トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ275号目次

平成3年正月合宿・赤石岳
その6 ハンDテント隊
服部 寛之

山行日 1990年12月30日~1991年1月3日
メンバー (L)服部、牧野、勝部、市川、飯島、斎藤、吉江

 我が隊はジャンボである。ジャンボというのは良くない。ジャンボが付いて良いのはギョーザとヤキソバと当たりの宝くじだけである。テントに付く場合は良くない。飛行機に付く場合も良くない。満席だと飯食った後のキジ場がすごく混む。ジャンボ尾崎というのも良くない。あんなでかい図体の男がセコイ球をこづき回すのを見てどこが面白い。ジャンボ鶴田、あれはイカると面白い。
 なぜテントに付くと良くないかと言えば、聞いただけで重そうだからである。精神的負担が大なのである。言い換えると、名称から受ける精神的重圧に起因する肉体機能の低下は正味テント荷重の相対的増加を招来するのである。これを整理すると、その価は次の式から求められる。
体感荷重の式
 この場合、EはElevation 即ちコースの高度差による難易度変数、πγは読んで字のごとく女性変数、温泉は温泉グレード変数である。これを≪ジャンボ・テントの公式≫と云う。
 合宿メンバーのテント割りが決まり装備分担を考える時、私は右の公式によってテント重量を算定した。その時求められた価は、πγの関係上発表すると今後いろいろと差障りがありそうなので発表しないが、とにかく我が隊はジャンボという、右の様に数学的にも裏付けされたハンディを文字通り背中に負っての合宿参入となったのである。
 しかもコースも良くない。前途に待ち受けるのは長大な林道歩きの果ての急登の連続という苛酷な現実である。私はこのコースを知っておるのだ。忘れもしない日航ジャンボ機が墜ちたあの暑い夏の日、我々は混み合う赤石の頂上で餅を焼いて見せびらかし、優越感に浸りながら椹島に下り、ムシ風呂の様なテントの中でラジオの悲報に聴き入ったのであった。そして翌早朝からの長く辛い林道歩き。フラフラになってダムに着いた時、もう二度とこの林道は歩くまいと心に誓ったのであった。あの時も勝部氏がいた。そして今回も勝部氏である。一昨年の夏、林道の崖崩れで正月の赤石が潰された時、天は悪趣味委員長の邪悪な企みを打ち砕きたもうたと私は感謝の祈りをささげたのであった。だが、勝利は常に正義の側にあるとは限らない。正月の赤石が復活した日、私は人の世の不条理に泣いた。そして今回のジャンボ・テントで、私は我が人生の不運に泣いたのであった。しかし如何に人は不運に見舞われようとも、天は常に一筋の光明を見せてくれるものである。そうでなければ人は生きて行けない。今回も、飯島、吉江という強力な隊員に忘まれたお陰で、この難局を何とか乗り越えることができたのであった。テント担ぎ、ご苦労さんでありました。
 12月30日、10時半に畑薙の登山指導センター前を出発した我がハンDテント隊も、途中他の軽量テント隊3隊の隊員らと激しく混合するうちに何とか全員日没前までに椹島に辿り着いた。翌日の赤石小屋までの急登の荷上げを考え、テントの濡れを避けて無料の小屋泊りとする。
 12月31日、我が隊は少し遅れて6時50分に椹島を出発。足並みも揃って順調に登り、途中5本計77分の休憩を入れて赤石小屋12時20分着。トイレ北西側の小鞍部を整地してテントを張る。その後私は総括リーダー及び他のテントリーダーらと富士見平まで偵察。富士見平では荒川三山、赤石岳を始めそれ以南の南アルプスの山々、そして遠く富士山まで見渡せ、美事な白銀のパノラマを満喫した。だが、テントに戻る際にドス黒い雲が速い西風に乗って流れて来るのを目撃。イヤな予感がしたので帰幕後フライを張る。
 1月1日、我が隊は全員出撃。降雪の中、トップで出発。富士見平までのトレースは半分以上新雪に埋まっていた。夏道と別れ、ラクダの背の尾根に出るところでルートを間違えたが、何とかヤブを漕いで尾根道に這い上る。いいペースで進んだが、結局核心部の岩稜帯の登りに手間取り、小赤石岳まで来たのが11時になってしまい、そこから赤石岳の主稜線に出てから頂上へ行くのは悪天と時間的な兼ね合いから断念することにした。下りも核心部の岩稜帯で上って来る後続パーティの通過待ちで時間を食ったが、富士見平まで来ると降雪も止み、東の空には薄いながらも虹もかかって天候は急速に回復に向かい、激しく動く雲の合間から一瞬今登って来た小赤石や幻に終った赤石のピーク、そして荒川三山の威容が見えた時はみんな感激した。
 3時半帰幕。こちらは朝の降雪が後にはみぞれに変わったようだったが、我が隊はフライのお蔭でその夜も快適な宴の後に就寝となったのでありました。さすが、持つべきものは聡明なリーダーなりと、隊員一同異口同音に申したのでありました。(申さなかったかな?)
 1月2日、我が隊は思いの外撤収に手間取り、他隊に遅れて出発した時は既に6時30分になっていた。しかも隊員のひとりが膝の不調を訴えゆっくり下った為、椹島倒着が遅くなってしまい(9時35分)、他隊を椹島でさんざん待たせてしまい、申し訳ありませんでした。しかし、ゆっくり下りたお陰で、その後の長い林道歩きも膝に来ることもなく調子良く歩けたと思う。下山路を駆け下りるのは速くても、膝に負担がかかり過ぎて結局は馬鹿を見るのではないかと思った次第です。我が隊はダムに着くのも結局はビリケツになってしまったが、登山指導センターの所から丁度発車するところだった「移動交番」にダムまで乗せてもらい、儲かってしまった。
 1月3日、今日はバスに乗り遅れては大変なので早目に起床、4時40分には白樺荘前の広場を出発。思ったより早く八木尾又バス停に7時に着いた。我が隊は飯島君以外は全員バスを途中で乗り換え、ラドンセンターに寄って汗を流して帰ったが、ラドンセンターは二度と行く場所ではない。チャンチャカチャンのお年寄り向けカラオケ社交場だったので、入った途端気持ちがズッコケてしまった。そして今回私の家が誰よりも近かったので、皆の羨望の目差しの中ひとり茅ヶ崎駅で電車を降りてホームの人となり、さらに路上の人となり、私にはメッタに味わえない≪チカバの例会の公式≫(岩つばめ第270号18頁参照)によって得られるヨロコビを噛みしめながら、早くも3時半には玄関の人となったのでありました。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ275号目次