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平成3年正月合宿・赤石岳
その5 冬山人間模様(下)
箭内 忠義

山行日 1990年12月30日~1991年1月3日
メンバー (L)大久保、箭内、植村、飯塚、石山

 「人はもっと優しくなれる」「カチカチ!」
 「人はもっと優しくなれる」「カチカチ!」
 「誰や!そんなこと言う奴は!」
・・・・・・・・・
 「カルビー」
 赤石岳から帰ってテレビをみたら、こんなコマーシャルが流れてきた。思わず心臓を素手でキュッとつかまれた感じになってしまった。「一日一善、火の用心」と同様、人を巧妙に陥れるCMだ。心情のみに訴え、論理性に目を覆わせるCMは、何か作為があるようで素直に開けない。さんまはお笑いらしくもっとラジカルであってほしいななどと思っていたら、酒と山の疲れでねむってしまった。
 さて、今回の赤石岳の合宿は、山の発見、人の発見という点でとても心に残るものになった。Cパーティーのメンバー構成と山域の良さのため特に印象が強い山行だった。

*     *     *

 1月1日
 〈キジタメンコ・ウンコビッチ植村は、テクニシャン〉
 1日、富士見平で、行こか戻ろか、さんざん迷っていたリーダーの大久保さんは、
 「あたしゃ石山さんと二人きりでテントで過ごしたいよ」
の想いに勝てず、赤石小屋のテントに戻ることになった。
 結局、Cパーティは、植村、飯塚、箭内の3人が頂上を目ざすことになった。ここからが、キジタメンコ・ウンコビッチ植村の本領発揮。理論、論理性に裏付けられたテクニックで仲間を安全に引っぱっていってくれた。

その一 ラクダの背をリード。ビレーの取り方の確かさと8の字結び、安全を配慮した末端処理の確かさに高度なテクニックを見、敬服、肩がらみ懸垂も久しぶりに見た。
その二 下山でのルートファインディングの確かさ、上りでの雪山での安全で力強い歩行、基本が大事なのだ。
その三 徹底した軽量化。体力が消耗すれば登れない。酒、めしもいいが、山行の基本を忘れてはならない。
キジタメンコ・ウンコビッチ植村は、ただものではない。

 1月2日
 〈ちびまるこ石山は、逃げ足が速い!〉
 入山日、石山さんは、すき焼きの材料もあったのだろう、牛歩のようにおそかった。椹島の小屋に着いたら他のパーティーはもう食事の用意を始めようとする時間だった。
 しかし、下山は違った。赤石小屋から椹島、畑薙まで、まるでかもしかのようにトット、トットと歩いて行く。驚くことに、休憩をとらない。畑薙のゲートまでに何とか追いつこうとしたが全然追いつくことができなかった。あの細い体のどこにそんなエネルギーと気力がひそんでいるのか。ひょっとしたら、連日、死体を解剖し腎臓を取り出す際、秘かに何か秘密のものを取り出し食べているのではなかろうか。
 〈クラリネット陽子には、ワインが似合う〉
 今回の合宿が楽しいものになったのは、ただただ陽子さんのおかげです。植村さんの後について遅れず着実に登る体力と柔軟性、共同装備のザイルを嫌がらず持つ協力性、ただただ頭の下がる思いです。しかし、なぜか陽子さんには食事の場面がよく似合う。コッヘルを持っていたせいか、いつも「いただきます!」と食べている、その姿がいいのだ。「いただきます陽子」と呼びたいが、陽子さんは知る人ぞ知るクラリネットの名手です。そして、日本酒、ウイスキー、ビールと何でもこなすが、一番はワイン。それも赤なのです。椹島で飲んだワインは旨かった。

 1月3日
 〈俺はね、大久保だ! リーダーは辛いよ〉
 テント撤収したら、もう他のパーティーは出発していた。バス停のある田代まで、舗装道路をひたすら歩く。もう歩きあきたと思ったとたんトンネルが抜け、バス停に着いた。飯島さんにもらった煙草がうまい。勝部さんの酒もとびきり旨かった。
 赤石岳合宿も無事終了。リーダーの大久保さん、お世話になりました。食当配分、共同装備の割りふり等リーダーは大変でした。重荷を背負って先頭をいく姿は、まるで赤石岳そのものを背負って赤石に登っているようでした。今回は特別にリーダー大久保の話が聞けたのが良かった。もう、大久保リーダーの方に足を向けてはねられません!
 南アルプスは好きな山域だが、畑薙・椹島まで行く途中かなり荒らされ、破壊され、痛めつけられていると感じた。東海パルプにより伐採され、紅葉のない麓の村。落石のためタクシーも恐れるアスファルト道路。国立公園の指定面積は北アルプスの五分の一位で狭く稜線あたり(2500メートル以上)が指定されているだけだ。しかし、道路ができて、車で楽に赤石にとりつけるようになったのは山屋にとって嬉しいことだが。


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