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平成3年正月合宿・赤石岳
その4 冬山人間模様(上)
石山 千加子

山行日 1990年12月30日~1991年1月3日
メンバー (L)大久保、箭内、植村、飯塚、石山

 30日朝、タクシーをおりると完全に車酔い。これから5時間、30Kg近い荷をかついで歩かなければならないというのに、困ったものだ。やっぱり来るべきではなかったのだ。だいたい自分じゃパッキングできない程の荷物を持ってくることからして考えが甘いのだ。ヤケクソになってパッキングしてくれている植村さんを見ながら、力なくそう思う。結局、一番最後のパーティとして出発。先頭パーティより30分遅れである。風もなく天気は上々。春のような日だまりの道を行くこと1時間。少し異様な畑薙湖のジャリ道を過ぎ、林道に出て少し歩いたところにある吊橋のたもとで一本。すでに息は切れ、頭はボーとなり、足は痛い。元気な飯塚さんと箭内さんは、吊り橋を渡って遊んでいた。ボーとしながらも、この橋はこの前読んだ小説の中に出てくる事を思い出し、ストーリーを思い返している内に出発。今度は、30分もすると休みたくなってきたが、一本とるわけないなぁと思いつつ先を急ぐ。なにしろ、前のパーティの影も見えないのだから。それでも、1時間も歩くと荷の重さに慣れ歩き方のコツの様なものがわかってきて、初めよりずっと楽になってきた。しかし、歩く程に「冬山合宿」が身にのしかかってくる。頭の中は、後悔と反省でいっぱいになり、風景は歩いても歩いてもほとんど同じだし、時計の針もいつもよりゆっくり動いているみたいだし、前のパーティは追いついたとたんに出発してしまうし、途中何度か休憩しても、声も出ないほどバテてる自分が情ない。2時近くになってやっと赤石渡に着く。ここでは、牧野さんやアッコさんら数名が楽しそうに休んでいた。うらめしい。水を飲む元気もないので、道端の雪を少し食べながら前方を見ると、はるか先に先発パーティが見えた。少々の目まいとショックを感じているところだったが、アッコさんがちょうどキジから戻ってきて、「せっかく 見えない所選んだのに、カーブミラーにまる写しだったわ」などと呑気な事を言うので、ついうれしくなってしまった。さて、元気が少し出たところで出発。事実、時間にして2~3時間の距離だったので少し先が見えた気持ちだ。この頃には、各パーティバラバラで、私のまわりも箭内さんだけになっていた。箭内さんは、この先椹島に着くまでずっといっしょに歩いてくれて、その間中いろいろな話で気をまぎらしてくれていた気がする。話している内に、やっと午後5時、他よりだいぶ遅れて椹島に着いた。テントだと思っていたら、立派な冬期小屋があって、すでに中ではストーブが焚かれ皆一杯やっているところだった。とにかくひと息ついて、夕食など食べている内に元気も出てきたので、あしたこそバテないようにと思いつつ消灯。
 翌日、例によってタベの残りもののおじやで朝食を済まし、早々に出発。いよいよ冬山本番と思ったが、以外に雪はないし、気温も暖かい。相変わらず足は痛いが、食当1日目のおかげで、ザックは少し軽くなった。大久保リーダーは例によって二日酔い。各自まずまずの体調ながら、きのうの林道歩きはこたえている様だ。初めの一本をとる頃、植村さんが「そろそろオレウンコビッチ」と言った。折りしも皆疲れてきて、口数の減ってきた頃である。「なにそれ」「きたなーい」と言いつつ爆笑。これをきっかけに、皆すっかりいつもの調子になってきたみたいだ。箭内さんはすっかりウンコの話題にとけ込み、飯塚さんは大久保リーダーをこきおろし、植村さんは絶えず鼻歌を歌いながら登り、私も足が痛いながらも笑える程度に、ゆっくりけっこう楽しく登って行った。2時頃赤石小屋に着くと天気は下り始めていて、空には不気味な雲が現われては消え、目前の赤石岳をとりまき始めていた。さっそくテントを張り、水を作る。雪をとかすわけだが、ゴミは入る時間はかかるで大変なことだ。日が沈むまで飲んだりしゃべったりしながら、どこか牧歌的ですらある。さて、あすはいよいよ頂上アタックという日の夜であり大晦日でもある今夜、ますます天気は下り、湿っぽい雪が降りつづき夕食が済む頃は風も強く吹き荒れていた。この天候をまざらわすごとく、どこのテントも盛り上がっている様だ。わがテントも、昼間の"事件"以来すっかりなごみ、なぜか下品な話題程盛り上がってたりしている。ここへ明さんが来るものだから、ますます盛り上ってしまって、その夜は笑い疲れて寝てしまった。
 今日は頂上アタック。とはいえ、この悪天候。足は痛いしアイゼン初めて。ラクダの背なんてとんでもないということで、私は富士見平往復・テント番をきめ込む。今日の赤石岳はきのうとはうって変って、ガスと吹雪のため全く見えない。この山に総勢19名も登るなんて、無謀ですごくてとてもついてゆけないと思う。とにかく富士見平まで来てはみたが、風は強いし吹雪もやまず。この風の中で皆登攀具を身につける。緊張の一瞬だ。気をつけて。無事で戻ってきて下さい。言う言葉よりも、握手の手に力が入る。ここで私はテントに戻るわけだが、 風邪をひいた大久保リーダーも戻ることになり、テント迄下山。途中雪訓だとか言いながらもだるそうだった。アタック隊は、4時間くらいで戻ってくる予定だったので、その間にテントの中を少しかたずけたり、コッヘルを洗ったり水を作ったりしながら、大久保さんに、昔の三峰の話や服部さんとの関係や山であったコワイ話など、囲炉り端で聞いている様な気分で聞き入っていた。外は吹雪である。そうしている内にテントの入口に水がたまり始めた。はじめは水蒸気のせいだと思っていたが、その量が異常に多いので不思議に思っていたら、入口だけでなくテントのまわりが水びたしになっていることに気づき、あわてて水をふきとりしぼり出してはみたものの、すでに箭内さんのシュラフはずっしりと水を含み、何度ふいてもすぐに水がたまってくる始末。多分気温が上ったので、テン卜の外についた雪がとけてしみ込んできたのだろう。というわけで、けっこう忙しいテント番なのだった。こんな雪も2時近くになると雨になり、薄日もさして富士見平に戻ってきたアタック隊の歓びの声がきこえる頃には、すっかり天候回腹の兆し。夜になると、山は平然と静まり風一つないおだやかな月夜となった。その夜は、テントは水びたし、ザックやシュラフはぬれてしまったので、しかたなく避難小屋に泊まることになった。薪があったので焚火を囲んで、大久保リーダーのつくるおいしいホタテごはんを食べながら、今回の山行について語り合うという、実にリッチな夜になったのである。箭内さんは、開口一番、「来ないでよかった。すごい風と岩場だった」と言うし、植村さんは相変らず鼻歌を歌っているし、飯塚さんは幸せそうに疲れているし、大久保さんは明さんのところで飲んできたらしく、かなり酔っているし、赤石岳は、月に照らされて見事にその姿態を夜空に映し出していた。この夜は遅くまで、歌ったり、話したり本当に皆幸せな時間を過ごせたと思う。この時、次に待っている苦難の林道歩きのことを考えていた者は、多分いないだろう。以下、箭内さんの原稿につづく。


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