばかり、1週間位飲み続けていた。)
(2)ハース式食事法の実践。おかげで体重はグンと落ちたが、スタミナはついた(ような気がする)。
(3)体力トレーニング。葛飾区スポーツセンター便所裏フェースでのボルダリングとジョギング、インターバル走。週3回、1時間。
(4)禁煙。(しかし、合宿中の12月30日より再煙。)
以上のことを2ヶ月間に亘り継続させたのである。立派なものだ。これで合宿に向
けての準備は万端にととのった。あとは行くだけだ。おっと、アルファー米買い忘れるとこだった。
どういう訳か、最強軍団B隊のリーダーとなってしまった私はあせっていた。実は私は何も出来ないし、知らないのである。人の後をくっついていくことにかけては三峰の中でも最強の部類に入るのだが、人の前を歩いたり、判断したりすることにかけては全くダメだ。このことはみなさんも承知の事実だと思う。そんな訳で、この実力あるメンバー達のリーダーというのは大変なプレッシャーだ。
ちなみにメンバーは、酒命の佐藤(明)さん、最近腹をさすったり、たたいたりすることが多い菅原さん、起床から就寝までエロ話ばかりしている小林(健)(もみじ)さん、一見スリムに見えるが、実は足が太い三峰の美女阿部さん、そして私である。
果して、私はリーダーらしいことを何一つせず、重要な判断等は全て誰かにおまかせとなってしまった。経験不足の分野は別としても、もう少し自覚していれば、出来る事もあったのではと思っている。(でもやろうとしないから、ぜんぜん進歩しないのヨネ。)
○反省事項
まだまだ有るが、思いついたまま書いてみた。
もみぢさんが持ってきてくれた、すっぽんとふぐに舌づつみをうっていた。やはり、山の中で食事は最大の楽しみなのだろう。何人もこの事実は無視出来ない。したがって、多少重くなっても、それなりのメニューはそろえるべきであると考えるようになった。以前の私の中にあるメニューとは、ジフィーズのオンパレード。今でもそうか。食べやすいものは何といっても汁っぽいものだネ、と言うことで意見が一致した。その中に具を豊富に入れればバランスもとれ、量も取れ申し分ない。
真夜中、突然大キジをもようし、ガマン出来ずにテントの外に出た。テントは何しろ5人で寝ていたものだから狭く、大変苦労した。
それにも増して荷物が多いこと。どれが誰ので、どこに行ちゃったのかわからないということは常日頃経験していると思う。そこで提案があります。各自大き目のビニール袋又はそれに準ずるものを用意し、そこに自分の物を入れておけば、テントのスペースをもっと引き出せるのではないのでしょうか、ただでさえ狭いんだから、工夫するようにしようというお話でした。
それと、テント生活で気づいたことを書いてみます。
林道歩きで、足の痛いこと、痛いこと。プラスチックブーツはベストであると信じている私には、全く痛い歩きである。今回のこの痛みで、プラブーツは完全に雪の上を歩くものと定義づけたい。私の場合、普段から登山靴を家からはいてくるというようなことはなく、(単にシティでピンクの靴を見られたくないだけ) スニーカーと併用しているのであるが、林道歩きも完全にスニーカーの歩きとしたい。
以上、まとまりなく思いついたまま書いてきたが、その他に気づいたことを書いて今合宿の反省としたい。
それでは、今後ますます冬山本来の厳しさ、楽しさを経験できるよう、みんなで知識・経験・体力をきたえようではありませんか。