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氷瀑訓練 松木沢
吉江 信也

山行日 1991年1月19日~20日
メンバー (L)山本(信)、井上(博)、荒川、飯島、飯塚、斎藤、小川、吉江

 あらゆるジャンルの山登りを一通りやってみたいと思っていたし、氷瀑訓練の訓練という文字に、初心者が対象になっているみたいな気がしたので、参加をしてみた。岩登りもしたことがなく、ザイルワークとはどのようなものかも知らない自分にとってはちょっと無謀だったかもしれない。
 1月18日(金)の夜10時に新宿スバルビルに集合。そこから、井上さんと小川さんの車に分かれて乗って、松本沢の氷壁を見ざして出発。高速で出口を通りすぎたり、雪のため通行止めの道があったり、迷いに迷って松木沢に着いたのが朝の4時ぐらいであった。後部座席で寝ていてゴメンなさい。運転手の井上さんと小川さんは疲労困憊されていたのではなかろうか。
 1月19日(土)は朝8時起床で、軽く飯を食って出発。ダムの工事などでかなり昔の地形と変わってしまったらしく、目指す夏小屋沢がどれかわかりにくそうであった。進入禁上のような場所を通り、棒一本の橋を渡りいよいよ夏小屋沢に着いた。10時ごろに80度はあるような高さ15mぐらいの氷壁に着く。ゲンさんと井上さんが取り付いたのだが、しばらく氷瀑をやっていなかったためか登り切れず断念。ベテランでもおっかない氷壁であるらしい。初めての氷瀑する者にとってはあまりにもむずかしすぎて練習にならないような気がした。右の岩場から捲いて上からザイルを垂らしてなんとか練習できるようになった。ピッケルとバイルとアイゼンで登って行くのだが、ピッケルはささらないし、アイゼンもささらないので何度も滑った。手足4本で体を支えるのがやっとで、上にも下にも動くことができず、上に行こうとピッケルを抜いて上に打ち込むと、バランスをくずして落ちてしまった。万歳のかっこうで何分も休んでいると指先の血のめぐりも悪くなり指が冷えてかじかむし、とてもむずかしかった。しかし、いろいろ教えていただき、何分も自分のために確保していただいて、たいへん時間がかかったけどもその氷壁を登りきったとき非常にうれしかった。その日は午後4時半ぐらいまでみんな練習して、テントに戻った時にはもう真暗であった。ご飯を食べて、普通なら新人がやらなければならないコッヘル洗いも飯島さんにやっていただいて、おいしいコーヒーまでいただいてしまった。その日も飲めない酒を少し飲んで気分よく寝た。ゲンさんだけはガブガブ酒を飲んでいた。
 次の日の1月20日(日)は昨日とはちがう沢に入った。昨日よりも傾斜のゆるやかな素人でも楽しめるような氷壁を期待していたが、見上げるような、90度はある氷壁であった。ゲンさんが取り付いたが、ゲンさんでもトップはおっかなかったようで断念した。また、今度は左から捲いてもらい、上からザイルを垂らしてもらい、上で確保してもらい、自分が登ることになった。しかし、何度挑戦してもアイゼンがささらず無理だった。その日は別の隊が来ていて、1mほど左の方をトップの人がアイスピトンを打ち込みながら登っていた。二人組のベテラン風の隊で、ゲンさんが言うには、一人は氷瀑の本などに出てくる有名人だそうだ。そんなベテラン方の練習コースに迷い込んでしまった自分は、不様なものだった。アイスバイルで鼻を打ち鼻血は流すわ、何度も何度も落ちるわで結局、左から捲かしてもらった。上にあがってけんすい下降して今日は終わるのかと思っていたが、上にあがってみるとさらに氷壁があった。これはゲンさんや井上さんなどがトップで登って行き、上で確保してもらい自分も登ることになった。結構傾斜がゆるやかだったのであまり滑落することなく登れた。いい練習になったと思う。荒川さんは、「もうやめましょう」「寒い」とか「温泉に行こう」など弱気なことを言っているのに、どんな氷壁でも登りこなしていた。
 こうして原稿を書くのも初めてであるが、原稿を書きながらその時の情景を思い出すと、また氷瀑に行きたくなる。「今度は不様な敗退はしたくない」とか「もっとアイゼンを刺したら登れたのではなかろうか」とかいろいろ考えてしまう。これからも氷瀑に行けるチャンスがあれば、ぜひ連れて行ってもらいたい今日このごろです。


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